第一話 母
いつもの朝。鞠絵は店の戸をあけ、暖簾をかけた。古書店には似つかわしくないそれ。鞠絵が店主を務める「奇海堂」は元々は祖父が経営していた骨董品店だった。古めかしく、ノスタルジックな店構えには、なんとなく暖簾がないことには締まりがつかない雰囲気がある。そのため、古書店を開く際に暖簾を用意し、開店時にかけることにしていた。
店の経営にも慣れ、一日のルーティンワークも決まってきた。大抵の場合、開店直後からはインターネットで注文の入った本の送付作業をする。といっても毎日数冊程度だが。
その日もいつものように作業を進めていた。目線を本に向け、ぼちぼちと作業をしているとなにやら視線を感じる。こういったことは鞠絵にとってはよくあること。特に気にも止めず、次に送る本を手に取り、パラパラとページを捲った。汚損はないかなどといったことは買い取るときに確認済みだが、念のための最終確認だ。
パラッと最後のページを捲ると、なにやら奇妙な手応えがある。確認してみると小さな子どもを抱いた母親と思しき女性が写った写真が入っていた。
このようなものが買い取りのときに入っていただろうか。確かこの本は大量に売りにきた本のうちの一冊だったような記憶がある。もしかしたら見落としたのかもしれない。恐らくは大切なものだろう。売り手の連絡先は控えがあるはずだ。こういった場合に備え、相手の連絡先は控えてあるのだ。写真を手に取りしばし眺めた。
先程感じた視線が強くなる。
この写真の関係者か、鞠絵はそう直感ししばし時を待った。落とした視点の端から誰かが近づいてくる足元が見える。
この世ならずものの。
恐らくは。
男性の足。
若いと思われるそれには見覚えがある気もする。ふと見上げると、そこには予想通り若い男が立っていた。彼には見覚えがある。この近くの大学の学生で、民俗学を専攻していた。この店はオカルト専門とは言っても、いわゆるホラーものだけを扱っているわけではない。各地に残る風習や不可思議な伝承などを記した本もある。そういった本は、よく学生たちが買っていた。卒論やレポートなどに使用し、使い終わると小遣い稼ぎのために再び売りにくる。そういった小さなサイクルがこの店ではできあがっていた。
とはいえ、これらの本を彼が売りもどしにきた記憶はない。無言で立っている青年を尻目に連絡先の控えを確認した。名前を見て、売りにきた人物のことが思い出された。初老を過ぎた白髪交じりの男性。どこか疲れたような様子が印象的だった。
売りにきた人物に対し、その事情を問うことはない。彼はこれらの本に挟まっていたこの店の栞を見て売りにきたのだと話していたのを覚えている。
それを思い出し、鞠絵は目の前の青年に改めて視線を戻した。悲しげな顔で見つめ返す青年。彼の言いたいことがフラッシュバックのように脳裏に浮かんだ。
彼はどうやら自死したらしい。そして、その後供養も虚しくこの世に
彼はどうやら母に迎えに来てもらいたいようだ。
鞠絵は、古本屋を営む傍ら、心霊相談なども請け負っている。それは密かに有名で、この店に出入りしている者なら大抵知っていることだ。この青年も、鞠絵の話を興味深げに聞いていた。どうやら依頼ということだろう。
とはいえ、しばらく試行錯誤しても彼と彼の母を繋げることはできなかった。こういったことはよくあることだ。悲しいことに自死した者が自身が残した妄執に捕らわれている限り、既に浄化した者との繋がりは少々難しくなる。
彼は失恋によって自死を選んだようだ。母に迎えにきてもらいたい、という想いがある一方で、こうなったことへの自身への哀れみ、そして残すことになった父への罪悪感がなお彼の胸を占めている。
しかし、彼が母に迎えにきてもらいたいということは浄化へと辿り着きたいという想いの現れでもある。今すぐには無理そうだが。
そこで、鞠絵はひとつ案を思いついた。それを実行するためにこの本の売り主に連絡を取った。電話に出た売り主に、本から写真が出てきたことを話すと男はどこか寂しげなため息をついた。これなら話が早いかもしれない。鞠絵は雑談のようなふりをして写真にうつる子どもが彼の子どもなのかと話を振った。
すると、思惑どおり彼はYESと答え、また成長した子どもが自死したことを告白した。鞠絵は驚いたようにそれを受け止める。男は大切な写真だから、と受け取りにくると答えてくれた。そして、その写真を仏壇に飾るとも。その仏壇に飾るという行為こそ、鞠絵が望んでいたことだった。
素知らぬふりで伝えたことだが、願いどおりになった。青年に写真へ宿るようにと伝えた。
これで彼は写真に宿りながら仏壇で過ごすことになる。少々時間はかかると思われるが、盆などの仏事で少しずつ浄化されていくことだろう。
後日、父親が写真を受け取りにきた。
まだ家族の幸せが残っていたころの写真を見て、彼は少し涙を流した。大切に胸ポケットにしまい込み、帰っていく。
温かい父の胸元はさぞかし居心地がいいだろう。店を出る寸前、立ち去る父親をみると、あの青年が深々とこちらにお辞儀をしているのがみえた。
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