第5話 「オサキ」
「落ち着け山内。怖い顔になってる」
紺にささやかれ、山内くんは深呼吸する。
「河辺さん。君のパパやママは?」
「死んじゃって、どっちもいません」
「それでおばさんに引き取られたの? 君たち姉妹を放置してるその人に」
無意識に、低い声を山内くんは出してしまっていた。びくりとした鈴明が首をふり、
「久子おばさんは……最初からそうだったわけじゃないんです。
おばさんはお父さんの妹です。お父さんの実家のひとたちのうちではずっとわたしたちに同情してくれてました。施設に入れるのはかわいそうだからって、わたしたちを引き取ってくれた。わたしがどんどん嫌われるようになったのは、盗みをする子だと思われたから……」
鈴明たちが引き取られた最初のころ、おばさんは優しかった。
多少、潔癖で高圧的なところはあったが、忙しい仕事の合間にちゃんと姉妹を気にかけてくれた。食卓を囲み、家族になろうとしてくれた。
それがだんだん変わっていったのは、たびかさなる鈴明の万引き行為のためだ。店や警察の少年課に何度も保護者として呼び出されるのは、おばさんにとっては耐え難いことだったのだろう。
『まだスズちゃんがうちに来て短いけれど、あなたはそんなことできる子じゃないっておばさんは知っているわ。お店の人が間違えたのね』
三回目に呼び出されるまで鈴明の潔白を主張してくれさえしていたおばさんは、
『ねえ……五回目よ。ほんとうにやっていないの? おばさんはあなたの味方だから、ほんとのことを言ってちょうだい』
だんだんと少女に笑顔を向けてくれなくなっていった。
『……いいかげんにしてくれる? 何度呼び出させれば気が済むの? たまたま疑いをかけられることがこんなに続くわけないって、馬鹿な私でもそろそろ気づくのよ』
表情には代わっていらだちが濃くにじみはじめ、
『あんたのようなうそつきの恥知らず、ほんとにこの世にいたのねえ』
半年するころには、すっかり軽蔑と嫌悪に染まっていた。
そしておばさんは罵るとき以外、ほとんど河辺姉妹に関わらなくなった。鈴明はふたりぶんの最低限の生活費――おばさんが思う範囲で――を渡されるだけになり、三歳の春美の面倒をひとりで見つづけた。
学校にも救いはなかった。万引き少女として周りに知れ渡ると、クラスで鈴明は孤立した。いっそほんとうに非行グループに入ってしまえば楽だったかもしれないが、その道も自分で断ってしまった。
女子非行グループのリーダー各にからまれたときのことだ。『あんた慣れてるんでしょ、あたしたちのかわりに取ってきてよ』薄笑いで言われた命令を、鈴明は強くこばんだ。万引きのぬれぎぬをかぶせられてぼろぼろになっていた心には、適当にやりすごす余裕などなかったのだ。結果、生意気な奴と目をつけられ、いじめが始まった。だれも助けてはくれなかった。
語り終えると呆然と視線を落とし、鈴明は深く深くうなだれた。
「わけがわかんないです。なんでこんなことになったのかも、どうすれば解決できるのかも。お母さんが生きているあいだ、『引き寄せてしまう』ことなんてわたし、起こさなかった。
おばさんはどうすればもう一度信じてくれるんでしょう、わたしが嘘を言っていないって」
静かに話を聞いていた紺が、口をひらいた。
「引き寄せてしまう現象が起きるようになったのは、お母さんが亡くなってから。まちがいないな?」
「はい……」
「そうか。ああ、くそ」
紺は乱暴なののしりを吐いて、ぐしゃぐしゃと自分の髪をかきまわした。いらだちとやるせなさをこめた彼女のつぶやきが聞こえた。「継いだんだな」と。
――継いだ。
「紺。説明して。継いだってなに」
こわばった声で求めた山内くんに、紺は向き直った。
「山内。この子は、『
狐。
狸。
犬。
猫。
蛇、猿、
「人に憑くとされる獣はたくさんいる。
たいていは個人に憑くだけだが、ときに家に憑くものもいる。そういう憑き物を
そこへいくと鈴明ちゃんの憑き物は、由緒正しい『家筋』だよ。
たぶん女系の家筋だろう。お母さんが亡くなったために、鈴明ちゃんがそれを受け継いだんだ」
