第6話 めおのむすびの みわざによりて


「想像はついてたけど、オサキか。ちょっとやっかいなことになった」


 鶴豆やの店内に戻ってそうそう、紺は思案げに言った。


「紺、やっかいというのは?」


「オサキは座敷わらしみたいなもので、憑いた家に富をもたらすんだ。……ただし、よその家から盗むというやり方で」


 米や味噌やかいこを盗んでいくと伝えられてた、と紺は説明し、


「だから、オサキが憑いた者は憎まれる」


 さっきから呆然としていた鈴明が、その言葉に肩をびくんと震わせる。「にくまれる……」と彼女は小声でつぶやいた。

 そんな鈴明のささやきをいたましげに聞きながら、山内くんは紺に異を唱えた。


「でも紺。河辺さんは食べるのにすら困ってるみたいだけど」


 話を聞くかぎり、オサキが憑くことのデメリットしか彼女は享受していない。

 そう言う山内くんに対して紺は、


「そうだな。でもちょっと思い当たるふしがあるんだ。

 オレはこれまで『オサキ憑きが憎まれる』というのは、家の富を盗み出されるという恐怖や、金持ちの家への素朴な嫉妬、そういうものが憎悪に反転したんだろうと思ってた。けど、鈴明ちゃんの話を聞くかぎりそれだけじゃないかもしれない。

 オサキには大尽だいじんオサキと貧乏オサキがいると聞いたことがある」


 大尽ってのはお金持ちって意味な、と彼女は補足する。


「オサキがいる家は、大尽オサキがいるうちは栄える。でもふとしたことで貧乏オサキにすりかわると、ひどい運勢に変わるという。ひょっとしたら貧乏オサキは周りの人間に悪感情を植えつけていくのかも。

 ほらあれだ、えっと、善玉菌と悪玉菌?」


 そのたとえは微妙な気がする、と山内くんはちょっと思いながらも確認した。


「君が言いたいのは、河辺さんにくっついてるこいつは貧乏オサキで、だから彼女は嫌われてしまうってこと?」


「ああ。まだはっきりしないけどな。

 もしかしたら……貧乏オサキというのは大尽オサキと同じものでしかないのかも。ちゃんと祀らないとだめなのかもしれない。

 鈴明ちゃん」


 紺の呼びかけに、うなだれていた鈴明はのろのろと首を起こした。


「お母さんは、盗み騒ぎを起こしたことはなかったのか?」


「あり……ません。なかったと思います……でも」


 ふたたび鈴明はうなだれた。


「お母さんも、おじいちゃんたちに嫌われました」


 少女はぽつぽつと、故郷から追い出された経緯を語った。

 紺は可能なかぎり感情を省いた口調で言った。


「なるほど。でも、もし盗み騒ぎを起こしていたら、もっと早く追い出されていたはずだ。

 たぶんお母さんは、ある程度は憑き物をコントロールできてたんだと思う。憑き物筋である家は、憑き物とうまくやっていくための特殊な儀式を伝えてることがある。古いオサキ憑きの家では、オサキには家族より先に食べ物を与え、年末年始には酒とごちそうを供えないとならない――とされている。

 山内、似たようなことはおまえも覚えがあるだろ? おまえんとこの『おからす様』」


「……うん。いまも毎日丸いものお供えしてるよ」


 山内くんは苦い顔をする。厳密にはおからす様は憑き物ではないが、なだめておかねば危険な存在であることには変わりない。


「だから鈴明ちゃんのオサキにもそういう、なだめるための儀式があるはずだけど……鈴明ちゃん、お母さんからなにか聞かなかったか?」


「……言われてみれば、お母さんは新しいごはんを炊いたとき、いつもお食事の前に別の小鉢に取り分けていた気がします。ご先祖さまに供えるんだよって言ってましたけど」


「それ、いまはやってない?」


「はい。おばさんちに移ってきた当時は、そういうことやりにくくて」


 ごはん代渡されて自分たちで作るようになってからはそれどころじゃなくて、と鈴明は弁明した。

 まあ無理もねーか、と紺は嘆息する。


「よその家じゃ気兼ねするし、意味を知らないうえ食べるのにかつかつじゃ、ふつうに考えたら真っ先に省いてもしょうがない儀式だな。

 他に思い当たることはあるか?」


「いえ……よくわかりません。わたしが大きくなったらいろいろ話してくれると言っていました。でも、お母さんはいきなり死んじゃったから」


「うーん」


 紺は難しい顔をした。


「てことは、代々の口伝があったとしても、お母さんの代で絶えたってことだな。

 それに話を聞くかぎり、オサキ憑きだったお母さんの血筋はとっくに没落してた。ということは、もっと前からオサキと付き合うのに失敗してたっぽいんだよなあ……鈴明ちゃんの代では状況の悪化が一気にはやまったというだけで。

