021 迫る魔の手。


 アリスの兄、ヨランドの悍ましい本性を目の当たりにしてから数日が経った。

 しかし、未だにあの日の出来事は鮮明に脳裏に焼き付いている。

 多分一生忘れられない。

 というか、もしかしなくても俺はアリスと婚約しているのだ。

 アイツが義兄になる可能性があると考えただけでも恐ろしい。

 俺に恐怖を抱かせるとは大したものだ。


 そして、この俺がアリスに同情してしまう日がくるとは思いもしなかった。

 さすがに不憫過ぎるだろ。

 あの気色の悪い兄がいなければもっと優しくマトモな女になっていたのかもしれない。

 ……いや、俺のせいでもあるのか? 

 まあこれは考えても仕方ない。

 とりあえず言えるのはあの男、ヨランドが吐き気を催す『邪悪』であるということだ。



 ただ───あの日の出来事は俺が『手駒』というものに興味を持つきっかけとなったことも事実。



 今まで俺は自身が強くなることのみを考え行動してきた。

 そこに一切の妥協はなかったし、何も間違っていなかったと断言できる。

 当然これからも強さの追求をやめるつもりはない。

 しかし、一人ではできることの幅がどうしても狭くなってしまうのだ。

 いずれは俺の手足となる人間が必ず必要となるだろう。


「……チッ」


 ヨランドの言葉に従うようで不服だ。

 そしてそれ以上に、嫌でも俺の理性がアイツという『駒』の有用性を理解してしまうことが本当に不快だ。


 その時、ふと思い出した。

 まるで興味がなかったのだが、どちらかが必ず『敗北』するそれはあまりに都合がいい。


「───クク、実験にちょうどいいなァ」


 そういえば今日だった。


 ミアとロイドの序列戦があるのは───。



 ++++++++++



 大半の国民にとって『戦闘』というのは日常から程遠いものだ。

 それが『魔法戦』であるならば尚更だろう。

 ゆえに、国民に公開され観戦が認められているアスラン魔法学園の『序列戦』は王国の民にとってこの上ない娯楽となっている。


 アベルとルークの序列戦は例外としてその限りではなかったが、本来の序列戦はまず学校側に申請し、国民に告知され、そして本番となる。

 その為この日のことは既に公表されており、学園内にある闘技場には多くの人々が集まっていた。


「今日やんの1年だよなー?」


「そうそう、3位の『ミア』って子と4位の『ロイド』って子がやんだよ。くぅー、いきなり上位同士じゃねぇか! 熱いねぇ!」


「でもよー、やっぱどうしても派手さというかさ、戦いの激しさみたいなもんが1年は上級生に劣っちまうんだよなー。俺はやっぱ熟練の3年同士の序列戦が一番好きだわ」


「バカだなぁお前。人生の半分は損してるぜ? 1年こそ原石だろうが。そこにとてつもない成長の余地がある事の素晴らしさがなぜ理解できん。大事なのは強さよりも推せるかどうかだ。最初は弱くてもいいんだよ。諦めずに努力し成長していく姿にこそ輝きがあんだろうが。そういう子こそ俺らが応援して支えてあげなきゃいけねぇんだよ。推してあげなきゃいけねぇんだよ!!」


