024 道を歩くことの容易さ。
「この子を駒にするですって? 私がいるじゃないの。どんなに卑劣で下劣な命令だとしても、私なら完璧にこなせるわ。ミアなんかよりも」
「…………」
ルークはミアをベッドに寝かした。
するとアリスがいつもよりほんの少しだけ大きな声でそう言ってきた。
彼女を深く知らない者であれば見分けはつかないだろうが、ルークから見ればその表情は実に複雑なものだった。
だが、分からない。
「何を勘違いしている。お前は『駒』ではなく、俺の『婚約者』だ」
「───っ」
ルークの本心だった。
単なる事実でしかないのだ。
アリスとミアでは明確に立ち位置が違う。
ただそれだけのこと。
しかし、ルーク自身も気づいていないことがある。
それは彼がいつの間にか、アリスが共にいる日常を当然のように受け入れているということだ。
最初は拒絶しかなかったはずなのに、今では自らアリスのことを自身の『婚約者』であると認めたのである。
これは彼の明確な変化といえるだろう。
(婚約者、婚約者、婚約者、婚約者、婚約者───)
ただ、これはルークにとってすでに当たり前というだけ。
その言葉はアリスの脳内で何度も反芻され、心を凄まじく高揚させた。
「……ハァハァ」
そしてその高揚は情欲へと形を変えた。
体のあちこちが熱くなってくるのを感じ、息が荒くなる。
本来ならばその濁りを悟られまいと隠すのだろうが、アリスにその意思は皆無だった。
「本当に……女をダメにする男だわ」
服を一切身につけていないアリスだが、そんなことまるで気にしないどころかむしろ都合がいいとすら考え、ルークの首に手を回した。
「……おい。ミアがいるんだぞ」
「フフ……バレたら大変ね」
アリスはすっと背伸びをし、口づけをした。
それは温かく優しいキスではない。
ひたすらに欲望を貪るキスだ。
ベッドでミアが気を失っているなか、2人はその横の床に倒れ込んだ───。
++++++++++
「おい、いい加減起きろ」
「……んぅ」
いろいろと終え、アリスと交代で風呂に入り、身支度を整えた。
その上でミアは起きない。
繊細なのか、図太いのかまるで分からない女だ。
まあ、心労がたたったのかもしれんが。
「ようやく起きたのね、お寝坊さん」
「……ん、アリス……? ───なっ!?」
アリスを見た事でミアが意識を一気に覚醒させた。
「ななな、なんでアンタまでいるのよ!」
「こっちのセリフだわ。私とルークが婚約していると知っていながら、部屋まで押しかけちゃう泥棒猫さん」
「違っ……こ、これはそういうんじゃ……」
「そう? 私には女の顔をしているように見えたけど」
「ししし、してないわよ女の顔なんて……!」
「…………」
いや、事の発端は俺であるわけなんだが。
アリスには説明したはずだ。
「ミア、今日の授業はどうなっている」
「え、えっと……今日は午前に1コマ受けて、午後の3限と4限を受けて終わり……だよ」
「そうか。なら第1か第2魔法修練場の予約をしておけ」
「わ、わかった」
「それと、俺は図書館にいる。授業が終わったら呼びに来い」
「うん……了解」
ふむ、素直だな。
俺の言葉を一切迷いなく受け入れている。
しかし、これは上手くいきすぎだなァ。
怖いほどだ。
「堂々と密会の約束? 罪作りな人ね」
「……さっき話はしたはずだが」
「えぇ、理解はしているわ。でも納得できるかはまた別の話なのよ。……ハァハァ、私はきっと気になって見に行ってしまうんだわ。そして隠れながら目撃してしまうの。2人があんなことや、こんなことをしているのを───」
「しししし、しないよそんなこと!」
「あら? 顔を真っ赤にして何を想像したの? 私はあんなことやこんなこととしか言っていないのだけど」
「───うっ」
「…………」
いや、見に来るくらいなら普通に合流すればいいだろうが……。
なんで隠れて見る必要があるのか。
俺には一切理解できない。
したいとも思わんが。
「食堂へ行く。さっさと俺の部屋から出ろ」
「えぇ、そうね。こんな泥棒猫とこれ以上話したくないわ」
「だから違うってばっ!」
部屋に鍵をかけ、食堂へと向かう。
するともはや見慣れた光景がそこにはあった。
「…………」
ロイドだ。
コイツはいつも誰よりも早く朝食を始めている。
こちらを見たのだ、当然ミアのことも視界に入ったことだろう。
だが何も言ってこない。
直ぐに目を逸らし、朝食を再開する。
しかも、だ。
少し離れたところで食事をしている。
アリスに言われたことを守っているということなのか?
