第3話 同中の朝①

 いったい、いつからだ? いったい、いつ、どこで俺は幼馴染としての道を踏み誤ったのだ?

 全く分からん。身に覚えがないにも程がある。

 清く正しく抜けめなく。鉄壁の肉体と鋼の精神をもって、ときに盾となり、ときに矛として、まりんの幼馴染として恥じぬよう日々精進してきたはずなのに。

 それなのに、なぜだ? なぜ、俺は幼馴染をクビに……!?


「なぜだ、まりん!?」

「こういうとこだよ!」


 麗かな春の朝。ふわりと甘く香る風を纏うように玄関から出てきたまりん。春休みが明け、およそ二週間ぶりに再会したまりんは、朝焼けに負けぬほど顔を真っ赤に染め、ぷりっぷりに怒っていた。紺のブレザーに、緑のチェック柄のスカート――まだ見慣れぬピッカピカの制服を着て。


「まりん……」


 その姿を前にして、グッと込み上げてくるものがあって。思わず、俺は目頭を押さえていた。


「立派になって……」

「同い年でしょ! 制服だって一緒だし!」


 んもお、とまりんは愛らしく憤りつつ、ビシッと俺を指差し、


「いったい、いつからここで待ってたの!?」

「ほんの二十分程度だ。全然、待ってないから気にするな」

「ものすごく待ってるよ! 高校は一緒に行かない、てちゃんと言ったでしょ!?」

「いや、しかしだな……今日から電車通学なんだぞ。朝の混み合う電車にまりんを一人で乗せるわけにはいかない。何があるか分からないだろ」

「何もないよ!」

「何をもってそんな自信ぷりぷりに……!?」

「ぷりぷり、てなに!? ああ、もお……大丈夫なの!」


 さらりと髪をなびかせ、俺の前で身を翻して外廊下を歩き出すまりん。そのあとを「待て、まりん!」と慌てて追う俺にまりんは顔だけ振り返り、


「着いてきちゃダメなんだよ。もう幼馴染じゃないんだから! ただの同中はお家から一緒に登校したりしないの!」

「そ……そんな……」


 まさか……一緒に登校もできないなんて。『ただの同中』はそんなにも遠い存在なのか。


 あの日――。

 まりんからクビを宣告され、なんと『幼馴染』まで卒業する羽目になってしまった中学卒業の日。まりんは未練も残り香さえも残さぬ勢いで、あっという間に校舎から消え去り、俺は写真一枚、まりんと一緒に撮ることも叶わず……春休みに入ってからの二週間も、どんなに連絡をしようとそっけない返事しかなかった。三時のおやつにまりんの大好物のチョコチップメロンパンを焼いて訪ねてみたこともあったが、『ただの同中は手作りの超おいしいチョコチップメロンパンを持参したりしないんだよ!』と叱られて家に上げてもくれなかった。幸い、チョコチップメロンパンは受け取ってくれたが……。


 それでも、心のどこかで希望を捨てきれていなかった。

 まりんを失うことになるなんて……そんなこと信じたくもなかった。


   *   *   *


「まりーん!」

柑奈かんなちゃん」


 朝の七時半過ぎ。駅ビルがあるわけでもなく、ロータリーの周りには交番と駐輪場があるだけの寂れた駅に、わらわらと人が集まり始めていた。そんな中、まりんの姿を見つけるや弾んだ声を響かせて駆け寄ってきたのは、まりんと同じように緑のブレザーの制服を着た、すらりと背の高い、黒髪ボブの少女。すっと通った鼻筋に、ややつった目。どことなく冷たい印象の凛々しい顔立ちで……なんとなく、クレオパトラを思わせる。

 中学のときからのまりんの親友、真木まき柑奈さんである。


「まりんはブレザーも似合うな〜」とまるで俺の心の声を代弁するかのように言い、真木さんはまりんを抱きしめた。「今日からまた同じ学校だ。よろしくね〜」

「柑奈ちゃんのほうこそ、ブレザー似合う! 私なんか『着せられてる感』がすごいよ」


 そんなことはないぞ、まりん――と声を大にして言いたい。

 まりんのためにブレザーというものがデザインされたかのような『しっくり感』。まりんが身に纏うブレザーだけが、スパンコールでも織り込まれているかの如く生き生きと輝いて見える。まるで天女の羽衣かのような神々しさ。

 『馬子にも衣装』の逆はなんと言うのだろうな。ああ、きっと、『まりんにもブレザー』だ。

 そんなことをしみじみと感じ入りながら思っていると、


「って、そんなところで何してるのかな、国矢くん?」


 まりんから離れるなり、真木さんはこちらに顔を向け、どこか演技じみた言い方でそう声をかけてきた。


「おはよう、真木さん! 今日からまたよろしく!」


 まりんの背後、二メートルほど離れたところできちっと頭を下げて挨拶をする。

 すると、「あはは」と真木さんの陽気な笑い声が返ってきて、


「そうだった。そりゃ、君も同じ学校だよね。進路希望の紙に第一志望から第三志望まで『まりんと同じく!』て書いて先生に怒られた――てほんと?」

「ああ、そういえば、そんなことも……」

「やめて、柑奈ちゃん!」


 頭を上げて答えようとした俺の声を、まりんの甲高い声が遮った。


「そんな昔の話はもういいの!」

「昔って、まだ一年も経ってないでしょ。ダメよ、国矢くんのまりん伝説は語り継いでいかなきゃ」

「語り継がないで!」


 わあ、と慌てて大声を上げ、まりんは「ほら、行こう!」と真木さんの腕を掴んで駅のほうへと歩き出す。


「電車来ちゃう!」

「ん? 国矢くんは? 一緒に行かないの? 同じ学校だし、同じ電車でしょ。国矢くんいたら、きっと車両も空いて快適……」

「行かないの!」と真木さんの声をぴしゃりと遮り、まりんは宣誓でもするかのように高らかな声で――きっと、後ろにいる俺にも聞こえるように、と――言い放った。「ハクちゃんはもう『ただの同中』だから! 一緒に学校は行かないの!」

「はあ? 国矢くんがただの同中、て……この前も言ってたけど。まさか本気で言ってたの?」

「本気だよ! もうハクちゃんとまりんは幼馴染じゃ……」


 ――と、そのときだった。

 真木さんの腕を引っ張り、威勢良く歩いていたまりんが、石か何かに躓いだのか、突然、バランスを崩してドテッとその場に転んだのだ。

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