044 ダークスラッシュ。


「グルガァァアアアアアアッ!!!」

 

 氷竜は喉奥におぞましい程の魔力を溜め、そして凍てつくブレスを吐き出した。

 ルークの能力が如何に優れていようとも、直撃すれば命はないだろう。

 だが彼は、何気ない日常であるかのようにただ静かにそれを見据えた。そして、その僅かにつり上がった口角と共に一つの魔法を発動する。

 

「──『闇の太陽』」


 ブレスが吐かれてから直撃するまでの一秒にも満たない刹那。ルークはそのブレスに込められた魔力量を恐ろしく正確に感じ取り、問題なく吸収できると判断した。

 その右手より生み出された闇の太陽は、ゆっくりと天に昇る。それに引き寄せられるように、氷竜の吐き出したブレスは不自然に向きを変え、そのまま飲み込まれてしまった。


「小癪なッ!! こんなものッ!!」


 氷竜はもう一度その凍てつくブレスを吐き出した。ルークに向けて、ではない。全てを飲み込む黒き太陽に向けてだ。

 ただし、それは先程のものとは少し異なっていた。より狭く、より集約されたものだ。──刹那、闇の太陽は凍りついた。

 ルークの魔法が破られた瞬間である。


「……素晴らしい」


 人間では遠く及ばぬ、海のように深い知識ゆえか。それとも、卓越した洞察力ゆえか。

 氷竜は闇魔法の弱点を見抜いていた。その弱点とは、『一度に吸収できる魔力量には限界がある』ということ。

 だからこそ、氷竜はより魔力密度を高めたブレスを吐いたのである。


「やはり、魔法において魔力密度は極めて重要ということか。──クク、ロイドは優秀だ」

「何を言って──ッ」

「ならば、こちらも核に魔力をより集中させればいい。より濃く、より小さく。──『極・闇の太陽』」


 これはマズい。

 氷竜は本能によりそれを悟った。

 先程と同じ魔法であるはずなのに、ブレスはもちろん、自身が使えるどの魔法でもこれは壊せない。

 直観でしかないはずなのに、氷竜にとってそれはもはや確信に近かった。

 加えて、あまりにも速く練り上げられた魔力。ルークは魔法発動までのラグがほとんど無いに等しい。

 ゆえに迷ってる暇はなく、今すぐに決断しなくてはならない。この闇の太陽が大気中の魔力を吸い上げ、大きくなる前に。


「──ッ!!」


 物理耐性、魔法耐性、共に恐ろしく優れているのが竜という生物だ。加えて、驚異的な再生能力すらも備えているのだから、まさに人間とは生物としての格が違うのである。

 氷竜が選んだのはその強靭な肉体によって魔法を破壊すること。──鞭の如くしなやかで、槍の如く鋭い尻尾を凄まじい速さで振り、闇の太陽を斬り裂いた。


「ガアアアッ!!」


 瞬間、自身の魔力が急速に奪われる感覚。氷竜は驚愕した。ほんの僅かな接触でこれほど魔力を奪われたのだ。──直撃することは、何としても避けなければならない。


「なるほど、竜の耐久力の異常な高さは文献通り。ダメージを与えるには圧倒的物理攻撃、もしくは圧倒的魔法攻撃が必要。──その両方なら尚良し、か」

「……っ」


 ルークは獰猛な笑みを浮かべた。

 この時、氷竜はようやく真に理解した。目の前にいる存在は人間という下等種でありながら、竜である自分を本当に殺すつもりなのだと。

 氷竜に人間であるルークの表情など分かりはしない。しかし、人間とは比にならない程に研ぎ澄まされし鋭敏な感覚によって、それを悟ったのである。

 理解した瞬間、氷竜は久しく抱いていなかった感情が、もやのようにじんわりと広がっていくのが分かった。その感情とは──

 

(……まさか、この我が──『恐怖』しているというのか……?)


