第四話 木霊 その一

 鞠絵がいつものように店番をしていると、50代あたりの年頃と思われる男が店に入ってきた。一目見ると分かる。古本屋の方の客ではないと。齢にしてはある程度鍛えたような体つき。オカルト本を好む人物には見えない。それに、なんといってもおかしい、彼に「付き添う人物」。


 彼は鞠絵の前までくると、なんと話したらいいのかという戸惑いを一瞬見せたあと、カウンターの壁に貼り付けてある相談受付の張り紙を指した。

「あーっと……。これ、で来たの、ですけどね」

 途切れ途切れで不安げに語る彼は杉山と名乗った。

 彼の相談を受けるため、店の表に臨時休業の札を下げる。緊張した面持ちの彼にお茶を出すと、一口飲んでため息をつき彼は話し始めた。


 彼は最近ある山に行ったそうだ。よく慣れた山で、その日も風景を楽しみながら登っていたとのこと。しかし、慣れるというものは時に油断を生む。

 少し道幅が細くなっているところを移動中、足元に感じた浮石を避けようとしたところ、山道の斜面から滑落してしまった。幸い、と言っていいのだろうか。山肌は木々に覆われており、それがブレーキとなって長い距離を落ちることはなかった。

 しまった、と思いながら立ち上がろうとするが、足に痛みが走る。折れてはいないようだが、無理をすることは危険だと判断し、対策を考えた。ポケットに入れていた携帯電話は足元に転がっており、いわゆるガラケーのそれは破損している。

 

 その日は休日で、登山客は割りと多かった。これなら落下地点から山道まで声が届くかもしれない。杉山は山道に向けて呼びかけてみた。

「おーい!」

 誰か通りかかればいいのだが……。杉山の位置からは山道がなんとか微妙に見える。これなら、誰かが通るのも見えるかもしれない。無駄に叫んで体力を消耗するよりも誰かがくるのを待つほうがいいのだろう。幸い、まだ昼前で、日没には遠い。

 と、分かってはいても、焦りはあった。

「おーい!」

 もう一度呼びかけたとき、ふと違和感を覚えた。周りの木々に反響するこだま。それがなにかおかしいような気がする。

 なんだろうか。

「おーい!」

 もう一度声を出してみる。そして気づいた。杉山の声に重なるように聞こえる声。木霊だろうか。いや、違う。声の質そのものが違う。杉山の声に重なり、少女のもののようなそれが重なって聞こえる。

 

 杉山はそこでふと恐ろしくなり、声をだすのをやめた。そもそも無駄に呼びかけても仕方ない。わずかに見える山道を見つめてしばらく。赤い登山ウェアを着た人物がちらりと見えた。

「おーーーい!!!」

 先程より、大きな声で呼びかけた。それに木霊する少女の声。不気味さに怯えつつ、山道を見ていると件の人物がどうやら気づいてくれたようだ。

 体つきがしっかりしているその人物は男で、そろりそろりと降りてきて、杉山の状態を確認してくれた。自力下山は控えたほうがいいだろうということになり、男が持参している携帯電話で救助を要請した。

「あ、荷物バラけたの、今のうちに拾いますか」

 男がそう言う。荷物はほとんどリュックに入れており、それほどバラけてはいないはずだ。そう言うと、男は

「ほら、そこのそれとか」

 と杉山の後ろの藪からちらりと覗いている青い布のようなものを指した。

「あれ?」

 それは杉山が持ってきたものの中にはないものだ。なんだろうか、と藪を覗いていみると予想だにしない「もの」がそこにあった。


(続く)

 

 

 

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