二 『異世界の王』

「退屈だったから」




 ――今、こいつはなんて。

 俺はその発言の内容を理解するのに相当の時間を要した。

 異世界転移もの、俺はそういう小説を読んだことが無いとはいえ、わざわざ世界を隔てて人間を召喚するのだから、もちろん海よりも深い理由があるのだと思っていた。だから、俺が衝撃を受けるのも当然のことだろう。



「は」


「退屈だったから、か……」



 何とか衝撃を飲み込む。



「そうさ。ワタシたち魔物ってのは不老不死の存在でね、ほとんどの時間暇を持て余してんのさ。怠惰に過ごして歳を積み重ねている者ばかり…… まあ、退屈なんて自我を持てるのもワタシを含め極一部の上位の魔物だけなんだけどさ。そういう者たちの中には人間を襲うことを娯楽としている者もいるようだけど、ワタシはそんなことしても何も楽しくなんてない」



「そんなある日、禁じられた魔法の術式が記された書物を手に入れてね。そこに記されていたのさ」



 セリスは邪悪な笑みを浮かべて言った。



「異界の人間を転移させる術式がね」



 退屈だから異界の人間を転移させる……。それをして何になるというのだ。



「――それで、転移させてどうなる。その先に何がある」



 セリスは不思議そうな顔をして言った



「その先?決まってるじゃないか。これから先、異世界人であるあんたがこれからどう行動して何を為すのか、それを観察するんだよ。すごく楽しそうじゃないかい。……先に言っておくけれど、元の世界に帰る方法なんてないからね。書物には転移させる術式は記されていたけれど、返す術式なんて記されていなかったからね」



「なんて無責任なんだ。その書物も、お前も……」



 本当に無責任なものだと思う。勝手に呼びつけておいて帰れませんなどと…… 

 人によってはその場で激昂してセリスに襲い掛かることもありうるだろう。

 しかし……



「それで、異界人70億のうち幸運にも俺が選ばれたってことか」


「そういうことになるね。 ――うん? 幸運にもだって……?」


 セリスは自分の耳を疑うような顔をしてこちらを見つめた。


「俺も、退屈だったんだ」


「――――」


「俺のいた世界ってのは実に退屈でね、皆毎日同じことの繰り返しでさ。俺はそんな奴らを眺めている毎日だった…… そして、そんな日常を送っていきそのまま死んでゆくのだとだと思っていた。そんなある日に、――セリス、君が俺を召喚してくれたんだ。この異世界という非日常に」



 ――俺は今、心の底から自分を幸運な人間だと思っているよ、セリス。



「セリス」


「――なんだい」




「――俺は、異世界の王になる!!」



「……ああ、あんたを召喚できたのはとんでもなく幸運だったようだね。マサト」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 時は少し流れ――

 俺たちは今後のことについて話し合っていた。



「――しかし、何を為すにしてもまずは情報がなければ始まらないな。セリス、この世界のことについて大まかに教えてくれないか」



 セリスの話をまとめると、つまりこういうことらしい。

 一つ、この世界は一つの大陸のみでできており、四方を海に囲まれている。

 二つ、この世界には十二の国があり、その上には女神ディレナスが存在している。

 三つ、この世界の人々は一人一つ、必ず固有の加護というものを持っている。

 四つ、この世界には亜人と魔物が存在しており、亜人も魔物も、特に魔物は人間に忌み嫌われる存在であること。

 五つ、この世界の魔法はほとんど日常生活にしか使われず、魔法を使い戦争などで活躍できるものは極少数であること。


 個人的に五つ目を聞いたときは少しがっかりした。俺は異世界ものを読んだことが無いといえど、やはり日本人の男なら魔法を使って華々しく戦う、というのは誰しもが憧れるものである。

 そして、特に気になるのが一人一つは持つという〝加護〝



「それで、俺にも加護ってのがあるのか?」


 セリスは頷き、


「ああ、あんたも転移した時点でこっちの世界の人間だ。転移したときに授かってるはずだよ。加護がどんなものかは自分の感覚的にわかるものさ。ワタシは魔物だから持っていないけれどね」



 確かに、転移直後は落ち着いていなくて気づかなかったが、今ならなんとなくわかる。

 ――これは、

 


「自らの姿と声を自由自在に変えられる加護、だな……」


「……驚いた。『姿と声を変えられる』なんてワタシが今まで見てきた人間たちが持っていた加護の中にはなかったと思うさね。ああ、かなり珍しい部類の加護なんじゃないかい?」



 セリスはそう言っているが、正直期待外れだ…… 剣や魔法の才能を授かる加護、とかだったら嬉しかったのが本音だ。しかし、これはこれでかなり有用だとも言える。



「しかし、使いようによっては化けるぞ、この加護は」



 セリスが興味深そうな顔でこちらを見てくる。



「そうだな、試しに今使ってみるか。……その前に一つ聞いておきたいんだが、加護を使うことによって身体に負担がかかったり、悪影響が出たりはするのか? ――例えば、加護使用後はしばらく行動に支障をきたしたり、身体に過負荷がかかって寿命が縮まったりなんてのは」


 セリスは首を横に振り、


「いや、加護使用後に動けなくなるなんてことも、寿命が縮まったりするなんてことも聞いたことは無いさね。ただ、短期間の間に乱用しすぎると身体に負担がかかってしばらく動けなくなる、なんてのはあるみたいだね」



 なるほど、短期間の間に乱用するのは控えたほうがいいと……


 セリスが早く試せと言いたげな顔でこちらを見てくる。



「それで、試してみるんだろ?誰の姿になってみるんだい?」


 俺はセリスの顔を指さし、言った。


「そうだな…… セリス、お前になってみよう」



 そう言うと俺は身体の芯に意識を集中させる。

 しだいに身体中がひどく熱を帯びてゆく。

 すると、――ドロリ、と自分の身体が液体状になって溶けるような感覚に陥った。          

 チラ、と右腕に目をやると、骨や皮膚が溶けている。文字通り溶けて、まるで沸騰でもしているかのようにグツグツと音を立てている。

 身体全体を見ても、右腕と同じような惨状になっている。

 そして、骨や皮膚が再構成されてゆき、沸騰のようなものは次第に収まってゆく。

自分が自分ではなくなっていくような感覚なのに、何故か心はすごく落ち着いている。



 腕や足に目をやる。ある。すらっと白く長い腕と足が。

 顔に手を当ててみる。ある。すべすべとした自分の物よりも遥かに小さい顔が。

 髪に手を当ててみる。ある。永遠に触れていたいほど触り心地の良い黒髪が。

 胸に目をやる。ある。自己の存在を主張しない慎ましやかな胸が。

 

 ――これは間違いなくセリスだ。

 どうやら、この加護の力は本物らしいな。



「……」



セリスが気持ち悪いものを見たかのような表情で、言った



「――ワタシになれたようだね。これで、その加護の力は本物だと証明されたさね」

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