015 途方もない愉悦。
そこはまさしく“闘技場”だった。
広大な中央の空間を幾つもの客席が円形に取り囲み、それを守るように何層もの『魔法障壁』が展開されている。
だが、それはただ感じ取れるだけ。
俺の知る魔法障壁よりも遥かに透明だ。
何かしらの仕組みがあるんだろう。
もしかしたらこれは魔道具によるものなのかもしれないが、今考えるべきことではないな。
俺は真っ直ぐと目の前の『敵』を見据える。
そう、敵だ。
アベル……俺はお前を敵と認識するぞ。
今のお前程度が俺の敵となりえるとは到底思えない。
はっきり言って、俺は実力が未知数のフレイア以外の全てを見下している。
俺より下であることが分かっている者たちなど心底どうでもいい。
だが、抑える必要があるとも思えないこの傲慢な心を今だけは抑えよう。
完膚なきまでの勝利の為に───。
「両者、距離を取れ」
フレイアの声が響く。
観客席には先程出会った者達以外の生徒や教師の姿まで見える。
良かった。
良く見えているな。
視界は澄み切っている。
唯一の懸念だった。
実際に『主人公』であるお前と正面から対峙した時、俺は何を思うのか。
それだけが不確定要素だった。
何もない。
俺の心には波一つない。
俺は自分の口元が歪み、それが裂けたような笑みへと変わることが分かった。
アベルは剣を抜く。
それに呼応するように会場が僅かにどよめいた。
この魔法が全ての学園においてはそれだけで異様だ。
しかし、剣がお前だけのものと思うなよ?
そのまま俺も剣を抜いた。
「やっぱり……剣を使うんだね」
「なんだ、知っていたのか」
「うん、師匠が君のことを話してくれたよ。『化け物』のような天才がいるってね」
「……なるほどなァ」
アベルの身体はほんの少し震えている。
それでも決して俺から目を背けない。
絶対に折れない信念を持っている奴の目だ。
例えるなら、俺が『魔王』でお前はそれに立ち向かう『勇者』ってところかァ?
勝ちを確信しているから俺に挑んできたわけではない。
コイツにとって何らかの譲れない理由があったんだ。
「両者、準備はいいな?」
フレイアが最後の確認をする。
「クク、あぁ」
「はい……!」
いつだっていい。
あらゆる可能性は想定済み。
実際にアベルを見ても何も変わりはしなかった。
「それでは───始めッ!!」
言葉の瞬間、アベルは俺から更に距離を取るようにバックステップした。
そして魔法を構築し始める。
欠伸が出るような速度で。
その収束していく魔力量を見て俺は確信する。
入試の時から大きな変化はないと。
───『身体強化×5』
アベルは魔法を発動する。
ほらな。
「……いくよ」
「あぁ、こいよ」
俺は何も魔法を発動しない。
ただ、剣を構える。
全て剣で対応できると確信しているから。
剣術を学んだ事で得られた最大の恩恵は『目』を養えたことだ。
力では絶対に勝てないアルフレッドと何度も斬り結ぶ上で必要なのは、相手よりも先に行動を始めることだった。
相手が動くよりも先に自身がどう動くかを決め、そして最も適切な箇所を斬る。
言ってしまえば俺にとって剣術はそれだけだった。
しかし───たったそれだけの何と奥深いことか。
俺が剣術の虜となるのに時間はかからなかった。
それは今も変わらない。
本当に面白い世界だ。
俺はやっぱり魔法よりも剣が好きなんだよなァ。
俺の剣は『後』の剣だ。
自分からどんどん攻める『先』の剣じゃなく、相手の動きを見切り隙を突く剣。
これはアルフレッドとの鍛錬の中で自然とそうなったものだが、俺は自分に最も合っていると確信している。
魔法も使えるのだから尚更だ。
そして何より俺は『目』が良い。
相手の些細な所作、呼吸、衣擦れ。
目から得られるあらゆる情報が相手の次の行動を教えてくれる。
だから俺の剣はこれでいい。
何も間違っちゃいない。
なァ、アベル───ただ速く重いだけの剣が俺に通じるとでも思ってんのか?
