第2話
グレーのコンクリート壁が、ベッドに寝そべるわたしを取り囲む。天井には黒いパイプ、照明は裸のエジソン電球。
この部屋で一番暖かい色を持つのは電球だ。オレンジ色の光は照明器具の影を天井に映し出し、木製のベッドの骨組みや机の茶色の彩度を少し上げる。暖かな色は眠気を誘うけれど、わたしは白熱灯よりこっちの方が好きだった。
うちの両親はどちらも男性体だからか、家の中の色合いが落ち着きすぎている。このわたしの部屋を始めとして、家中がこんな感じのインテリア。前はグリーンを置いてみたこともあったけれど、なぜだかすぐに枯らしてしまうからいつの間にか置かれなくなった。
性別を選択できるようになって男女の性差はより明確になった、と以前ニュース番組でどこかの教授が喋っていた。人為的な性別決定手術の影響か、男性はより男性的に、女性はより女性的に身体が作られるようになったらしい。脳への影響が一番顕著で、男女による思考の差が以前よりも色濃くなったそうだ。
生まれながらに身体の性別が決まっているのは不平等だからと、先進国では子どもはみんな無性体として生まれるようになったと学校で習った。生まれ持った性別によって役割が固定されるのはおかしい、自分の性別自体には納得しているのにその待遇に進歩がないのはおかしい――そういう声が子どもの無性化を後押しし、当時の大人たちは子どもに性別選択の自由を、〝平等〟を与えたと讃えられている。
今、男女の性差はただの身体的特徴でしかない。性別による役割分担だってなくなったそうだ。以前は男女が夫婦となり女性が子どもを産んで、そのまま子育ての主役を担うのが一般的だったらしいけれど、そう聞いてもあんまり現実感がない。
だってわたしの知っているこの国では、パートナーになるのに性別は関係なく、同性同士であっても子どもを作ることができ、パートナーどちらかに女性がいても子どもはみんな人工子宮で育てられる。人工子宮にいる間の管理は政府や病院と提携した企業だ。子育てのスタートは両親同時に切られ、仕事や得手不得手でどちらかに負担が寄ってしまうことがあってもそこに性差はない。
「――帰ってるのか?」
ノックの向こうからリュウ父さんの声が聞こえる。「うん」と返事をすれば、ゆっくりとドアが開けられた。
「おかえり。ごめんな、集中してて気付かなかった」
「いいよ、仕事だもん。ただいま、リュウ父さん」
身体の大きいリュウ父さんが肩を縮こませるとなんだかおかしい。仕事中だろうからとなるべく物音を立てないように帰ってきたのはわたしなのに、まるで自分が全面的に悪いとばかりに申し訳なさそうな顔をしている。眉毛がいつもよりも下がっているのは、きっと今日が何の日か分かっているからだろう。
案の定、部屋に入ってきたリュウ父さんは机の前の椅子を引くと、「少しいいか?」と尋ねてきた。本当は嫌だけど、わたしは「いいよ」とベッドに座り直す。それを見て、リュウ父さんも椅子に腰を下ろした。
「今日、説明会だったんだろ? アキラはそろそろどっちにするか決めたのか?」
「……わたしの誕生日は二月だよ。もう少し考える」
「まあ、一生に一度のことだしな。でももし女性体にしたいと思ってるなら早めに言ってくれると嬉しい。父さんもカエデも男性体のことにしか詳しくないから、女性体についてしっかり勉強しないと」
リュウ父さんが息継ぎをする。句点一つ分の沈黙が、わたしの背中にのしかかる。
「難しいかもしれないけど、お前が納得いく方を選ぶようにな。こればっかりは後から変えようがないから」
それだけ言うと、リュウ父さんは気を遣うように部屋を出ていった。途端、背中の重みが取れる。大きく息を吸う。肺は、なぜだか満たされなかった。
口ではどちらでも良さそうなことを言うけれど、きっとリュウ父さんもカエデ父さんも、わたしに男性体を選んで欲しいのだと思う。
友達の家に行くとよく分かる。わたしたちを取り囲む環境は、特に親によって与えられたものは、子どもの性別に対する親の希望が少なからず反映されているのだ。
