第7話 鏑木さん

「あー、あったなぁ。そんなこと」


 隣で懐かしむように言って、柑奈ちゃんはヘラッとうすら笑みを浮かべた。

 

「あのあとなぁ、案の定、先生に見つかって、国矢くんしっかり怒られてたっけ。『大丈夫です、まりんは無事でした、先生!』って半裸で先生に言って、『毎度毎度、そういうことじゃねぇんだわー!』てキレられてたよな」

「もお……柑奈ちゃんったら他人事みたいに。柑奈ちゃんが元凶なんだよ?」

「いやいや。まりんもまんざらでもなさそうだったじゃん。感謝してほしいくらいだなぁ」と柑奈ちゃんはにたりと笑って、肘で突ついてくる。「どうせなら、『アレェ、急に眠気が〜』て抱きついちゃえばよかったのに」

「抱きつく……!?」


 裸のハクちゃんに……!?


「無……無理だよ! そんなの……!」


 想像しただけで……ていうか、想像もできない。雪山以外で裸のハクちゃんと抱き合うなんてもはやファンタジーの世界。想像の域を超えてて、モザイクがかっちゃうよ!

 あわあわ、としているまりんの横で、「ま、確かにもう無理か」と柑奈ちゃんはため息ついて呟いた。


「もう幼馴染でもないんだもんね? どさくさ紛れのお触りイベントも起きないわな」

「え、な……お触りイベント……!?」

「やっぱり分からんな〜。そりゃあ、国矢くんの過保護っぷりは異常というか……常軌を逸していた。それなのに、恋愛に発展する気配が皆無なら、女として絶望しちゃう気持ちは分かる。でも、わざわざクビにすることある?」

「だから、それは……」

「まりんが幼馴染だと国矢くんにとって迷惑にしかならない――だっけ?」と柑奈ちゃんは『やれやれ』とでも言いたげに言って、訝しげにこちらを見てきた。「国矢くんに迷惑だとか言われたわけじゃないんでしょ?」

「そんなこと、ハクちゃんは絶対に言わないよ! たとえ思ってても、そんなこと口にする人じゃないし……そもそも、ハクちゃんは気付けない、と思う」

「気付けない?」

「だって、ハクちゃんはずっとまりんの幼馴染で。それ以外の生き方を……知らないんだよ」

「それはそう……だろうけど、だからなに? 悪いことなの?」


 ぎゅっと膝の上でスカートを掴む手を見つめ、口を噤む。


 分からない――。


 悪いことじゃない、て思いたい。ハクちゃんも後悔してないといいな、と願ってしまう。でも……考えずにはいられなくなっちゃったんだ。もし――て。もし、ハクちゃんがまりんと出会わなかったら? ハクちゃんがまりんの幼馴染じゃなかったら? あのまま、他のお友達と泥遊びとか木登りを続けて……他の幼馴染が――もっと幼馴染ができていた? たとえば、イチハちゃんとか……。


「あれ? 鏑木さんじゃん」

「へ……」


 思わぬ名前が聞こえてハッと我に返る。

 鏑木さん? 鏑木さんって……同中の――?

 顔を上げると、ハクちゃんのいる車両とを繋ぐドアをピシャリと閉め、何やらホッとした様子で息を吐く女の子が。


「おはよ〜、鏑木さん! 同じ高校だったんだね」と隣で柑奈ちゃんが手を振り呼びかけると、その子はぎょっとしてこちらに振り返り、


「あ、すみません!」

「へ……?」


 なぜか、メガネがずれ落ちん勢いで頭を下げると、さあっとまりんたちの前を通り過ぎ、さらに隣の車両へと向かって行ってしまった。

 別に……混んでるわけでもない。座るところはまだまだあるのに。

 逃げるように去っていくその後ろ姿をポカンと眺めてから、「あ」と気づく。

 まりんたちと同じ制服姿。肩までのストレートの黒髪。そして、女の子にしては長身のスラリとした後ろ姿。見覚えがあった。


「ハクちゃんを逆ナンしてたの……鏑木さんだったんだ」

「いや、逆ナンは絶対無いってば!」


 ズバリと隣から柑奈ちゃんの鋭い声が飛んできて、


「まったく……あんたの目には国矢くんは薔薇でも背負って見えてんのか。――フツーに同中だから話しかけただけでしょ。今の私みたいに……」

「ああ、そっか……。でも、ハクちゃん、鏑木さんと面識あったかな?」

「国矢くんが知らなくても、鏑木さんは国矢くんを知ってるでしょ。国矢くんが目の前にいたら、うちの中学の奴なら皆、『あ、国矢だ』とうっかり言っちゃうわよ」

「そういう……もん?」

「それにしても」と柑奈ちゃんは隣で腕を組んで悩ましげに眉を顰めた。「相変わらずね、鏑木さん。中学んとき同じクラスになったけど、そのときも全然話してくれなくてさ……。昔はもっと明るい印象だった気がするんだけどな」

「へえ……?」


 そう……なんだ。

 小中と一緒だったけど、まりんは鏑木さんと同じクラスになったことはない。委員会もクラブも被ったことなくて……挨拶を交わしたこともない。ただ、名前は耳にすることはよくあった。


「そういえば、鏑木さんも『幼馴染』で色々あった子よね」


 ガタンゴトンと揺れる電車の音が響く中、ぼんやりと柑奈ちゃんが呟く声が聞こえた。

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