036 くたばれ運命。


 アスラン魔法学園に入学してまだ数ヶ月しか経っていないが、俺は多くのことを経験した。

 その大半が面倒で、鬱陶しくて、俺を悩ませる厄介事だったのはなぜなのか。その答えは未だわかっていない……本当になぜだ。

 ただ、少しだけ信じるようになったことがある。


 ──『運命』というやつだ。


 俺は、主人公であるアベルに敗北するという運命に抗い、己が幸せを勝ち取る為に努力することにした。

 きっかけなんてその程度だし、今も多少の差異はあれど根本は何も変わっていない。

 だが、実際どうだ。努力したが故の不具合とでも言うべき厄介事が次々と起こる。

 だからだろうか。俺は疲れていたのだ。

 実家に戻り、そのベッドに横たわってまず初めに抱いた感情は──ずっとここにいたい、だった。


 ここには俺を煩わせるものは何もない。全てが揃い、全てが満たされている。とても素晴らしい。

 外の世界には厄介事が溢れているというのに、どうしてこの家を出なければならない。

 ずっと居ればいいではないか──。


 ……そんな、完全なる引きこもりの思考を一瞬でもしてしまっている自分に気づいた時、俺はふと思った。

 これが運命というやつなのかもしれない、と。

 どうしても俺は、実家に引きこもってしまう運命なのではないか……と思ってしまったのだ。


『──実はな、ルーク。レノックス家から縁談を持ちかけられている。ミア、という名だ。同じ学園に通っているようだが、知っている──なっ! その顔はまさか! 嫌なのか! 嫌なのだなルーク! よし、即刻こんな縁談──』

『父上……少し、考える時間をいただけないでしょうか』


 己の運命について考えている時に、追い討ちをかけるが如く、父上からこんな話をされれば尚更だ。

 運命というものは本当にあるのではないか、と思ってしまうのは仕方ないことだろう。

 アスラン襲撃事件により、俺が心身共に疲弊していると考えた父上は、この話を実家に戻るまで待ってくれた。さすがだ。この国の気の回らない愚かな衛兵とは訳が違う。


 …………。


 ……あぁ、胃が痛い。

 なんで突然こんな話が出てきてしまうのか。本当に訳がわからない。なぜだ……なぜなんだ……。

 どれだけ考えてもその答えは見つからない。

 しかし、父上は『お前自身が決めていい』とおっしゃられた。つまり断ってもいいのだ。

 しかもどうやらこの縁談、レノックス家は側室でいいと言っているようなのだ。……理解できない。


 ……そもそも、なんで王派閥の有力貴族から縁談が持ちかけられる。しかも側室でいいと譲歩してまで。

 ミアが三女だからか? レノックス家は貴族派閥に鞍替えしたのか? だとしたらなぜだ? 

 あまりにも不可解なことが多い。一体、何が起きているというのだ。

 あらゆる可能性を考えたが……情報が足りなさすぎる。


 ただ──俺がミアを『駒』にしようとしたことが原因だろうことは分かる。


 発端は絶対にそれだろう。

 原作知識は曖昧だが、ミアは『ルーク』ではなく『アベル』側のキャラだった気がする。

 あぁ……あの時だ。ミアが初めての敗北を経験し、かつてない程弱っていたあの時。本来なら、アベルが慰めるはずだった……のではないか? 

 実際、アベルとリリーはミアの部屋を訪れていたしな。なるほど、それが交友を深めるきっかけとなるはずだったわけだ。


 ……クソっ、因果応報とでもいうのか。

 俺がミアの弱った心につけ込み、偽りの救世主となった。全ては俺に忠実な駒とする為に。

 その結果がこれだ。回り回って、ミアが俺の側室になるなんて話にまでなってしまった。


 そう──これこそが運命。

 全ての事象は、『ルーク』が実家に引きこもるという結果へと収束してしまうのだ。

 突飛な考えかもしれない。しかし、ここがラノベのファンタジー世界なら十分ありうる。

 ……なんてことを考えてしまうくらいには、俺はうんざりしているのだ。

 次から次へとやってくる厄介事に。


 さて、今回の縁談。

 断るのは簡単だ。ただ一言、父上に嫌だと言えばいい。──しかし、果たして断るのが最善か。

 俺は迷った。

 そもそも、貴族にとって婚姻は感情だけの問題ではない。深い繋がりこそが権力を磐石なものとし、そしてより大きなものへとするのだ。これほどの有力貴族との縁談となれば尚更な。