クク、コイツは本当に面白い。
「…………っ」
すると、ミアが歩きだした。
ロイドの元へ。
「……私の負け。言い訳の余地もない」
「…………」
「でも、必ずリベンジするから」
「……そうかよ。いつでもいいぜ。俺は逃げも隠れもしねェ。───だが、俺だって先に進むからナ」
すると、ロイドがこちらを見た。
視線の先は俺ではない、アリスだ。
立ち上がり、ゆっくりと歩いてくる。
「───序列戦を申し込む」
「そう、いいわよ」
アリスはあっさりと承諾した。
「……勝てると思ってるわけじゃねェ。だが入学から間もねェ今、お前との距離を明確にしておきてェ。すまんが頼むわ」
「理由なんてどうでもいいの。聞いてもないことをペラペラと喋らないで」
「…………」
これ以上ロイドが何か言うことはなかった。
そのまま席へと戻っていく。
「───クク」
しかし、俺は込み上げる笑いを抑えられなかった。
ロイドという男。
やはり気に入った。
「ロイド、俺でもいいんだぞ? こんな女ではなくな」
「こんな女……ハァハァ」
アリスが息遣いが荒い。
うるさい、だが許してやろう。
今の俺は気分がいいからなァ。
「お前は……まだだ。今やっても意味がねェ」
「アッハッハッハッハッ。そうか、ならばいつでもいい。お前であれば序列戦でなくてもな」
「え……マジかよ」
「あぁ、マジだ」
コイツには俺の貴重な時間を割いてもいい。
その程度には気に入った。
「そうか……なら頼むかもしれん」
「あぁ、遠慮することはない。お前ならばいい」
ロイドは少しだけ目を見開き、そしてすぐにいつもの表情に戻った。
クク、相変わらず目つきの悪い奴だ。
そして会話はそこまでだった。
お互いが食事へと戻る。
「やぁ、おはよ───」
「…………」
「う、うん。僕は向こうで食べようかな……ははは……」
アリスに睨まれたレオナルドが離れていく。
そしてロイドの傍で食べ始める。
もはやよく見る光景だ。
「あ、あの……隣、いいかな?」
「…………」
食事を進めていると俺に話しかけて来る奴がいた。
目を向ければそこに居たのはアベル。
そしてあのうるさい女だ。
確か、リリーと言ったか。
「……好きにしろ」
「ありがとう」
俺の隣にアベルが座った。
なんというか、なぜか妙にコイツに好かれてる気がする。
意味が分からない。
「あ、あの……昨日はごめんなさい。私、誤解しちゃって……」
「どうでもいい」
「……なっ! アンタねぇ───」
「お、落ち着いてリリー。……ごめんね、ルーク君」
「なんでアベルが謝るのよ!」
「そこ、キャンキャンうるさいのよ。静かにしてくれない?」
「なんですって!?」
「……うるさい」
いつからだ。
俺の周りがこんなにも騒々しいものになったのは。
「やっぱりね」
そんななか、アベルが俺に話しかけてきた。
「彼女に笑顔が戻ってる」
アベルがミアを見てそう言った。
「……お前は絶対に何か大きな勘違いをしている」
「そ、そうかな?」
「あぁ、そうだ」
どうやらこいつは、俺がミアを慰めたのだと本気で思っているらしい。
「僕……時々見かけるんだ。君が剣を振っているの」
「それがどうした」
「戦った時も思ったけど、本当に……表現できないくらい綺麗なんだ君の剣。魔法のことはまだよく分からないけど、剣のことは少しわかるよ」
「…………」
「師匠がね、言ってたんだ。剣は『心』が重要なんだって。だから分かるんだ、ルーク君が悪い人じゃないって」
「…………」
なるほどな。
コイツがこんなにもニコニコと俺を見てくる理由がわかった。
その師匠とやらが悪い。
剣の腕が立つから心が綺麗だと?