アズサさんの家は両親とも女性体だから、部屋の中が優しい色で溢れている。ユウキさんの両親は男女の組み合わせで、家全体の雰囲気は色と格好良さのバランスを取ったものだけど、ユウキさん本人の部屋は男性的だ。
服だってそう。わたしは今まで一度もスカートを履いたことがない。スカートを履く子はだいたい決まっていて、そういう子はみんな女性体になりたいと言っている。
結局周りに決められるなら、どうして性別を選べるようにしたんだろう。学校の授業で教えてくれる取り繕った歴史は、わたしに納得感を与えてくれない。
〝生まれつき性別が決まっていることには、どんな問題がありましたか?〟――テストに出たら模範解答はこうだ。
〝心と体に性の不一致が起きたり、自分の性の待遇に納得感を持てなかったりする〟――これで満点。もっと文字数が必要な場合は、人工子宮の登場や性別による立場の違いに触れればいい。
心と体の性別が一致していても、女性は子どもを産むためにどうしても仕事を休まなければならないだとか、男性は女性が声を上げると不利な立場になりやすいだとか、昔は色々な問題があったそうだ。それを分かりやすく解答欄に書き込めば花丸をもらえる。自分の書いた内容に納得感があるかどうかはテストでは問われない。
とにかく、生まれつき性別が決まっていることは歴史上様々な問題があったのだ。そういった問題は、聞けば確かに苦労があったのだろうなと思うことはできる。
でも分からない。別に心と体の性別が一致していなくたって、心の性別のままであればいい。子どもを産むために仕事を休まなければならないなら、周りがサポートすればいい。
というようなことを以前先生に言ったら、それは今の時代の考えだよと諭された。当時はそういう単純で簡単なことがうまくいかなかったのだそうだ。今ではそんなこと考えられないけれど、この性別ならこう在るべきだという意識が強くて、作った制度は形だけで何の役にも立たないということが多かったのだという。
そういうことを考えれば、自分で性別を選べるようにすることは問題の解決につながるかもしれない。自分で決められることだから、どちらの性別にするかによって得られるメリットとデメリットを熟考できる。と、大人たちは言う。
でも正直、うまくいっているとは思えない。身体の成長を考えれば性別選択は十二歳より後ろ倒しにはできないらしい。十二歳――実際には十一歳までのわたしたちは、この心の中にどれだけ自分自身で選び取ったものを持っているだろう。考え方も、好みも、きっと両親や周りの大人の影響が強い。
そんな状態で選ぶ性別は、果たして自分で選んだものだと言ってもいいのだろうか。
「……選べないくせに」
わたしの中にどっかりと居座るその疑念は、選べる人間こそ持つにふさわしい。わたしのようにどちらの性別になりたいか希望の持てない人間が偉そうに言えたことではないのだ。
男性体も女性体も、どちらも魅力的だと思う。性を持つことは大人の証。それだけで自分が周囲に認められた気がして、みんなと同じようにわたしも強い憧れを感じている。
でも、自分がどちらになりたいのかは分からなかった。体が性別を持たなくなったことで、心の性別も曖昧になったという。心の性別は体の性別によって生まれるようになったのだと、学校では教えられる。
だからわたしの心も、まだどちらでもない。それはごく自然なことなのに、どうしてみんなもうどちらになりたいか決められるのだろう。どうして大人は、それが当たり前だと思っているのだろう。
決められないわたしは、どこかおかしいのだろうか。
「どっちでもいいのに」
反発心を込めたと思ったのに、ひどく頼りない声が出た。
まるで声の方が本心なのだと言われているようで嫌になる。わたしの体なのに、わたしの意思を無視されている気分になる。
「どっちなんだろう……」
わたしが選びたいのは――いや、あの子の選ぶ性別は。あの子が好きになる性別は。
それがどちらなのかなんとなく分かっているのに、なんでわたしはまだ決められていないのだろう。
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