第6話 同中の朝④
誰……だろうか? 俺の名前を知っているということは、知り合い? どこかで会ったことがある、ということだろうが。
俺より少し低いほどの背丈――女子にしてはかなり高い方だろう――に、分厚い前髪の下には縁なしのメガネ。制服も着崩すことなく、きっちりと着こなし、スカートも長め。肩までの黒髪もストンと落ちて、遊び心はどこにも見受けられず。ザ・優等生、とでも言うべきか。全体的に控えめな印象だ。
その姿にピンと来ず、眉根を寄せて小首を傾げていると、
「あ!」とその子はハッとして、「ごめんなさい! うっかり、声かけちゃって」
「え……」
「気にしないでください! 忘れてください!」
「わ……忘れてください? いや……」
すでに君のことを忘れているが――とはさすがに言えん。
「あの……じゃあ、私は別の車両に行くので。失礼します」
「別の車両?」
ペコリとお辞儀し、踵を返そうという彼女を「ちょっと待て」と俺は咄嗟に引き留め、
「女性専用車両ならこっちだぞ」
ちらりと横目で見やった先には、女性ばかりの車両の中、真木さんと仲睦まじく談笑するまりんが。その姿にひとまずホッとしつつ、
「席も空いているようだし、移るならそっちに行ったらどうだ?」
そう促すと、その子は「ええ!?」とメガネがズレん勢いで大仰に驚き、
「私なんかが使えませんよ!」
「な……なぜだ!? 俺は使えんが、君は使えるはずだぞ!?」
「無理です、無理です! おこがましいです! わ……笑われちゃいます」
「笑われる?」
なんでだ? 誰にだ……?
「あ、でも……そっか」と彼女はちらりと俺の背後を見遣って、納得したように呟いた。「国矢くんが一人でいるのが不思議だったけど……高良さん、あっちにいるんだ。そうだよね。そりゃ、同じ学校だよね」
まりんのことも……知っている? もしかして、まりんのお友達か? いや、しかし……まりんのお友達なら俺は全て把握しているはずだ。ここまでピンと来ない知り合いなどいないはず。
走り出した電車の中、ガタゴトと揺られつつ、悶々としたものが胸の奥に積もっていくのを感じ、
「すまん――!」とたまらず、俺は頭を下げて言い放っていた。「君が誰か、さっぱり思い出せん!」
「えっ……」
「大変心苦しいのだが、名前を教えてもらえないだろうか!?」
「あ、いえ……大丈夫です!」
「『大丈夫です』!?」
どういう返答だ!?
ぎょっとして顔を上げれば、
「あの……ほんと……ただの同中なので」
ただの同中――もはや、呪いのようにすら聞こえるその言葉にぎくりとする。
「ただの同中……ホンモノの……?」
「ホンモノ? ニセモノが……あるんですか?」
「ああ、いや……こっちのことだ」と咳払いして誤魔化し、「しかし……ただの同中とはいえ、なんで俺の名前やまりんのことまで知ってるんだ? どこかで接点があっただろうか」
「ええ……」と、心底意外そうに、その子はメガネの奥でつぶらな瞳を丸くする。「それ……本気で言ってます? うちの中学で国矢くんのこと知らない人なんていないでしょう」
「ん……? なんでだ?」
「なんでって……自覚無しですか!?」
「自覚……?」
首を捻る俺を、まるで地球外生命体でも見るような眼差しで彼女はまじまじと見つめてきて、
「あれだけの奇行で、散々騒ぎを起こしておきながら……まさか、自覚がないなんて」
「奇行? なんの話だ?」
「国矢くんの……破天荒な幼馴染ぶり、ですよ。高良さんのこととなると、ハチャメチャじゃないですか」
「そう……か? 幼馴染として当然のことをしていた記憶しかないが」
すると、たちまち、彼女の表情は苦虫を噛み潰したところに青汁を流し込んだようなものに変わる。
「『まりんを邪魔する奴は白馬に蹴られて死んじまえ』、『触らぬまりんに白馬なし』――そういう格言も聞いたことないですか? 学校中で、皆、国矢くんのこと、散々ネタにしてたんですよ」
「は……」
なんだ……それは?
あんぐり口を開けて惚けていると、それで充分、『答え』になったのだろう、彼女は「そっか」と何か悟ったように呟いた。
「知らぬが仏、てやつなんですかね。――高良さん、よく我慢してるな、て思ってたけど……高良さんも知らないだけだったのかな」
まりん――。
その瞬間、カッと雷の如く脳裏をよぎるものがあった。
――ハクちゃん、学校で何て言われてるか知ってる? 『まりんも歩けば、白馬に当たる』だよ!?
一瞬にして、辺りが静まり返ったような……そんな感覚があった。背筋がゾッと凍りつく。
思い出したのだ。
幼馴染をクビになったあの日、まりんに言われたこと。まりんが精一杯、俺に訴えかけていたこと。
そうだった、と気づく。俺はそういう格言を聞いたことがある。まりんに……聞いたんだ。
ハクちゃんは嫌じゃないの? 気にならないの!? ――まりんはそう……顔を真っ赤にして俺に訊いてきた。
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