第5話 同中の朝③

「思い……知っちゃう?」


 無意識に頭を捻っていた。

 何をだ? 何をまりんは思い知っちゃうのだ?

 じっと俺を見つめてくるその表情は、切実に何かを訴えかけてくるようなのに。全く……分からない。


 まりんのことが分からない――なんて。そんなこと、この十年、経験したこともないことで。思考が止まる。どうしたらいいのか、さっぱり分からない。


 は、全て把握できていた。まりんの趣味嗜好、身長平熱血液型はもちろん、顔色ひとつで体調の変化にも気づけた。

 まりんのために自分が何をすべきか、瞬時に判断できていたんだ。そして、まりんのためならなんだってできた。なんだってする覚悟で生きてきた。それが今や、文字通り、手も足も出ない。怪我をしたまりんを前にして、固まることしかできず――というか、。無力感と焦燥感と歯痒さに我を忘れて気が狂いそうになる。



「まりん――」たまらず、俺はじっと力強くまりんを見つめ返しながら言う。「俺も……おかしくなりそうだ。まりんに触れないなんて……俺には耐えられない」

「へ……」


 まりんは目をまん丸にしてぽかんとし、たちまち、昏く翳っていたその顔に色味が宿る。


「え、え……そんな……」とまりんはオロオロとしだし、「急に、そんなこと言われても……」

「――だから、頼む。せめて、傷口の水洗いだけでもさせてくれ! 無傷の肌には指一本触れない、と誓う!」

「なんで誓っちゃうの! 心構えが名医のそれだよ!」


 くわっと声を荒らげるや、まりんは「もういい!」とすっくと立ち上がる。


「ハクちゃんはまりんの主治医でもなければ、幼馴染でもないんだから! 放っといて!」


 ぷりぷりと頬を赤らめ、心なしか涙目でそう訴えるそのさまは、およそ放っておけそうなものでもなかったが。まりんは俺に何か言う間も与えず、「柑奈ちゃん、行こ!」と駅舎へ向かって歩き出した。――そのしっかりとした足取りに、骨に異常はないことを確信し、ホッとしつつも、


「まりん……」


 ぽつりと残され、俺は片膝ついたまま呆然としていた。そんな俺の肩をぽんと優しく叩く手があって、


「ま、いい機会じゃない? まりんにも……君にも、さ」

「真木さん……」


 ふり仰げば、朝日を背にふっと微笑む真木さんが。


「国矢くんは国矢くんで高校生活楽しんでみなよ。まりんの幼馴染としてじゃなく、さ。――ね? 高校デビュー、てやつだ」

「高校……デビュー……」


 それは真木さんなりの、精一杯の慰めの言葉……だったんだろう、と思う。

 しかし、だ。


 俺はそんなものを望んでなどいないんだ、真木さん。


 俺が望んでいたのは、幼馴染としてまりんと同じ学校に進み、登下校はもちろん、学校生活に潜むありとあらゆる脅威からまりんの身を守り、まりんの安全を確保すること。今まで通り……。まりんが、危ない目に遭わないように。まりんの傍を離れるまい、とあの日、誓ったのに――な。


「遠い……」


 ボソリと呟き、見つめる先で、まりんは真木さんと並んで座って話していた。車両と車両を繋ぐ貫通扉――その向こう側。決して、俺が足を踏み入れることの許されぬ、女性専用車両で。

 考えもしなかった。まりんと一緒に乗れない車両があることなんて。


 なんという徹底ぶりだ、まりん。うっかりさんだと思いきや、ちゃっかりさんだな、と感心しつつも……ズシリとのしかかってくるものがあった。思わず、重いため息が漏れる。


 やっぱり、分からん。ここまで徹底的に避けられる理由。そもそも……なぜ、急に幼馴染をクビになったのか。


「うーん……」


 クビになってから二週間、真理でも追い求めるかのように考えに考えを巡らせ、結局、なんの答えも出なかったその疑問に――不毛だと分かりながらも――一人、腕を組んで頭を悩ませていると、


「あ、国矢くん……」


 間もなく、扉が閉まります――と、アナウンスがちょうど流れ始めたときだった。

 ぽつりと聞こえたその声にハッとして振り返ると、見覚えがあるようなないような……とりあえずは、まりんと同じブレザーの制服を着た女子生徒が立っていた。

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