 さて、どうするかなあ、これ」


「迷う必要あるの?」


 山内くんは逆に驚いた。紺という少女は果断な解決法を好んでいたはずである。


「オサキをはらってしまえばいいんじゃないの。君ならできるでしょ」


「まーね……そりゃ」やはり、紺は歯切れ悪かった。「でも、オサキと共存できなくはないはずだぜ。害をなさないようになだめる方法をまた見つければ」


「いやです」


 鈴明のきっぱりとした声が、紺の話をとつぜんさえぎった。


 青ざめながら、彼女は「おねがいします。追い払えるなら追い払ってください」と懇願する。


「影で見せられたあのお化け、ずっとわたしのそばにいたんですよね? そいつのせいで、お母さんもわたしも困らせられてきたんですね。お母さんが責められて追い出されたのも、わたしがものを盗む子だってぬれぎぬ着せられたのも、おばさんに嫌われてびくびくしながら生活しなきゃならないのも、友達がみんな友達じゃなくなったのも、妹にお腹いっぱい好きなものを食べさせてあげられないのも全部、お化けのせいなら――」


 少女がかかえてきた深い恨みが、堰を切ったようにほとばしっていた。


「昔からいただなんて関係ない。縁を切ってしまいたい……そんなお化け、これ以上そばにいてほしくないです」


「わかった」


 かたくなに言い切った鈴明に、長嘆息して紺は提案した。


「それなら、オレがオサキを引き取ってみる。今日はまずパン屋に口止めしに行こう」




 パン屋の店員の青年は、冷笑半ば怒り半ばであったが、店の倉庫の暗がりでオサキの影を見せられると顔をひきつらせた。「なんの手品だよ。おふざけしてんじゃないぞ、ガキども」


 吐き捨てたかれは、沈黙して立っている鈴明へと毒のある視線を向けた。


「そこの盗みをした子をかばいたいんだろうけどな、こんな茶番でおどされるわけがないだろ」


 鈴明への悪意が目にも声にも宿っていた。

 山内くんは、下くちびるをかみしめる鈴明の前に立って店員の視線をさえぎる。店員の敵意はやや普通ではなかった。


(この人、最初のときより河辺さんへの態度がきつくなってる)


 ふと山内くんは目を細めた。一瞬、視界に違和感を覚えた気がしたのである。だがどれだけ目をこらしてもそれきりなにも見えることはなかった。


(……気のせい?)


「ま、とっさには信じねーよな」


 紺がふっと笑う。左手でオオバコを挟んだ符を燃やしつつ、紺は右手の指をぴんと立てた。


「じゃあこうしよう。あんたは近いうちに自分の回りにいる幽霊と会うよ。それからなら信じる気になるだろ、オレの見せたものが嘘じゃないって」


「は? 何言ってんだ」


 パン屋の店員はそれを聞いて馬鹿にした笑いを浮かべた。

 だが紺がじっと視線をそそぐうち、そのせせら笑いはじわじわ消えていった。

 山内くんは青年の内心のひるみを感じ取れた。こういうときの紺がかもしだす妖しい雰囲気は、玲瓏れいろうたる美貌とあいまって、見るものに「怖さ」を植えつける効用がある。


