016 光の傍らにいる彼女。


 フレイア先生が試合の終わりを告げる。

 その瞬間、ルークが創り出した巨大な『太陽』は嘘のように霧散した。

 身体の内側から引っ張られるようなあの独特の感覚も消えた。

 魔力が失われていくと共に湧き上がる底無しの無力感、そしてそんな無様な私を見下すルークの視線。

 あぁ、たまらない。

 身体の奥がゾクゾクして下腹部が熱くなる。

 今それが私に向けられていないのが本当に残念でならないわ。


「ほんと、ルークはとんでもないわね……」


「……ハァハァ」


「だ、大丈夫アリス? 顔が赤いけど……」


「心配いらないわ。私のことは放っておいてちょうだい」


「そう……ならいいのだけど」


 いつもなら身体の疼きはすぐに収まる。

 いや、収められる。


 なのに今日は……違う。


 収まるどころか、私の身体はどんどん熱くなっていくばかり。


 いや……本当は分かっている。


 とっくに限界だった。

 ずっと我慢してきた。



 私の全てが変わった───『あの日』から。



 ルークと出会う以前、私は自分がこの世で最も優れた人間であると確信していた。

 疑ったことなんてなかった。


 だって、周りが私を見る目はいつも同じだったから。


 だから気に入らなかった。

 あのパーティーでルークを初めて見た時。

 これまで私が周りに向けてきたのと同じ目をしていたから。

 取るに足らない有象無象を見る目。


 屈辱に染めてやりたいと思った。

 傲慢に満ちたその心をへし折り、憎悪に満ちた彼をさらに打ちのめす。

 そうすればどれだけ愉快だろう。

 どんなに憎もうと何もできない彼を想像するだけで、身体の奥底がゾクゾクと震えた。



 でも───そうはならなかった。



 屈辱に染められたのは私の方だった。

 勝負にすらならなかった。

 彼にとって、私は本当にただの有象無象の一人でしかなかった。


 無力な私。

 惨めな私。

 哀れな私。


 これまで感じたことの無い、夥しい程の黒い感情が私を覆い尽くした。


 そして……私は変わった。


 嫌悪すべきその感情は『快楽』となり、そして『愛』へと姿を変えた。

 彼と時を共に過ごすようになり、その歪な感情はどんどん膨れ上がった。

 自分でもなぜなのか分からない。

 それでも確かに、私は根底から作りかえられた。


 もう以前の私に戻ることはできない。

 戻りたいとすら思わない。



 でも……それは同時に苦痛の始まりでもあった。



 彼は決して努力を怠らない人だった。

 会いにいけばいつも剣を振っているか、魔法書を読んでいるかのどちらか。

 私のことなんてまるで見ようとしない。

 何かに取り憑かれように研鑽を続けていた。

 満たされることのない渇いた心で『強さ』を求めていた。


 その時、私は理解した。



 彼は───大きすぎる『光』なのだと。



 光は時に希望や憧れとなる。

 でも、それが大きすぎればどうか。


 その眩さゆえに見る者の目を焼き、近づかんとしようものなら焼き尽くされる。


 そんな大きすぎる光。

 強烈な光は時に人を惑わし、狂わせる。

 ルークはまさにそれだった。


 彼の属性が『闇』なのは本当に皮肉な話だ。


 それでも私はルークを愛してしまった。

 いや、これはそんな綺麗で清い感情ではない。


 もっとドロドロとしていて悍ましい『依存』や『狂愛』といった感情。


 いつの間にか私は彼がいない世界なんて想像できなくなっていた。

 優しくされたわけではない。

 愛を囁かれたわけでもない。

 それでも、私の心は他の色が入り込む余地がないほどに染まりきっていた。


 私はこれまでした事のなかった努力をするようになった。

 それも生半可なものではない。

 必死に、本当に必死に頑張った。


 ルークの目に少しでも映りたかったから。


 辛い日々だった。

 時間の許す限り魔法を探求し、夜は募る欲望を発散する為に惨めに自慰にふける。

 いつしかそれが私の日課となった。


 ……これがルークという大きすぎる光の傍らにいるということなんだと、自分に言い聞かせた。


 ルークのことを忘れられたらどれほど楽だろうとも考えたけど、無理だった。

 一度でもその強烈な光に魅入られたら、絶対に抜け出すことはできないんだと思う。


 ただ、その甲斐あってルークが私を少しずつ見てくれるようになった。

 嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 どんなに辛くても、それだけでいくらでも頑張れた。



 だけど───人間の欲求は底無しなんだと私は理解した。



 ルークのそれは甘い毒のようにゆっくりと私をおかしていった。



 もっと。


 もっと、もっと。


 もっと、もっと、もっと、もっと、もっと───。



 私の欲望は加速度的に膨れ上がっていった。

 際限なく膨れ上がる欲望。

 それを我慢しなければならないという苦痛。

 この苦痛は日に日に大きくなるばかりだった。


 だからもう、こうなる運命だったのかもしれない。



 今日ルークの『闇の太陽』を見た瞬間───私の中の何かが音を立てて壊れた。



 それは枷のようなものだったんだと思う。

 枷を失った私の心。

 これまで抑えてきた欲望が溢れ出し、あっという間に覆い尽くした。


「寮では朝食と夕食が出る。いくつか規則はあるが基本自由だ。好きにしていい。あと、お前ら仲良くしろよ? その方が得だ。この学園に入学した時点で、お前らはそれなりの地位が約束されたようなもの。そんな者たちとコネクションを持てるのもこの学園の恩恵だ」


