第3話、掴まれた胃袋

 メアと一緒に昼食を食べながら思う。


 異世界で初めて会った時、勇者である俺に向かって饒舌に自分の恐ろしさを語っていた彼女が、今は何も喋る事無く視線を落としたまま黙々とコンビニの弁当を口の中へと運んでいた。


 声をかけると僅かに反応するが、食べていたご飯を飲み込むだけで会話には発展しない。


 確かにこれでは友達も出来るはずがないよなと、あれだけ周りにいた生徒達が近寄らなくなる理由も分かるものだ。友達を作る為にはコミュニケーションが必要だ。俺も異世界に転移する前は口下手で、友達が一人も出来なかったから分かる。


 けれど異世界の旅を通じて多くの人々と出会って俺は変わった。


 自分の意志をちゃんと言葉にして、時には相手を気遣って、人と人との繋がりを大事にするようになった。その結果、新学期が始まってから俺の事を見て別人になったと、体育の授業での活躍やテストの優秀な成績を抜きにしても友達になってくれる人が現れた。


 最初は俺の変わりぶりに気持ち悪がった奴もいたが話してみればなんて事はない。結局は仲良くなって今は良い友達だ。


 そんな俺と比べて彼女はどうなのか。

 魔王として君臨していた異世界では、彼女は万を超える軍勢を従えていた。全人類にむけて声高らかに世界征服を宣言していたはずだ。そんな彼女が今となっては一切言葉を口にせず、小さくなって黙々と白米を食べ続ける様子には、魔王としての面影が全く残っていなかった。


 異世界の言葉を使える事や元の世界に戻りたいと言っていた事から、魔王としての記憶が失われている可能性は低い。ならばどうして異世界とこちらの世界で様子が異なるのか不思議だった。


 そして今、気になることがもう一点。

 それはメアの昼食がコンビニ弁当な事。今まで観察していて気付いたのだが、彼女は毎日同じ弁当を食べている。


 プラスチックの容器に詰められた白い米、その上に一つだけ梅干しが添えてある質素な弁当だ。箸を扱えているのはかなり意外だが、真っ白なお米とほんの少しの梅干しを、黙々と小さな口の中に放り込む。


 学校でのポンコツぶりを見るときっと家での自炊も出来ないだろうし、この様子だとお弁当を作ってくれる人もいないはずだ。質素な弁当しか食べていないのはお金がないのかもしれない。


 白米と梅干しだけじゃ栄養が偏ってしまうな、俺は特製手作り弁当をメアへと差し出した。


「そんなのばっかりじゃ体に良くないぞ。俺の作った卵焼き、食べるか?」


 メアにあげようとしているのは厚焼き卵だ。


 口に含めばじゅわっと和風のだしが染み出す柔らかな一品で、これに関しては異世界でもらった神様からのステータスやスキルも関係ない。俺が毎日の自炊で上達した自炊スキルの賜物だ。


 差し出された厚焼き卵。

 それを見ながらメアはきらきらと目を輝かせるが、はっとしたような表情を浮かべた後に卵焼きの入った弁当箱からそっぽを向いた。


「い、いらない……」

「本当にいらないのか?」

「いらない……!」


 ぷいっとそっぽを向いたまま、メアはこちらを見てくれなくなった。


 そう言えば異世界でこいつを倒した時も『我を憐れむな! 施しは受けん!』と声を荒げていたっけか。魔王という立場にあったせいか、こうして誰かに同情されて何かをしてもらう、というのが苦手なのかもしれない。


 だからと言ってこのまま見過ごすのは勇者としての名がすたる。見捨ててはおけなかった。彼女が同情されて何かをもらう、というのが苦手なら他の誘い文句を試してみよう。


「俺さ、料理をするのが好きで毎日自分で弁当を用意してるんだけど、雨宮の確かな舌でどんな味なのか確かめてもらえたりって出来ないか?」

「わたしの、確かな舌……?」


「そうそう。雨宮って海外にいたんだろ。俺達と違って海の向こうの美味しい料理をたくさん食べていそうだし、そんな肥えた舌を唸らせるような卵焼きを作れてないかなと思って」

「なんでそう思うの?」


 メアはそう言って首を傾げる。

 そりゃお前が異世界の半分を牛耳った元魔王で、そんな超絶権力者なら食べる物は常に一級品。超一流シェフが作ったとんでもないご馳走を毎日食べていたのは、異世界で勇者だった俺の耳にも届いていたわけで。かと言ってそれを喋れば、彼女に俺の正体がバレてしまいそうなので、その事については一切口外出来ないが。


 少し強引な誘い文句だったかなと、これが駄目なら別の手段を、そう思った時だった。そっぽを向いていたメアは俺の方に振り向いて、弁当箱の中の厚焼き卵をじっと見つめている。


「あなたの言う通り……わたしは異世……じゃなくて、海の向こうの美食をたくさん食べた。あ、あなたがそこまで言うなら食べてあげる。これはとても光栄な事、感謝すると良い」