「あ……あの……」
理解が及ばない話に、鈴明は目を白黒させている。
鈴明と、その上でふわふわ浮く毛玉に目をやって、紺はぽりぽり指一本で頬を掻いた。
「証拠がないと与太話にしか聞こえないだろうな。この子にはオレたちと同じものを見せたほうが手っ取り早そうだ」
席を立とうとした紺を、山内くんはぎょっとして止める。
「河辺さんにも見せるってどうやって。ちょっと君まさか、僕を見鬼にしたときのアレをするつもりじゃないだろうね」
紺の秘火を口からふきこまれると、常人でも一時的に、怪異を見る力がそなわる。
山内くんがされたときは一時的ではすまなかった。かれはそれ以来ずっと怪異が見えてしまっている。
「ちげーよっ。アレはこっぴどく怒られるし、おまえのとき以来やってねーよ!」
以前の失敗をほりおこされた紺はちょっと頬を染めて口をとがらせ、
「周りくどいけどべつのやり方を覚えた。
鶴三おっちゃん、この店って奥に暗室あったろ。ちょっと貸して」
二股に分かれた
明かり入らざる座敷にて車前草に火を灯さば
たちまちにして憑きたるものの形見ゆるといふ
「というわけで、ウチでは憑き物の正体を見るときこういうものを使う」
紺はぺらりと一枚の符(まじない札)を取り出した。
場所は鶴豆やの奥の暗室だ。
半世紀以上前から撮影マニアであった鶴三は、店の住居部分にフィルム現像のための専用の暗室を持っていた。建てるときわざわざ建築業者に注文を出したのだという。
現在は使われなくなって半ば物置きと化しているそこに、紺は山内くんと鈴明を連れて踏みこんでいた。「怖いから見ない」と鶴三氏は来ていない。
「符を二枚貼りあわせ、あいだにオオバコの押し花をはさんでる」
「それを燃やすの? ライターかマッチがある?」
「いや。これはうち特製で、オレの火で燃える。それじゃいいか、電気消すぞ」
そう言うと紺は、電球のスイッチを切った。
同時にふーっと宙に火を吹いた。山内くんと紺の目には、ぼうと暗室が青く照らしだされる。
狐の血を引く紺は、霊狐が狐火を吹くように秘火を吹く。秘火は狐火とはすこし違うが、ほぼおなじものだと山内くんは聞いている。
熱のないその火は、基本的にこの世のものに燃えうつることはない。
だが、紺が言ったようにその符は、十妙院家の特製であるようだった。
「
――ともし立てたる
紺が
「えっ……」
鈴明がおどろきの息をのむ。
(あ、符にうつった秘火は見えるんだ)と山内くんは気づく。
鈴明には、前触れなくいきなり符が燃え上がったように見えたのだろう。
「こっちじゃない。おまえらのうしろに映った影を見るんだ」
紺が指さしたのは、暗室の壁だった。
燃える符は、そこに一同の影を映していた。
並んでいる山内くんの影と鈴明の影、そして――
浮いている毛玉の影。
ずっとそばにいたものの存在をようやく知った鈴明が、小さく悲鳴をあげてあとじさる。
その裂けんばかりにみひらかれた目の前で、毛玉の影はぐねぐねと動きだしていた。
獣の形をとっていく。
「ひ、な、なに……」
小さな頭。四本の短い足。尻尾へと続くなだらかな背の線。
それはまぎれもなく、哺乳類のなにかの姿だった。
「オサキだな」
おびえる鈴明を尻目に、紺が断定した。
オサキ? 山内くんは首をかしげる。
「はじめて聞くけど、それどんな動物なんだい」
「オサキの正体とされる動物は、地方によって違う。狐だという場合もあるけど、イタチやテンやオコジョであることも」
言われてみれば、と山内くんは影絵を見つめた。
「すごく大きなイタチっぽく見えるね、これ」
影絵でサイズが引き伸ばされているため正確な体長はわからないが、尻尾を含めて一メートル近くはありそうだった。
「ん。たぶんこの動物、有名なあれだ。こいつの憑き物は珍しいけど、もともと化けるって伝承もあるからそう不思議じゃ……おっと、時間切れだ」
紺の手のなかで符が燃え尽き、あたりは闇にとざされた。
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