 気づけば私は寮にいた。

 意識がぼんやりとしている。


「それでは解散とする。明日から授業が始まる。受けたい授業がある者は遅れるなよ」


 2階が男子、3階が女子となっていた。

 指定された自室へと向かう。

 扉を開け、入り、閉める。

 ガチャり、と鍵をかけた。


 そのままベッドに倒れ込む。

 そしてシーツの中に潜り込む。

 自然と手は下腹部へと伸びていった。


 良くない。

 クセになっている。

 でも、今はこの熱の塊のような身体の疼きをどうにかしないと頭がおかしくなってしまう。

 私は下着の上からそっとなぞった。


「……っ」


 しばらく自分を慰めた。

 どうにかこの熱を身体の外へ逃がしたくて。


 でも……だめ。


 どんなに慰めても疼きは増すばかり。

 満足できない。


「……ハァ……ハァ」


 やっぱり、あの時何かが壊れたんだ。

 私を押さえつけていた何かが。



 ───もう十分我慢した。



 そんな声が聞こえた気がした。

 これ以上は無理。

 もう我慢できない。



 私の足は自然と向かう───ルークの部屋へ。



 脳の冷静な部分が私を肯定する理由を探す。

 生理はこの前きたばかり。

 だから大丈夫。

 それに私とルークは婚約している。

 将来を約束された関係なのだから何も問題はないはず。


 そんなことを考えているうちにルークの部屋へとたどり着いた。

 妙な緊張感がこの瞬間になってじんわりと広がっていった。

 でもそれ以上に疼く身体。


 意を決して、私は部屋をノックした。


 扉はすぐに開いた。


「お前か。何しに来た?」


 明らかに嫌そうな彼。

 ゴミを見る目を向ける彼。

 私の全てを否定するかのような彼。


 その全てが私を高揚させ、僅かに残っていた理性を塗りつぶした。


「入れて……くれるかしら」


「……あぁ」


 ルークは意外にもすんなりと入れてくれた。

 扉を閉め、私はすぐに鍵をかけた。


「いったいお前は───は?」


 服を脱ぐ。

 ゆっくりとではない。

 すぐに上着を脱ぎ、下着も全て脱いだ。


「本当に何をやっている……?」


 ルークは顔色一つ変えない。

 でも声が少しだけいつもと違う。

 それが可愛くて仕方なかった。


「……っ」


 私はそのままルークへと近づき、唇を重ねた。

 彼の口内へと舌をはわせる。

 そのまま舌を絡み合わせながら、私はルークを押し倒した───。



 ++++++++++



 窓から朝日が差し込む。

 俺はベッドから身体を起こし、外を見る。

 いい朝だ。


 本当に……いい朝だ……。


 …………。


 …………。



 く、クソッタレがァァァァッ!!! 


 男とはッ!!! 


 男とは斯くも愚かな生き物なのかッ!!! 



 ───ゴンッ。



 俺は壁に頭を打ち付けた。

 最悪だ。

 やってしまった。

 理性がまるで機能しなかった。

 こうして一夜の過ちが起きるのだと、理屈ではなく身体で理解することになるとは……。


 クソがッ!! 

 ここの警備はどうなってんだッ!! 

 これすらも自由に含まれんのかッ!? 

 コネクションがどうたらってそういうことじゃねぇだろうがッ!! 


 ……はぁ、落ち着け。

 悪いのは自分だろうが。


 こんなにも女に耐性がなかったとは。

 自分が情けなくて仕方ない。

 まあ……剣術と魔法のことばっかりだったからなぁ……。


「おはよう、ルーク」


 声が聞こえた。

 この部屋には俺ともう一人しかいない。


「夜の方も上手いなんて。貴方って本当に非の打ち所がないわね」


「……黙れ。さっさと服を着ろ」


「あら、まだいいじゃない」


 ……クソが。

 コイツの見た目だけは良いという特徴を軽んじていた。

 ここまで暴力的な武器へと変わるとは。


「───どう? 一回くらいできるんじゃないかしら?」


「…………」


 俺はアリスを見る。


 雪のように白い肌。

 ほんのりと赤い唇。

 艶めかしい曲線的な体。


 その全てが俺の情欲を逆撫でする。


 あぁ……本当に───。



「───さっさと四つん這いになれ」



 男とは愚かな生き物だ。

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