それが如何に人間を超越した一撃だろうと、正面からの剣に俺が対応できないはずがない。
しかも入試の際に一度見ている。
ふざけるなよ。
その程度で勝てると思われたなら、随分とナメられたものだ。
アベルが地面を蹴った。
何かが爆発したかのような轟音と共にその姿がブレた。
俺をして完全に目で追うことが不可能な速度。
だが、それだけだ。
あまりに素直なその一振。
受け流すことなど容易い。
ほらな、ここだ。
後はこの『力』を逃がしてやるだけ。
「───ッ!?」
おいおい、何驚いてるんだ?
本当にこの程度で俺に勝てると思ってたんじゃないよなァ?
あまり俺をみくびるんじゃねェよ。
流れるように剣を振り抜く。
アベルは勢いそのままに俺の横を転げながら通り過ぎた。
地べたに手を付きながら、驚愕に満ちた目で俺を見る。
「どうした? もう終わりか?」
そう聞けば、アベルは雑念を払うように首を振った。
その目に闘志が戻る。
それでいい。
さァ、こいよ。
「まだだッ!!!」
吐き出すような怒号と共にアベルは再び超加速する。
それでも結果は何も変わらない。
ただ剣を一振。
そしてアベルは無様に転げる。
3回凌いだ。
もう慣れた。
叫びながら特攻するアベルに、俺は拳を合わせた。
確かな衝撃。
何かが砕ける音。
俺の拳がアベルの顔面に直撃した。
倒れ伏すアベルと再び目が合う。
その驚愕と絶望に満ちた目を見た瞬間───途方もない愉悦が電流のように全身を駆け巡った。
「アッハッハッハッハッ!!」
++++++++++
自惚れていたわけじゃない。
勝てると思っていたわけじゃない。
でも、師匠と出会って、自分の強くなれる道を見つけて、不可能だと言われたアスランに合格することができた。
心のどこかに───『もしかしたら』という思いがあったことは否定できない。
「アッハッハッハッハッ!! どうした、もう終わりか!?」
目の前で嗤う『化け物』を見ながら思う。
こんなにも……こんなにも遠いのか、と。
頂を見ることすら叶わないほどに離れているのかと。
何も通じない。
これから努力を重ねたとして……いつかこの領域に届くことができるのだろうか。
心が暗い霧に包まれていく。
「知りたいんだろ? 俺とお前の距離を。───見せてやるよ」
そう言ってルーク君は瞬きする程の速さで一つの魔法を発動させる。
───『闇の太陽』
瞬間、ルーク君の手のひらにとても小さな黒い塊が現れた。
「これは俺の“闇”を極限まで凝縮させた『核』だ。ほら───始まるぞ?」
声が出ない。
視界が霞んで良く見えない。
それでも、その感覚だけはとても明瞭だった。
魔力がごっそりと抜ける感覚。
「───カハッ」
強烈な目眩、吐き気。
もはや力が抜け立つことすらできない。
「な、魔力……が……」
「く、クソがァァァッ!!」
「……ハァハァ」
「何よ……これ……」
「マズい……意識……が……」
グニャリと歪んだ『魔法障壁』は黒い塊に飲み込まれて消えた。
僕だけじゃなく、観客席にいる皆も苦しんでいる。
「アッハッハッハッハッ!! 良い魔力が集まったなァ」
気づけばルーク君の手のひらにあった小さな黒い塊は、とてつもなく巨大なものへと変貌していた。
黒く禍々しいそれは───正しく『闇の太陽』だった。
光が消えていくのが分かった。
ここで僕は死ぬんだ。
自然とそう思った。
でも、
「───誰が」
それは認められない。
認めちゃいけないッ!!
こんな、こんな所で───
「諦めてたまるかァァァァァッ!!」
僕はこんな所で死ねない。
まだ、何もなしていないッ!!
だが現実は非情だ。
どんなに意思が抗っても身体はピクリとも動かない。
「ククッ!! やはりかッ!! やはりそうなんだなァッ!! ───お前に敬意を表そう」
クソッ!
動けッ!! 動けよ僕の身体ッ!!
でもやっぱり動かない。
クソ……クソっ……あぁ、本当に……。
なんでこんなに……僕は弱いんだろう───。
視界が狭まり、意識が遠のいていく。
世界から完全に光が消える直前、フレイア先生の「そこまでだ」という声が聞こえた。
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