 だが、その恐怖はすぐさま別の感情によって塗りつぶされた。焼けつくような憤怒に。

 氷竜にとって、たとえ一瞬であろうとたかが人間に恐怖したという事実は受け入れられるものではなかった。


「人間風情がァァァアアアアアアッ!!!!」


 氷竜は翼をはためかせ加速する。


「クク……アーハッハッハッ!! やはり、死合うというのはいいなァ!!」


 怒りに身を任せつつも、ルークにあの魔法を使わせてはいけない、という理性的思考のもとに氷竜は距離を詰める。

 対して、ルークもまた魔法によって創り出された翼をはためかせ──真っ向から迎え撃った。


 氷竜の鋭い爪や牙とルークの剣が幾度となく交わる。人間と竜。純粋な力において、どちらが勝っているかは火を見るより明らかだ。

 ひっかき、噛みつき、尻尾の薙ぎ払い。

 どれも人間ならば致命傷となるもの。

 ただし──当たればの話だ。

 その全てが躱され、いなされる。

 氷竜の一撃がどれほどの速さ、どれほどの重さがあろうとまともに攻撃が当たらない。

 ブレスや魔法を使おうとも闇魔法で相殺される。

 その膠着状態は確実に氷竜を苛立たせた。人間ごときに手間取っていることへの苛立ちだ。

 だが、どんどん鋭さを増していくルークの剣撃を身に受ける度に、自然とその感情は薄れていった。


「…………ッ」


 最初の攻防の時点で気づいていた。

 怒りと共に無理やり塗りつぶし目を背けたが、もはやそんなことは言っていられない。


 ルークという存在を──単なる『人間』であると見くびってはいけない。


 でなければ死ぬのは自分の方だ。

 氷竜はそのことを本能によって感じ取り、ルークを対等な存在と認め、命を懸けることを決めた──。


 §

 

 魔法を至上のものとするミレスティア王国において、その半数以上が魔法とは無縁である冒険者の立場は決して良いものではない。ゆえに、優秀な冒険者ほど他国へと流出してしまう傾向があることも、自然と言えるだろう。

 そして、ここギルバディアにはAランク以下の冒険者しかいない。


「…………すげぇ」


 誰かがぽつりと呟いた。

 ルークと氷竜の戦い。この場にいる者にとって、それはとても現実と思えるものではなかった。

 Aランクの冒険者とは、才能のある選りすぐりの上級冒険者に他ならない。

 しかし、さらにその上。真に選ばれし者たるSランク、Xランクの冒険者たちとは比べることすらおこがましいのであると思い知らされた。

 その戦いは、見る者を絵物語の世界に迷い込んだのだと錯覚させた。

 ここは戦場。常に臨戦態勢でなければならないと分かっているはずなのに、大半の者が剣を下ろし、ただただ見入っていた。


「ルーク君……一体君はどこまで──」


 アベルもまたその一人だ。

 凄い。それ以上の感情はなかった。

 いつか自分もこうなりたい、という憧憬の念。その当たり前の感情を──アベルは抱くことができなかった。


(──ルーク君にはなれない)


 あるのは、『こうはなれない』という確信である。

 しかし、それは諦めではない。

 自身の道を歩むことへの覚悟と決意だ。


(今は離れすぎていて、どれだけ離れているのかすらも分からないよ。でも……いつか追いつきたい。どんなに時間がかかっても、いつかきっと──)

 

 すぐ近くに死を彷彿とさせる凶悪な存在がいるというのに、取り乱す者はなく、言葉もなく、とても静かなものだった。

 しかし──


「素ゥゥゥ晴らしいィィィイイイイイイイイッ!!!」


 そこに響く狂喜の叫び声。

 全ての視線が声の元を探し動く。

 そして、環状囲壁の上にそれを見つけた。──アルフレッドである。

 頑として避難しないクロードと共に、ルークの戦いを見守っていたのだ。


「……え。アルフレッド、一体どうし──」

「旦那様ァァアアアッ!! ご覧になられておりますかァァ!! これこそがァァッ!! これこそが私の辿りつけなかった、カァァァミの領域にございますゥゥゥッ!!」

「…………」


 長年我が家に仕えているというのに、自分はアルフレッドのことを何も知らなかったのだと、このときクロードは思い知らされたのだった──。


 §


 大抵の魔法は、術者の捻出魔力を『規模』と『速度』に振り分け発動される。ほとんどの者がそれを自覚することなく、無意識にその割合を決定している。

 アスラン魔法学園で学ぶなかで、ルークはこの事実を知った。──しかし、彼はそれすらも自由自在であった。

 努力の果てに会得したものではない。

 誰しもが教わらずとも手足の動かし方を知るように、魔法に関するほとんどのことは最初からできてしまうのである。

 ゆえに、つまらないと感じてしまうだが。


 ルークが闇の魔力により飛行魔法を凄まじく発展させた新たな魔法──『闇の翼』。


 羽ばたきと共に大気中の魔力を吸収し、その全てを『速度』へと変える。

 それによってルークは、単なる飛行魔法とは比べものにならないほどの速さを得ているのだ。空の王者たる竜をして、捉えられないほどの速さを。


「ちょこまかと……グッ!!」

「…………」


 氷竜の噛みつきを躱し、すれ違い様に翼を斬る。

 しかし、何度斬りつけてもダメージは微々たるもの。それほどに、竜の耐久力は凄まじかった。


(『闇の暴食』を使おうかとも考えた──が、しかし)