世の中、そんな単純にできてるはずがないだろうが。
++++++++++
「ここを予約する時フレイア先生に……『民にあれほどの醜態を晒したというのに、随分と元気そうじゃないか。安心したぞ』って言われてしまった……」
「どうでもいい。さっさと始めよう」
「あ、よ、よろしくお願いします……!」
午後、第1魔法修練場。
俺はミアに一つの魔法を教えるためにここへやってきた。
「じゃあ魔力を寄越せ」
「……ぅ」
ふむ、やはりいい魔力だ。
「見てろ」
───『雷癒の鎧』
実践するのは初めてだ。
しかし上手くいった。
ただ、微調整は必要だな。
「……えっ」
この魔法は『雷』と『治癒』の複合魔法であり、その効果は『雷速を宿す』だ。
人間の体はそんなものに耐えられない。
だから当然壊れるが、壊れたそばから癒せばいい。
これこそが『雷癒の鎧』だ。
動いてみる、速い。
感覚をブーストさせる魔法も併用した方がいいか。
慣れるのはそれなりに時間がかかるな。
魔力消費量も凄まじい。
あまり長時間は使えない、か。
だが、それを補ってあまりある素晴らしい魔法だ。
「どうだ?」
「す、すごぃ…………」
魔法を解除する。
「これは『雷』と『治癒』の複合魔法だ。お前にはこの魔法を習得してもらう。使いこなせるよう努めろ。それと、お前は魔法を発動するまでが少し遅い。そこもどうにかしろ。───じゃあ、俺はもう行く」
「……え」
さて、帰ろう。
いや図書館に行くか。
まだ調べたいことも残っている。
「ま、待って!」
「なんだ?」
「もう行っちゃう……の? ひ、1人でできるか分からないし。できれば居てほしい……というか……」
「……は?」
コイツは一体何を勘違いしているんだ。
「……魔法なら見せたろ」
「見たけど。でも───」
「ミア、お前にはがっかりだ」
「…………っ」
俺はミアの目を見た。
「何も無い荒野を彷徨い歩くことに比べ、既にそこにある道を歩くことのなんと容易いことか。そんなことも分からないとは───見込みが外れたか?」
「……ぅ、ぁ」
俺はただの家畜に餌を与える趣味はない。
コイツは甘えているんだ。
魔法の習得は感覚的な部分が多く、ひたすら己との対話を繰り返すしかない。
自分で思考することを放棄し他人に縋る。
そんな奴は必要ない。
どんなに優れた能力を持っていようと、有象無象と変わらん。
だからこのくらい発破をかけておいた方がいいだろう。
伝えるべきことは全て伝えた。
俺は再び出口に向かって歩き出す。
「ご、ごめんなさい……」
袖を掴まれた。
誰にか、など言うまでもない。
「なんだおま───」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……見捨てないで、お願い見捨てないで……」
「…………え」
ミアの目は黒く澱んでいた。
そのとき俺は思った。
なんか、俺の周りってヤバい奴多くないか……? と。
どうしてだ。
どうしてこうなったんだ。
まさか……これも俺が『努力したこと』の影響だというのか。
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