三章

第1話 本庄きゅん

「いつから……迷惑だったんだろうか」


 吊り革に全体重をかける勢いでぐでんとぶら下がり、意気消沈しながら譫言のように呟くと、


「あ……えっと……」と隣であたふたとするリアル同中さん。「すみません、そんな本気で落ち込まれても……。あの、ただ、客観的に見てて思ったことを言っただけなので……」

「客観的に……!」

「ほら、だって、修学旅行のときも、何かの早とちりで全裸で高良さんのところに駆けつけた、て聞いたし……」

「ぜん……!?」


 な、なんだと!?


「そ、それは断じて違うぞ! 全裸ではなく半裸だ! まさか、俺がまりんの目を穢すような愚行を犯すはずが……!」

 

 いや、しかし――とふと思う。


 なきにしもあらず……ではないだろうか?


 あのときは、真木さんの声を聞いたとき、偶然、下を――パンツもズボンも――履いていた状態だった。だから、まりんに俺の悍ましいものを見せずに済んだわけで。万が一にも、素っ裸でちょうど脱衣所に戻ってきたときに、あの声を聞いていたら……? 俺に果たして、パンツを履くような余裕なんてあっただろうか? そんな悠長なことなどしていられただろうか? まりんの身に危険が迫っていると知れば、俺はきっと……恥も理性もパンツもかなぐり捨てて、飛び出して行ったに違いない。そうなっていたら、さすがに『もお、ハクちゃんったら!』じゃ済まなかっただろう。さすがに全裸はダメだ、と俺でも分かる。まりんの大海原の如く寛大な心でも……きっと全裸はダメだ。動揺のあまり、その心は波風立ちまくり、モーセの十戒のごとく、真っ二つに裂けていたかもしれん。


 もし……あのとき、真木さんが声を上げるのがあと数分早かったら? 俺は全裸で飛び出し、その場でクビになっていたのではないだろうか? 

 つまり、あの夜からすでに、パンツ一枚で繋がっていた幼馴染生命だったということか。


 ――って、待てよ。


 振り返ってみれば、だが。あのときから、まりんの俺への当たりが強くなっていった気がする。やたらぷりぷりとし出したのは、あれからじゃなかっただろうか? ぷうっと赤らめた頬を膨らませ、『もお』とやたらと焦ったそうな姿をよく見るようになって……。


「まさか……!」


 ピシャリと脳天に雷でも落ちてきたかのようだった。ハッと閃き、俺はリアル同中さんにグイッと詰め寄り、


「は……半裸は客観的にどうだろうか!?」

「何がですか!? 思いの外うるさい」


 ひいっとリアル同中さんの悲鳴じみた声が車両の中に響いた、そのときだった。


「珍しい組み合わせだな」


 背後から、春風の如くなんとも爽やかな声が聞こえた。

 ん? と振り返ると、俺の背の陰にスラリと佇む少年が。

 さらりとなびく茶色がかった黒髪。長めの前髪は目にかかって一見すごく邪魔そうだが、それを感じさせない清々しい笑み。男らしいというよりは可愛らしい印象で、体の線も細く華奢だ。煌びやかなステージの上で、キラキラと輝く汗を散らして歌って踊る――そんなアイドルみたいな姿がぱっと思い浮かぶような人物で。俺と同じ制服を着ている……ようだが、まるで別物に見える。何の変哲もない一般高校のブレザーの制服が、彼が纏うだけでどこぞの有名ブランドのそれのよう。まりんと隣り合って佇む姿は、おそらく、ファッション雑誌の表紙を飾ってしまうだろう、と思えた。それほどの……イケメン。

 心なしか、車両内に散らばる様々な制服を着た女子生徒達の視線が集まっている気がする。

 

 だな、と思った。


 直接的な絡みはなかったが、それでも俺はこの人物を知っていた。中一のときのまりんのクラスメイトだから……というのもあるが、それだけじゃなく。彼はウチの中学の『王子様』的存在で――。


「ああ、同じ高校だったんだな」と俺はくるりと身を翻し、「本庄ほんじょうきゅん」

「本庄!?」 

 

 端正なその顔立ちを惜しみなく歪ませ、『本庄きゅん』こと本庄明生めいせいくんはギョッとした。


「え、なに……その呼び方? 一応、これが初対面……だよね?」

「いや、うちの中学の女子は皆、そう呼んでいたからな。『きゅんきゅん王子・本庄きゅん』と。てっきり、そういう呼び名で通しているのかと」

「いや……知らない――ていうか、やめて」


 はは、と苦々しい笑みを浮かべつつ、本庄くんはやんわり言って、


「本庄、でいいよ。国矢くん」

「おお……そうか。俺も『国矢』でいいぞ。――て、俺のことを知っているのか?」

「ウチの中学で国矢のことを知らない奴はいないでしょ」

「そう……か」


 ――って、このやりとり、ついさっきもしたな。

 むう……とつい、渋面を浮かべてしまう。


「実は……今、その件についてこちらの同中さんに相談していたところでな」

「え? 『その件』って……?」


 くるりと体を向き直し、もう一人の同中さんを紹介しようとしたのだが、


「む……!?」


 思わず、目を見開く。なんと……そこにいたはずの同中さんの姿が忽然と消えていたのだ。

 え? え? と何度も瞬きし、辺りを見回してみるが、やはりどこにもその姿は無く。


「まさか……」とゾッと背筋が凍りつく。「まりん恋しさのあまり、俺はイマジナリー同中を作り出して……!?」

「何言ってんの? ――瑠那るななら、隣の車両に行っちゃったけど」

「るな……?」


 へ……と振り返れば、どこか寂しげな微笑を浮かべる本庄が。その視線を辿るように見やれば、その先には隣の車両とを繋ぐ貫通扉があって。確かに、その窓の向こうには、さっきの同中さんの姿があった。


「い……いつの間に……?」


 なんたる素早さだ。忍者の末裔か何かか?

 何やらまりんたちと言葉を交わす彼女を眺めながら、ふと疑問がよぎって、俺は小首を傾げていた。さっき、女性専用車両を勧めたときは、『私なんかが使えません』とか言って嫌がっていたはずだが。気が変わった……んだろうか?


「なんで、急に……」


 ぽつりと独りごちると、


「やっぱ、逃げられちゃったな」

  

 自嘲でもするように本庄がつぶやく声が聞こえた。

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