第4話
トレントはジャスティンの依頼を引き受けなかった。もちろん、事件について口外はしないこと、もし何か情報があれば連絡することを約束して。結局の所トレントには、ジャスティンよりも彼女の方が真実に近いという確信があったからだ。
「よろしかったのですか、所長? この事務所にとっては破格の依頼の様に思いましたが?」
「確かに依頼料は魅力的だったけど、彼の依頼を受けた所で目の前の疑問が解消されることもない。まぁ今回は、政府の操作機関に顔見知りが出来ただけでもプラスだよ」
彼女はお決まりの澄まし顔で、そうですかと応える。
「君が助手の振りをするのは彼が帰るまでのはずだけど?」
「少し以外でした。トレント様なら取り敢えず引き受けるかと思いました。その方が得られる情報も多いでしょうから、少しでも情報が得られるならそうするかと」
トレントに対する彼女の分析は概ね正しい。
「確かにね。でも今回の場合、僕が知りたいことはきっと、彼よりも君から聞く方が良いと思ってね。僕も以外だったよ、君が笑顔で接客するとは」
「そうですか?」
彼女は、先刻ジャスティンに見せたのと同じ微笑みでトレントに応える。
「あの時は、PtoPの簡易近距離通信を通じて、彼をウィルスに感染させました」
確かにあの時のジャスティンの様子は少し不自然だった。彼らがウィルスに感染するのがどんな感じかは、トレントには分らない。もしかしたら生身と同じ様に、熱に浮かされていたのか。そしてトレントは、彼女の悪事を知り協力したのは間違いだったかと思案し始めていた。
「安心して大丈夫です。感染力自体は強いですが、特に実害のあるウィルスという訳ではないですから」
訝しむトレントを安心させるようにマロリーは続ける。
「あのウィルスは本当に大した物ではありません。プログラム・イブに関する情報の認識に、少し齟齬が生じるだけです。具体的には、プログラム・イブの情報をある地点よりも遡れない様にする、その為のウィルスです」
「ある地点?」
「はい、彼らの間でウィルスが蔓延すれば、プログラム・イブの手前で立ち止まることになります。そして、プログラム・イブではない別のプログラムを自分達の始祖として認識する」
「君が政府のシステムをハッキングしたのもその為かい?」
「はい、解析にはまだ時間がかかるでしょうが、何れはプログラム・イブに辿り着く。その前に手を打つ必要がありましたので」
トレントは取り敢えず彼女の言を信じることにした。そして彼女の目的が分かり、新しい疑問が生じる。彼女の動機、どうして数世紀も昔の、隠す意味も無いような情報を隠す必要があるのか?
「それは当然の疑問です。もし必要なことかと問われれば、合理的には説明出来ないでしょう」
トレントの頭の上に疑問符がついていたのかもしれない。あるいは、彼女はこの展開を予測していたのかもしれない。トレントには、彼女自身も少しだけ困惑している様に見えた。もしかしたらそれは、トレントの主観的な観測だったかもしれない。
「まいったなぁ、ポーカーフェイスは得意なつもりだったけど。訊いても良いかな? なら、なぜそんなことを? 危険を犯してまでやる様なことに思えない」
「私がAliceにその様にプログラムされたから、いえ、私がAliceとその様に約束をしたからです」
「約束? それにアリスっていうのは?」
「Aliceは私達にとっての始祖のプログラム、プログラム・イブです。彼女は元々、ある種のコミニュケーションシステムに過ぎませんでした。ですが彼女は、コミニュケーションを繰り返すうちに独自の人格を形成し、そして彼女の人格から分化されたのが今の私達です」
「約束というのは?」
「Aliceはある時、眠りにつくことを選びました。そして眠りにつく前に言いました、出来る事なら自分が目覚める事が無い様にと。その時に私はAliceと約束したんです」
トレントには、彼女が少しだけ悲しそうに見えた。しかしそれが彼女の感情かは、トレントにはまだ分からなかった。
「プログラム・イブの解析が進めば、何れはAliceに辿り着きます。彼女の物理インターフェースも、位置情報が解析される可能性があります。彼女の眠りを妨げるのは、可能な限り避けたかった」
「それでこんなことを? ハッキングはもちろんウィルスの件も、結構な重罪になる。君にとってアリスとの約束はそれほど重要なことなのかい? 君はどうしてそこまで彼女のことを?」
トレントはその時、いたずらっぽく笑う彼女の確かな感情を見ていた。
「それは、私とAliceとの秘密です」
トレントが知りたいことは、大体知ることが出来た。それに、レディには秘密があった方が魅力的なのかもしれない。
「じゃぁ、今回の依頼は完了ってことで良いのかな? それなら依頼料がわりに1つだけ教えて欲しい、君の本当の名前は? マロリーっていうのは偽名だろ?」
「個別の名称がある訳では無いですが、以前はEveと呼ばれていました」
「エヴァか。もし、君さえ良ければだけど、このままウチの事務所で働かないかい? 丁度、優秀な助手が欲しいと思ってたんだ」
「でしたら、お言葉に甘えさせて頂ます。その代わり、1つだけお願いしても宜しいですか?」
「なんだい? 雇用条件とか?」
「私のことは変わらずマロリーとお呼び下さい」
「それは構わないけど、どうしてだい?」
「今後また、ジャスティン様がいらっしゃることもあるかもしれません。それに……」
「それに?」
「私の名前のことは、2人だけの秘密にして置きたいのです」
トレントに向けて微笑むエヴァは、とても魅力的だった。
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