第26話 心の靄

 突如としておぞましい気配を解き放つ男が、俺たちの前に現れた。

「ゾルべ、大丈夫ですか」

 その男はまず黒いフードの男に声をかけた。

 どうやら黒いフードを羽織っている男の名はゾルべというらしい。

「アレスさま、大変申し訳ございません。王女を取り逃がしてしまいました」

 その男を前にゾルべは頭を大きく下げて謝罪を述べた。

 話を聞く限りその男の名はアレスといい、ゾルべよりも立場が上の存在なのだろう。

「気にしないでください。これからいくらでもチャンスはありますよ。それよりもあなたが生きていてよかったです」

 アレスは朗らかな様子でゾルべに語りかけている。

 この場は戦場。

 こんなところに来れば、どんな人であっても気を張ってしまうのが普通ではあるが、アレスからはその様子を一切感じない。

 常に朗らかな笑顔を浮かべており、それがかえって今の俺には不気味に見えてならない。

 そして今度は矛先をこちらに変え、少しずつ近づいてきた。

「やるのか?」

 俺はメリルさまの前に立ち、あらためて剣を構える。

「いえいえ、今回は引かせていただきます。私がここへ訪れたのもゾルべを回収するのが目的でしたから。それでは」

 そう言ってこちらに一礼し、アレスは踵を返した。

 どうやらこれ以上戦うつもりはないらしい。

 俺としても、ここでアレスという実力がまるで読めないような相手とはできれば戦いたくはないため、こちらとしては願ってもないことだ。

「うん?」

 しかし何か気に障ったことでもあったのか、アレスは再びこちらを振り向いた。

「まさか、あなたはユリウスさまなのでしょうか?」

 どうやら俺の顔を見て言っているようだ。

「いや、俺の名はユリウスではなくユーリだ。おそらく人違いではないのか」

 当然間違っていることなので否定しておく。

「そうですか。あなたを見てどこか懐かしさを感じたのですが、確かにこんなところにユリウスさまがいるはずはありませんね」

 どうやらアレスは納得したようだが、さっきの朗らかな表情からは一変して、若干だが落胆しているような表情に変わっていた。

「失礼しました。ではまたの機会があれば。ほら、行きますよゾルべ」

「で、でも俺の足が……」

「しょうがないですね。では私がおぶっていきますよ」

「あ、ありがとうございます」

 こうしてゾルべがアレスに申し訳なさそうにおぶられながら、俺たちの前から姿を消した。

 それにしてもアレスが俺に似ていると言っていたユリウスという存在。

 それがもしかするとノルディスタントに関係しているのかもしれない。

 さらになぜか分からないが、俺自身もユリウスという名前を聞いて、心に靄がかかっているような変な感覚に陥っていた。

 いったいユリウスとは何者なのか、俺はユリウスという名前を記憶に刻みこんだのであった。


 メリルさまを連れて館に戻ると、貴族や騎士たちが大慌てでメリルさまや俺を探している光景が広がっていた。

 しばらくすると俺たちの存在に気付いたのか、ゼルドさまと王が俺たちのもとへやってきて、

「お前たち、今までいったいどこへ行っていたんだ!」

 と王が慌てた様子で俺たちに尋ねた。

「メリルさまがノルディスタントと思われる残党に連れ去られていたのを目撃しまして、急いで俺が追い、なんとか取り返したという次第です」

 誤魔化したほうがかえってめんどくさくなりそうだと考え、俺は正直に事の顛末を話した。

「そんなことが……ということはメリルは大丈夫なのか!」

 俺の話を聞いて、王は焦った様子でメリルさまを見た。

「そんな大げさに心配しなくても、ユーリのおかげで傷一つできずに済んだわ」

「そうか。ユーリくん、メリルを救ってくれて本当にありがとう」

 そう言って、王は俺に頭を下げた。

「頭を上げてください。私は護衛として当然のことをしたまでです。むしろ連れ去られているのですから俺に非があるのもまた事実です。ですからこれからはより注意してお二人の護衛に当たらせていただきます」

 そう言って俺は逆に頭を下げた。

「分かった。君は正式な護衛ということにはできないが、これからも引き続きゼルドとメリルの護衛をしてくれるとこちらとしても助かる」

「任せてください」

 こうして俺の初遠征は終わりを迎えた。

 だが一つだけ引っかかることがある。

 それは俺のもとに届いた手紙の存在だ。

 あの手紙には俺の大事な人を失うと書いてあった。

 しかし実際にはゼルドさまもメリルさまも無事であり、亡くなったのは俺が顔も名前も知らない兵士数名だ。

 その人たちがあの手紙がさしていた大事な人だというのだろうか。

 俺は特に重大な犠牲者を出すこともなく、理想的な形で初遠征を終えることができたのにもかかわらず、俺の胸の中にかかった靄は晴れないのであった。




 

 

 

 

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