「じゃあまたな、おにーさん」紺がくるりと背を向けて入り口にすたすた歩き始めると、店員はあわてた表情になった。


「待てよ、おい!」


「また来るから、うかつなことはせずそれを待ってたほうがいいぜ」


 店を出たのち山内くんはたずねた。


「君、あの店員さんになにか術かけた?」


「招霊術こっそりほどこしてきた。

 さよふけておとづるならばかくれなくおのがしるしをわれにつたえよ――ってね。死者がメッセージを送ってくるやつ」


「またあれ使ったの!?」


 〈防空壕の降霊会事件〉でやった手口である。顔をひきつらせる山内くんに、紺はひらひらと手を振った。


「はったりは大切だぜ。もしなにも起きなかった場合にもそなえて、今夜は式神でも送りこんどくかな。駄目押しにおどかしとこ」


「やりすぎだろ!」


 山内くんは店員に同情を禁じ得なくなった。


「なに言ってんだ、鈴明ちゃんのためだぜ。このさいだからあの店員には骨の髄まで納得してもらわなきゃ。

 それで、鈴明ちゃん」


 紺は無言でついてきていた鈴明をふりむいた。


「そろそろオサキ引き取っとく」


 紺がつぎに取り出したのは、和紙製の小さなはこだった。





 鈴明と別れ、山内くんは無言で紺とともに帰路についている。


「これ、ほんとは犬神用の匣だけど入ってよかった」


 毛玉が吸いこまれた小匣をてのひらにのせて紺が言う。

 山内くんは意を決して彼女に呼びかけた。


「紺」


「んー?」


「なんでオサキを祓わないの? 河辺さんはそれを望んでる。あの店員さんにいろいろ仕掛ける手間は惜しまないのに、なんでこのオサキのことはかばうのさ。それどころか、そのうち河辺さんに返すだなんて」


 オサキを引き取るとき、鈴明に対して紺はぽろりと漏らしたのだ。


『問題がなくなればこいつは返す』と。


 それに対し、鈴明は沈んだ暗い表情になった。


『……そのまま、なんとかしていただくわけにはいかないんでしょうか。お祓いとか、封印とか』


『そうするかもしれない。でも、ぜったいにとは言えない』


 最後まで紺は言葉を濁し、『あと、これを持ってけ。いいか、手放すな』と鈴明になにかを手渡した。

 有無をいわさぬ様子に、鈴明はそれ以上は強く言い出せなかったようである。肩を落としてとぼとぼと帰っていった。

 山内くんはその小さな後ろ姿を見ていて、ふいに危ういものを感じたのだ。

 細く削られたものがぷっつりと、いまにも切れてしまいそうな……


(あの子、はでに取り乱したり泣いたりはしなかったけど、もう限界が近いかもしれない)


「河辺さんはこのオサキを、お母さんの仇みたいに思ってるんじゃないだろうか。金輪際、もうそばにいてほしくないんだと思う」


 山内くんの意見を、紺は否定しなかった。彼女はしかし、自分の判断を撤回もしなかった。


「やろうと思えばオサキを追い払う方法はいくつかある。唐辛子の煙でいぶしたり、狼を祀る三峰神社の御札を貼ったり、あとはますのなかでもぐさに火を点すというものだ」


 でもすぐにはやらない、と紺はぶっきらぼうに言った。


「こいつの正体、オレにはちょっと気になりはじめてることがあんだよ。それを確かめるまで、すぐに祓っちまうのは避けてーんだ。その憶測は、それが外れてたときのことを考えたらあの子には言いにくいものだけど……」


「……よくわかんないんだけど」


「要するにこのオサキは、鈴明ちゃんにとって『仇』ってほど悪いものじゃないかもしれないってことだよ」


「悪いものじゃ、ない?」


「最初思ってたよりはな」


「でもそのオサキが物をとってくるせいで河辺さんはまわりの人に誤解されてきたんだよ。そいつが物をとるとこは僕が見てる」


「そこだけはな。

 こいつのその行為が誤解のきっかけになったのはまちがいない。でも、誤解から先……向けられた嫌悪や憎しみまではこいつのせいじゃないかもしれない」


 紺は立ち止まって、鈴明の去った方角を見た。

 山内くんは「でも」と言いつのる。


「河辺さんがまわりから寄せられる悪い感情は自然じゃない。

 さっきの店員さん見ただろ、あきらかに敵意が行き過ぎてたよ! ドーナツ泥棒だと信じきってるとはいえ小学生の女の子相手に……いや、もちろん泥棒は筋が通ってない悪いことだけど、それにしたって……あんな、殺してやりたいと言いたげな目を向けるもんだろうか?」