 加えて、理由は不明だが、相手側がかなり譲歩しているのは明らか。その上で断ろうものなら、両家の関係の悪化は必至だ。

 そして、父上はああ言ってくれたが、襲撃事件でその手を煩わせてしまった。これ以上、誰かに頼るなど俺の矜恃が許さない。それが父上であろうとも。


 ……いや、俺が断るという決断に至れず踏みとどまっている本当の理由は、そんなものではない。──ミア本人が一番の問題だ。


 なんというか……ミアには不気味な怖さがある。

 もし断ったらどういう行動にでるのか、この俺をもってしても予想できない。

 明確な敵であればいい。どうとでもなる。

 だが、ミアの場合はそこが曖昧だ。──だからこそ判断に困る。

 断れば……今後、敵か味方か不明な不確定要素の塊のような女が、学園にいる間はずっと近くにいることになるわけだ。──ふざけるな。嫌だ。ストレスが半端なさすぎる。

 そもそも、ミアはこの縁談をどう思っているのか。アリスはどうだ──。


 …………はぁ。


 なんで、こんなことに俺は頭を悩まさなければならないのか。

 ただ強くなれば、幸せを手にすることができると考えていたが……どうやらそう単純でもないらしい。


 悩んだ末に俺が出した結論は──『ミアと直接話そう』というものだった。


 ++++++++++


「泥棒猫だとは思っていたけれど、ここまでだったなんてね。怒りを通り越して呆れたわ」

「…………」

「勘違いしないで。私が怒っているのは縁談そのものではないわ。ルークの立場は理解しているもの。側室なんて珍しくもないし、私はそんな器量の狭い女ではないの」

「…………」

「私が怒っているのはね、あなたがコソコソとルークとの縁談を進めていたことよ」

「まあまあ、落ち着きなよアリス。少しはミアちゃんの話も──」

「兄さんは黙っていてくれる? 気持ち悪いから口を開かないで」

「なっ、酷いよアリス……ハァハァ」

「…………」


 なんだかんだあり──現在、ロンズデール家とレノックス家がうちへとやって来ていた。

 当然、今回の縁談について話す為だ。

 この場にいるのは俺、アリス、ヨランド、ミアの四人のみ。その他は父上が対応している。

 またしても俺の我儘を聞き、こういう場を設けてくれたのだ。感謝しなくてはな。


「ごめんなさい……私、知らなくて。こんなに話が進んでいるなんて……」


 ミアの声は吹けば消えそうなほどにか細かった。

 なるほど、不本意はお互い様というわけだ。

 ならば話が早い。こんな縁談、さっさとなかったことにしてしまおう。


「そうか。お前も不本意であるなら、この縁談は──」

「違うの!!」


 先程とは打って変わり、ミアの目には強い意志が宿っていた。俺はそれを見た瞬間、とてつもなく嫌な予感がした。


「私が……ルークのことが好きってことは……ほんと」


 ほらな、俺の予感は当たるんだ。

 アリスはどこまでも冷たい目で、ヨランドはなぜかニコニコと気持ちの悪い笑みを浮かべながら、この状況を静観していた。


「一つ、教えておいてやる」


 ため息をつきながら、俺は言った。


「お前が俺へ抱いている感情は、お前を『駒』にする為に俺が抱かせた偽りの感情。つまり、全て錯覚だ。そもそも、あの日お前を慰めてやったのだって──」

「──分かってる」


 ミアは俺の言葉を遮った。


「全部、分かってる。……最初は偽物だったかもしれない。でも、もう本物だよ」

「…………」


 罪悪感なんてものはなかった。

 俺は、幸せを掴む為ならば一切の妥協はしない。それが、他者を踏み躙ることになったとしてもだ。

 ミアの心につけ込み、利用しようとしたことに──後悔などない。


「俺は、お前のことを愛していない。それでも、婚姻を結びたいのか?」


 嘘偽りなく、はっきりと告げた。しかし──


「……うん。それでも、ルークの側にいたい。役に立ちたいの……私。好きになってもらえるように……がんばる」

「…………」


 ミアの感情は俺の想定を上回った。

 ……愛が重い。重すぎる。

 なんだこれは。どうしてここまでの想いを抱ける。

 確かに俺は弱った心につけ込んだが……いや、これは愛というよりも、『依存』に近い感情だろう。


「私は、二番目でいいの……フフ」

「…………」


 ──ゾクッ


 ミアの恍惚とした目を見た瞬間、背筋に嫌なものが走った。それと同時に、俺は自分の選択が正しいことを確信した。もし断っていれば、絶対に良くないことが起きていたに違いない。


 それでも──俺は決して自分の選択を後悔しない。


「……分かった。この縁談を受けよう。いいな? アリス」

「ルークが決めたことに、私が異を唱えるはずないわ。でも、これだけはハッキリさせておくわ。私が上で、あなたが下よ。ちゃんとわかっているかしら、ミア?」

「分かってる。ちゃんと話せなくて、ごめんねアリス」

「本当におめでとうルーク君!」

「…………」


 疲れた……すごく。


「ところで、ミア。あなた、夜の方はどうなの? ルークを満足させられるのかしら?」

「え、夜……?」

「分からないの? 夜にやることといえば一つでしょう? セック──」

「──いい加減、黙れ」


 とんでもないことを言い出しそうなアリスの口を無理やり塞ぐ。

 それだけで、妙に息遣いが荒くなっていくコイツにうんざりしながら、俺は思った。


 ──くたばれ運命、と。

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