 突然饒舌になったと思うと、メアは弁当箱の中の厚焼き卵に箸を伸ばす。


 普段の不器用ぶりに箸で掴んだ厚焼き卵を落としてしまわないか心配だったが、彼女は難なくそれを口の中へと放り込んだ。


 そして一噛みした途端、彼女の目の色が変わった。

 さっきまで生気も感じないような虚ろな目をしていたメア。そんな彼女が宝石のように瞳をきらきらと輝かせて、舌の上で厚焼き卵をゆっくりと転がして味わっていた。


 どうやら俺の作った厚焼き卵はメアの舌にも通用したらしい。ごくりと飲み込むその瞬間まで、口の中いっぱいに味わう様子を見てそう思った。

 

「どうだ? 美味しかったか?」

「べ、別に。普通」


 メアはきっぱり言った後、また無言になって白いお米を口へと運び始める。


 たださっきよりも箸の進むペースが遅いように見えた。単調な白米と梅干しでお腹を無理やり満足させていたところに、だしの効いた美味しい厚焼き卵を食べたという刺激は強すぎたのかもしれない。もう彼女の舌は白米と梅干しだけでは我慢出来なくなっていた。


「そうか……他にも確かめてもらおうかと思ったんだけど、その様子だと俺の料理じゃ雨宮の舌は満足させられなかったか。いや、申し訳ない。俺はまだまだみたいだ」


 差し出していた弁当箱を自分の手元に戻そうとした瞬間、メアはその手を掴んでいた。


「ま、待って。不味いとは言っていない。そ、そう。あなたの料理からは多少なりともセンスを感じる。他にも食べれば助言してあげられるかもしれない」

「本当か!? いやー良かった、雨宮にそう言ってもらえて嬉しいよ。それじゃあ食べてもらいたいのは……」


 俺は白いご飯に合いそうなおかずを選んでメアへと差し出していく。


 白米と梅干しだけの質素な弁当は豪華な弁当に大変身。ちょっと濃い目の味付けが功を奏したのか、ぱくぱくとおかずを口に運んで、あっという間に彼女の持っていた容器は空っぽになっていた。


 俺の作った料理は好評だったのか、目を閉じて満足そうな表情を浮かべるメア。


 こうして机を並べて食事を共にしているが、そんな二人が異世界では敵対し合った勇者と魔王だったなんて、向こうは想像もついていないだろうな。


「それで、今食べたのはどうだった?」

「わ、悪くはない。けれどわたしからしたらまだまだ」


「そうか。それじゃあもっと精進しないとな。雨宮は明日もそのコンビニ弁当を持ってくるつもりなのか?」

「わたしはずっとこれ。これで十分……」


 メアは空っぽの容器に視線を落として寂しげな表情を浮かべた。


 そうか、明日も明後日も白米と梅干しの日の丸弁当か。異世界から来た元魔王の彼女が貧乏な食事を続けて、その飢えからまた悪の道へと進んでしまう可能性も0ではない。彼女を倒した勇者として正しい道に導いてやらねばと、俺はある提案をする事にした。


「もし良かったらさ。明日も俺の料理の評価、付き合ってくれないか? 次は俺のとは別の弁当箱に入れてくるから、そしたら食べやすいだろ? ご飯も用意してくるからコンビニ弁当を買う手間だって省けるはずだし」

「え……明日も?」


「センスを感じるって褒めてくれたからさ。でもまだ満足させられる出来じゃないっぽいし。雨宮には感謝してるんだ、そうやって評価してもらえるのすげー助かるんだよ」

「そ、そう。あなたがどうしてもと言うなら、頼まれてあげても……良い」


 そう言いながらメアは嬉しそうにもじもじとしている。どうやら明日も質素なお弁当ではなく、まともな昼食を食べられると内心ではかなり喜んでいるようだった。


「それじゃあ明日からよろしく頼むよ、雨宮」


 俺の言葉に頷いた後、彼女はまたそっぽを向いてしまう。

 そしてぼそりと呟くような小さな声が聞こえた。


「たゆ……」


 それは異世界の言葉。メアは俺に『ありがとう』と言った。


 彼女から発せられた感謝の言葉。向こうはその意味が伝わっていないと、この世界の誰一人としてその言葉の意味を知らないと思っている。けれど俺は魔王だった彼女と異世界で戦った元勇者、もちろん異世界の言葉の内容は理解出来る。

 

 そしてさっきの言葉を聞いて思うのだ。


 今の彼女は単純に人付き合いも感情の伝え方も不器用で、魔王という立場にあったせいでそれを余計にこじらせているだけのか弱い少女。


 彼女はもう『ナイトメア・カオス・ダークネス』などではなく、何処にでもいる内気な少女『雨宮メア』として生まれ変わっているんじゃないだろうか、そう思えていた。

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