 それは、今のルークが持つ最終手段。魔力を吸収するという特性を昇華させた、物質をも飲み込む凶悪な魔法。だが、この魔法は未だ発展途上であり、体への負担も計り知れない。


(──もったいない。魔法など使うか。必ず斬ってやる。コイツの動きは既に見切った。実に単調でつまらん。所詮、魔物ということか)


 ルークは『闇の暴食』を使う気などなかった。

 剣に宿る、魔力とは異なる未知の力を完璧に自身のものとし、氷竜を斬り裂く。それが、ルークの成さんとすることだ。

 今までぼんやりとしていた感覚が、氷竜との攻防の中でどんどん研ぎ澄まされていき、明確なものとなっていく。魔法で終わらせるなどもったいないではないか。

 

 ルークはこれまで、この力がなくとも斬れていた。いや、斬れてしまっていたと言うべきだろう。

 だが、今まさに真に斬ることのできない強敵と対峙しているのだ。

 氷竜の爪や牙による攻撃を剣で捌く。

 魔法やブレスをも捌く。

 幾重にも繰り返されるそのやり取りのなかで、ルークは確実にその力をものにしていった。

 そして──


「あぁ、これか」


 時は満ちた。

 ルークはその力の源を正確に把握することはできなかった。だが分からずとも、その悪魔的才覚により扱えるようになってしまったのだ。

 これは、『戦士が扱える魔法』のようなもの。今はその程度の理解でいいと判断。すぐさま意識を切りかえ、剣に全ての集中力を注ぎ込む。

 ルークの剣に光が集約していき──


「──《スラッシュ》」


 戦闘が始まって以来、氷竜の強靭な肉体から最も多くの鮮血が舞った。

 

「グァァアアアアッ!!!」

「ハッハッハッハ!! ついにできたぞッ!! いいなァこれ!! ──そうだ、混ぜてみるか」


 それはほんの思いつき。

 ルークはたった今会得したばかりのその特殊技能に、闇の魔力を混ぜてみようと思った。

 氷竜の凄まじい魔法耐性。これは、『魔法障壁』のようなものをその身に宿しているのだと、ルークは考えた。ならば、闇を纏わせればいい。

 剣に集約した光が黒く染まる。

 それがどれほどの高等技術であるか理解することなく、ルークは成しえてしまったのだ。


「──《ダークスラッシュ》」

「ギャァァァアアアアアアアアアッ!!!」


 約二百年、感じたことのない激痛を氷竜は味わい、悶え苦しみながら地に落ちた。


「もっとだッ!! もっともっといくぞッ!!」


 一度掴んだその感覚は、もうルークにとって手足と同じだった。

 先程よりも大きな光が剣に集約し、そして黒く染まった。


「──《デュアル・ダークスラッシュ》」

「ギィィイイイイヤアアアアアアッ!!!!」


 振るわれたるは神速の二連斬り。


「──《トリプル・ダークスラッシュ》」

「ガァァァア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッ!!!!」


 そして、神速の三連斬り。

 鮮血を撒き散らしながら叫ぶ氷竜。

 その返り血に染まりながら、心底楽しそうに嗤うルーク。

 またしても剣に光が集約する。

 さらに大きく、さらに禍々しく。


「アッハッハッハッハッ!! ──《クアトロ──》」

「──まままままま待ってッ!! ちょっと待ってくださいッ!!」


 ルークの剣が直前で止まる。

 その凄まじい風圧は、辺り一帯に舞い上がっていた土煙を一瞬にして吹き飛ばした。


「……何の真似だ?」

「ぜ、ぜぜ、全面的に……こ、降伏しましゅ……」


 頭を地に伏し、四肢と尻尾を可能な限り小さく丸めたその姿は、竜の最大限の敬服を表す。──服従のポーズであった。

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