「そこはたしかに変だ。

 だから……こいつとは別のなにかが、あの子のまわりに影響およぼしてる可能性も考えてるんだ」


「別の存在?」 


「大尽オサキと貧乏オサキの話を思いだすとな。オサキは正と負の面を持つ。こっちがもし、“大尽オサキ”で、代々の守り神としてあの子を守っていたほうだとしたら……

 祓ってしまうのは早計だ。様子を見るべきだと思ったんだよ」


 そういうことなら、と納得しかけて、山内くんはふいに気づいた。

 このオサキがあの子の守り神? だとしたら、



「こいつを河辺さんから離したことで、なにかが起きる可能性もあるんじゃないの?」



 そう言ったかれを紺は見すえた。


「だから、別れぎわに『お守り』を渡しといた。よほどのことがないかぎり大丈夫のはずだ」


「だからってこんな、彼女を危険にさらすような真似を……」


「『様子を見る』ってのはそういうことだ。医者だって、患者の微妙な不調の原因がはっきりわからなくて、検査の方法もないときはこうするだろ。さっき話したことはぜんぶ憶測だ。ほんとうになにかあるかどうかすらわからない問題なんだ。

 たぶんなにも起きねーと思うし……もし起きても、オレが持たせたもので身は守れるはずだ。あとはオレが行ってすぐに片づける」


「紺」


 山内くんは息を吸って、


「君は、筋の通ったことを言ってない」


 紺はわかりやすく怒った。眉をきゅっとはねあげて彼女は山内くんをにらんだ。


「どういうことだよっ?」


「『検査の方法』はあるだろ。君は知ってたじゃないか。河辺さんを危険にさらすことなく、簡単に判定するやりかたがあるってことを」


 山内くんは、ゆっくりと自分の目を指した。


「どんなかすかな存在でも、怪異むこうがわのものであるかぎり、僕の『これ』ならわかるじゃないか」


 とたん、紺は口をつぐんだ。山内くんの言うことが正しかった証に、やましげに彼女は目を伏せた。


「僕にやらせてほしい、紺」


「それはだめだ」


「なんで? 僕の目ならおかしなものは確実に見抜けるだろ! 一目でだ」封印を幾重にもかけられて、それでもなおこの世ならぬものが見えてしまうこの目なら。「君がまた封印を解いてくれさえすれば」


「あの子には、危険があるとは限らない! 念のためのお守りだって渡した!」


 紺は噛みつく勢いで言い返してきた。


「一方でおまえの不完全な封印を解けば、確実におまえに害があるんだよ! 自分がどうにかタイマーを遅らせてるだけの、解除できてない時限爆弾だと自覚しろよっ」


 山内くんは一年前の夏、身に神と呼ばれるものを宿した。

 人の死や苦痛をむさぼろうとする、けっして世に出してはならないたぐいの存在を。

 それ以来、紺はかれに封印をほどこし、かれを見張る番人をつとめている。彼女はそのために姫路にきたのだ、山内くんのそばにいるために。


「頼む、紺。ちょっとだけでいいんだ」


 山内くんは紺の肩をつかんで、必死に頼んだ。


「僕は河辺さん姉妹がしあわせになるための手助けがしたい」


 肩をつかまれた紺はたじろいでいたが、それを聞くと「バカ」とそっぽを向いてつぶやいた。かすかに目尻に涙が浮いていた。


「自分の寿命削るようなもんなのに。なんでそこまであの子に肩入れすんだよ」


「紺。河辺さんは両親がいなくなった。僕にはパパが……パパになってくれたパパがいる。けど、ほんとうだったら、僕はあの子と同じような身の上になってたはずなんだ。あの子は、パパや君に救われなかった僕だ」


 長い、長い沈黙がおとずれた。

 山内くんが(だめか)と焦りはじめ――ついでに学生服ごしにつかんだ両肩の女の子らしいきゃしゃさに気づいて、正面から接近したこの姿勢に言いようのない気まずさを覚えはじめたころ――紺の手がかれの両頬をはさんだ。


「今回きりだ! 口開けろ」


 怒った顔を、背伸びした紺が寄せてくる。

 幾重にもかけられた封印の錠は、紺の吹く火を口から体内に入れられることではじけ飛ぶ。山内くんがはじめて見鬼にめざめたときと同じ。


 くちびるとくちびるがかすれそうな近く。火をかれに吹き込む直前に、すねた声で彼女はささやいた。「おまえなんかだいっきらい」

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