045 もう痛いのはイヤ。


 強固な鎧の如き鱗に覆われし肉体、鋼を容易く断ち切る牙や爪、天空を翔ける翼。ブレス等の様々な特殊能力を持ち、魔法すらも自在。

 正しく、この世界において『最強』とされる種族。それこそが──ドラゴンである。

 竜は基本的に群れない。そして、子育てというものもほとんど行わない。

 一、二年ほどで巣から放り出す、種によっては適当な場所に産卵して放置なんてこともざらである。


 氷竜は親の顔など知らない。興味もない。

 この世に生まれ落ちてからおよそ二百年。己こそが最強であることを、ほんの欠片ほども疑うことなく生きてきた。氷竜を取り巻く環境の全てが、その事実を証明していたのだ。

 風の吹くまま気の向くまま。少しでも目障りだと感じた存在は全て殺し、何となく心惹かれる財宝を集める。そうやって今まで生きてきた。

 いつしか、歯向かう存在はいなくなった。

 竜という最強の種でありながら、属性魔力をもその身に宿している氷竜に敵などいるはずもない。


 だが──転機は突然訪れた。


 何者かが近づいてくる気配を感じ取り、ゆっくりと目を開けた。──人間だ。

 抱いた感情は強烈な不快感と苛立ち。

 自身の眠りを妨げた。それだけでこの人間は万死に値する。

 さっさと殺してしまおうと思い、氷竜が身体を起こしたそのとき──笛の音が聞こえた。

 魔道具『支配の魔笛』。それはどこの国にも属していないとある組織によって、独自に開発されたもの。


 ──ゾワリ。


 氷竜の体がほんの僅かに震えた。

 生まれて初めて感じるその感情の名は分からない。分かりたくもない。

 人間のものとは比にならない竜の鋭敏な感覚により察知した、ありえるはずのない危険。

 精神が黒く染まっていき、思考の一部が剥離し遠のいていくような奇妙な感覚。

 氷竜はようやく、自身が明確な恐怖を抱いていることを自覚する。

 

 今──己の精神が乗っ取られようとしている。

 

 ありえない。ありえるはずがない。

 たかが人間如きにそんなことできるはずがない。


「グルガアアアアアッ!! おのれ……おのれ人間がァァアアアアッ!!」


 血を吐くような絶叫を上げ、抵抗する。

 だが、どれほどの抵抗をしようとも意識は侵食されていく。

 ブレスや魔法による攻撃をする余裕などありはしない。抵抗することに全神経を集中させなくては、瞬く間に支配されてしまうからだ。

 長年の研究、幾重にも積み重ねられた改良。

 それにより、『支配の魔笛』は最強の種たる竜をも支配するに至ったのである。


「素晴らしい……成功だ! これは、団長もお喜びになられるぞッ!」


 ──しかし、その支配は完全なものでは無かったのだが。


 §


 自身の周りを飛び回る蚊のような、目障りで鬱陶しい害虫。

 氷竜からすれば人間の認識などこの程度だった。

 人間にとっての虫。竜にとっての人間。認識という点において、そこに違いは存在しない。

 ただ、イライラしているから殺す。理由なんてそれで十分である。

 己以外の全ての種族が下等種でしかない。そして、それは不変の事実であり今後も変わりはしない。──そのはずだった。


「──《ダークスラッシュ》」

「ギャァァァアアアアアアアアアッ!!!」

 