「やっぱ変わってんなー、お前」


「いや、変わってんのお前な」


 着々と序列戦の行われる闘技場に人が集まっていく。

 ポツポツと空席があったが、1時間もすればそれも全て埋まってしまった。

 あとは開始時刻まで待つのみである。


「こ、こんなに人来るんだ……」


 そんな中、ミアは人生で初めて身の縮む思いをしていた。

 誰かに心臓を掴まれているように苦しい。


「大丈夫……大丈夫……」


 恐れる理由なんてどこにもない。

 自分は3属性を発現させた選ばれし者。

 その上、入学試験でアリスに敗れてから必死に研鑽を重ねてきた。

 負けるはずなんてない。

 ミアは必死に自分に言い聞かせた。


「時間だ」


「……はいッ」


 どうやらもう始まるようだ。

 心に渦巻く嫌な感情が消えたわけではない。

 でも、負けたくない。

 それだけは絶対に嫌だ。


 だからミアは力強く返事をした。

 無理やりにでも自分を奮い立たせる為に。


 ゆっくりと足を進める。

 戦ってもないのに、嫌な汗が彼女の背筋を伝って流れ落ちた。



 そして、会場に足を踏み入れた途端───割れんばかりの歓声が響き渡った。



「───っ」


 突き刺さる大衆の視線に圧倒された。

 それがさらに彼女の心を掻き乱す。

 自分の心音が耳にまで届くようだった。


「どうしたチビ。顔が強ばってんぞ?」


「……別に、そんなことないけど」


 ミアとは対照的に、ロイドは余裕の笑みを浮かべている。

 それがまた彼女の心にある鉛を重くした。


「両者、距離を取れ」


 ミアはもう一度深呼吸をし、ゆっくりと歩いて距離をとった。

 息を吸い込み、そして吐き出す。

 すると、少しだけ心が落ち着いた。


(大丈夫……私ならやれる。アリスを倒して、いずれはルークにも追いつく。こんなところで負けてられない……!)


 彼女の目に燃えるような闘志が宿る。

 負けてたまるか、その思いが心で荒れ狂う。


「良いじゃねぇか。そうでなきゃ面白くねェッ!!」


 ロイドは獰猛な笑みを浮かべた。

 早く始めろ、そう言わんばかりに。


「両者、準備はいいな?」


 2人は頷く。

 己の勝利を信じて。



「それでは始めッ!!」



 ついに戦いの火蓋は切られた。



 そして苛烈な魔法戦が───繰り広げられることはなかった。



 この戦いの結末はあまりに呆気ないものとなったのだ。



 ミアの使える属性は『雷』『鎖』『治癒』の3つ。

『雷』による不可避の魔法攻撃。

『鎖』による物理攻撃、及び拘束能力。

 そして傷を癒せる『治癒』まで併せ持つのだから、並の魔法使いであれば彼女とまともに戦うことすら許されない。



 そう───彼女は正しく選ばれた存在なのである。



 しかし、選択肢が多いゆえに生じた一瞬の迷い。

 それが彼女の心の未熟さと合わさり、魔法の発動を僅かに遅らせたのである。



 対するロイドの属性は『炎』のみ。

 だが、彼はその並外れた才覚によって火力を極限まで向上させているのだ。

 並の炎とは一線を画する『蒼炎』。

 その圧倒的火力によって、それがなんであろうと焼き尽くすというシンプルな力。

 だからこそロイドに迷いはない。

 だからこそロイドは強い。


 ただ単純に、膨大な魔力により生み出した蒼い炎によって全てを捩じ伏せる。

 搦め手がないわけではないが、基本的にロイドが考えているのはそれだけであり、それこそが己の最強の戦術であると確信しているのだ。


「───ッ」


 ミアの視界いっぱいに広がる蒼い炎。

 反射的に恐怖を抱いてしまうほどの恐ろしい炎。

 彼女が『雷魔法』を発動させるのもほぼ同時のことだったが、速さで勝っても火力で圧倒的に劣ると判断し切り替える。

 即座に『魔法障壁』を発動させて防いだ。

 しかしその威力が凄まじく他の魔法を発動させる余裕が無い。

 防ぐことから少しでも意識を逸らせばその瞬間焼き尽くされる。

 その事実を理解しているからこそ何もできないのである。



 ───詰みだ。



「オラオラどうしたッ!! もう終わりかよチビッ!!」


「───クっ、ぅぅ、だめ……」



 そこからは時間の問題。

 幕切れはあまりに呆気なかった。



「ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァァァァァッ!!!」



 ミアが最後に感じたのは全身を焼かれる強烈な痛み、そして最後に聞いたのは熱狂的な歓声と万雷の喝采だった───。

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