 ここで、これまでの認識が粉々に砕け散る。

 今まで感じたことのない激痛は、氷竜に生まれて初めて『死』を彷彿とさせた。


「──《デュアル・ダークスラッシュ》」

「ギィィイイイイヤアアアアアアッ!!!!」


 次に、己こそが最強であるという傲慢さが消し飛ばされ、心の一部が壊れた。

 もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。

 死にたくない。死にたくない。死にたくない。

 ただただ生にしがみつかんとし声を出そうとしたが、それよりも速く振るわれるその剣。

 絶望に染まった氷竜には、目の前の人間が悪魔にしか見えなかった。

 恐ろしくゆっくりと時間が流れる。


「──《トリプル・ダークスラッシュ》」

「ガァァァア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッ!!!!」


 もし、氷竜がもっと強敵に恵まれ、『痛み』への耐性を得ていたなら──結果は変わっていたのかもしれない。

 ルークによって与えられた痛み。

 初めて感じる痛みとしてはあまりにも強烈過ぎたそれは、氷竜の性格、考え方、価値観といったものの全てを、以前とは完全に異なるものへと変えてしまった。

 これは──『再誕』である。

 氷竜はこのとき新たに生まれたのである。


(謝らないと謝らないと謝らないと謝らないと謝らないと謝らないと謝らないと──)


 氷竜は決めた。謝ろうと。まず、謝ろうと。

 調子に乗っていました。ごめんなさい。

 それから何度も全力で謝れば、もしかしたら許してくれるかもしれない。そんな淡い希望を抱いて。


(……え)


 またしても、目の前の人間の剣に無慈悲な光が集約していく。さらに大きく、さらに禍々しく。


(あ、これもっと痛くなるんだ……なるほど……──はぁぁあああああ!? ムリムリムリムリッ!!)


「アッハッハッハッハッ!! ──《クアトロ──》」

「──まままままま待ってッ!! ちょっと待ってくださいッ!!」


 無意識に発した初めての敬語。

 一度たりともやったことがないというのに、自分でも驚くほどスムーズに体は動いた。

 これが本能なのだと確信しながら、頭を地に伏し、四肢と尻尾を可能な限り小さく丸めた。

 体全体で風を感じた。剣が止まったのだ。

 あの痛みがこないのなら、もうあとはどうでもいい。どうとでもなれ。

 自暴自棄とはまさにこのことだった。


「……何の真似だ?」

「ぜ、ぜぜ、全面的に……こ、降伏しましゅ……」


 人間に頭を下げる。

 以前の氷竜なら尋常ならざる屈辱に顔を歪め、血涙を絞っていたことだろう。

 しかし、違う。

 今の氷竜にあるのは、攻撃が止まったことへの底なしの安堵と、言葉を噛んでしまったことへの僅かな気恥しさだけだった。


 ルークは目の前で震える憐れな氷竜を見下ろしながら、少しだけ考える。より自身にとって利があるのは何か、ということを。


「──名は?」

「は、はい……?」

「名はあるのか、と聞いている」

「あ、あります! あります!」


 なぜ二回言うのか、と思ったがその事にルークが触れることは無かった。


「なんだ」

「き……『キング・オブ・ザ・ワールド』で、でしゅ……」

「……は?」

「ひぃぃぃ、ごめんなさい! ごめんなさい! 我如きが、おこがましいにも程がありましたぁぁぁ!」

「…………」


 世界の王──この名は、氷竜自ら付けたものだ。名など必要はなく、ほんの暇潰しに考えたものだったが、自分こそはこの世界の王に相応しいと本気で考えていた為、この名前はかなり気に入っていた。

 だが、ルークはそんなことを知るはずもない。ゆえに、ふざけているのか? と考え、少し怪訝な顔をした。

 表情こそ見分けがつかないが、目の前の人間の機嫌が悪くなっていることを、氷竜はその優れた知覚能力によって鋭敏に感じとった。身体が心臓を握られたように震える。

 マズイ。途轍もなくマズイ。

 氷竜の思考が高速で回る。


「そそそ、そうですね……名前は考えておきます……」

「……ふむ」


 直ぐに良い名前が思いつくことは無かったが、できるだけ慎ましいものにしようと氷竜は思った。

 気に入っていた『キング・オブ・ザ・ワールド』という素晴らしい名は、この人間にあげよう。

 きっと喜ぶ。自身の敬意も伝わる。

 氷竜はそう考え、口を開こうとしたら──


「クク──決めたぞ。お前は、我が領地のマスコットになってもらうとしよう」

「……ふぇ?」


 ルークは考えていた。

 父から受けた大きすぎる恩を返す方法を。

 たとえ、肉親であろうとも借りは作りたくないのだ。

 そこで思いついたのが、氷竜をギルバート領のマスコットにすることで、更なる繁栄を築くということだ。

 必ずや、物珍しい属性竜エレメンタル・ドラゴン見たさに多くの人間が集まり、莫大な富をもたらすだろう。


「これから一生、俺の駒としてお前が我が領地の繁栄のために尽くすのならば、生かしてやろう。見下していた人間の為に尽くさねばならんのだ。さぞ屈辱だろうが、命を奪わないでやるだけ俺は寛大だろゥ? クク」

「なりすます!! 我、駒になります!!」

「……え」


 屈辱に顔を歪ませると思っていたルークは、何故かノリノリで、もはや食い気味で駒になろうとする氷竜に困惑した。


「……そうだ、素材も貰うぞ。お前ら竜は、驚異的な再生能力を有しているのだろう? ならば定期的に爪や牙、鱗を剥ぎ取っても構わないよなァ? ククク、ハッハ──」

「もちろんです!! 我が肉体が主様のお役に立つのならば、これにまさる喜びはありません!!」

「…………」


 ルークに罪悪感こそなかったが、かなり尊厳を無視したことを言っている自覚はあった。

 なのに、だ。

 目の前の氷竜は依然ノリノリなのである。

 わけがわからない。

 

「では、お近づきの印に……」

「──待て……何をしている?」

「ひぃっ、尻尾を切って献上しようと思いまして……どうせすぐ生えてきますし……」

「今は……いらん」

「か、かしこまりました」

「…………」


 ルークの困惑はさらに深くなる。

 つい先程まで『人間風情が──』などと言いながら、自身を殺そうとしていた竜のこの豹変はなんなのか。


「……まさかと思うが、この俺を騙せると思っていないだろうな? 無駄だぞ。お前は契約魔法によって、俺の『従魔』とするからなァ。ククク、隙を見て逃げようなどと考えていたのだろうが──」

「光栄ですぅぅぅッ!!」

「…………」


 これからずっと、ルークの『敵』ではなくなる。

 その事実に対しての溢れんばかりの喜びのみが、氷竜を満たしていた。


「さっそく、ぜひ!」

「あ、あぁ……」


 ルークは再び思考を巡らせる。

 これは何らかの罠なのではないか。

 見落としていることは無いか。

 しかし、いくら思考を巡らせてもそんなものは見つからない。だからこそより一層、気味が悪かった。

 本当に従魔にすべきか迷うほどに。


「──『契約:従魔』」


 ルークと氷竜を中心として巨大な魔法陣が現れ、眩い光を発した。

 契約魔法とは、お互いの合意がなければ成立せず、契約内容の重さ、契約する対象によって必要とされる魔力が変わる無属性魔法だ。

 だが、凄まじくスムーズに契約は成った。


「…………」


 ルークと氷竜の間に見えざる繋がりができる。

 それを通してひしひし伝わってくる、心から絶対服従を誓うという氷竜の感情。


「誠心誠意、お仕え致します──」

「……うむ」


 疑うことに疲れたルークは、氷竜の尻尾肉をギルバディアの新たな名物にしようか、などと考えながら氷竜の背に乗った。

 そして、遠目に状況をうかがっていた冒険者たちの所へと戻る。

 その姿は正しく竜を従える古の英雄。

 次の瞬間、全ての者たちが一斉に拳を突き上げ、勝利を祝う雄叫びを上げた──。


 §


「あー、うん! これは無理だね!」

「──ムリ。ムリすぎ」


 ターバンを巻いた男女が二人。

 とある場所にて、ルークと氷竜の戦いの一部始終を見ていたカニスとフェーリス。

 その表情は、憑き物が取れたように晴れやかなものだった。


「いろいろ頑張ってはみたけど……こいつは命がいくつあっても足りないねー。となると、俺たちが選べるのは二つ。一つはどこか遠くに逃げること。もう一つは──」

「…………」


 カニスとフェーリスは行動する。

 全ては、自分たちの為に──。

 

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