第15話 おまじない

 また許嫁という魔法ワードで誤魔化してきたかと思ったが、詩衣の言いかけたワードから考えてみれば理由はもっと単純だった。


 そうだ……詩衣は香月の当主からマンションの一室をプレゼントされたのではなく、マンションそのものを渡されていたのだ。


 それに加え、俺は俺自身で部屋を契約した訳じゃない。


 考察をまとめると、当然俺の部屋の所有権もまた詩衣が持っている訳で……詩衣の手に持っているのはマスターキーかオリジナルということになる。


 つまり、今の詩衣は無許可で俺の部屋に入る事ができる……ヤバいね。


 一度視察したところ、部屋ごとに鍵が取り付けられていなかった気がするし、ヘッドホンで大音量の音楽を聴いていたら背後に詩衣が来るなんてこともあり得る話だ。


「んで、手に持っているそれは?」

「おまじないセットです」


 急いで持ってきたらしい本に目を向けると、本の表紙に思いっきり『猿でも出来る催眠マニュアル』って書かれていた。


 ……滅茶苦茶胡散臭い。


「これを使って、真琴くんには今から私におまじないをかけてもらいます」

「えーっと、どんなおまじない?」

「私が真琴くんを好きになるおまじないです。どうにか真琴くんに惚れさせてください」

「んんっ!? ちょっと待ってくれ……何の為に?」


 意味のわからない展開に、流石の俺も愕然とした。

 詩衣は俺の事を好きでもないのに、どうして態々そんな事をする必要があるのか理解できない。


 いや、明らかに詐欺っぽい催眠マニュアルを見れば、おまじないなんて十中八九効く筈もないんだけど、これはもしかして――俺をからかっているのか?


 或いは、何か詩衣なりのテストなのかもしれない。

 さっきから許嫁を強調してくる物言いから考えても、このお願いにはきっと裏がある筈だ。


「私、恋というものをしっかりと自覚してみたいんです!」

「なっ、なるほど」


 あくまでそういう動機付けという訳か……いや、この言葉すらも何かの暗喩かもしれない。


 許嫁として、本当はまだ認めていない……許嫁ならば微かでも恋を教えてほしいっと、そう言う事だろうか。


「どうぞ。手順は書かれている通り結構単純なんですよ……条件を言葉にしながらその怪しい円盤を揺らして、最後に自分の願望を言葉にするだけです」

「怪しいって言っているし……まあ、うん。わかった」

「効果は一回限りみたいですから、嘘吐いたりしたら大変ですからね」

「お、おう」


 念入りに言われたものの、催眠が本当に効くわけもないだろうし、お前に与えるチャンスは一度だけという意味なんだろう。


 そして、おまじないのやり方が書かれているらしいマニュアルを受けとると、キラキラとした目を向けられる。


 きっと期待の眼差しに違いない……さて、どうする? 俺はまだ、許嫁として詩衣が求めている回答に至れていない。


 しかしこのマニュアル手にしてわかったが……まさかこの冊子数ページしかなくないか? え、薄くないか……同人誌じゃないんだぞ。

 というか――。


「ふぁっ!?」


 定価20000円。ぼったくりじゃねぇか!

 騙されているだろ……と言葉にしようとしたが、詩衣のキラキラと輝く瞳に俺の心が貫かれた。


 ええい、ままよ!


「えーっと、家にいる間でいいので、どうか俺の事を好きになってください……でも出来るだけ――」


 条件は取り敢えず曖昧に、言われた通りの言葉を紡ぎ、最後の言葉を刹那の時間に考える。


 言うべき言葉は俺の願望……でも、ここに詩衣が俺を試している部分があるように思う。

 けど、幾ら考えても何が正解なのかわからない。


 ……限界だ。

 どうせなら、今のこの悩みそのものをぶつけてみようじゃないか。


「こんな回りくどい方法を使ってこないで……詩衣の本心を教えてほしい!!」

「……っ!?」


 一体何を試しているのか、きちんと言葉にして教えてほしい。

 それが俺の今抱えている一番の願望だった。


 普通の男子だったなら、もっと邪な気持ちが一番の願望だったりするのかもしれないが、自然と全くそんな気持ちは浮かばなかった。


 ただ詩衣が望む答えを知りたい……それが俺の純粋な気持ちだ。

 しかし――。


「私は……真琴くんのことが好きです! 去年、車に轢かれそうになった時、助けてもらってから、自然と見るようになって……もっと近くにいたいなって思っていました」

「ん……?」


 あれ? なんで急に俺、告白されているんだ!?


 唐突な出来事に一瞬思考が追い付かなかったが、ある可能性だけが脳裏に浮かんでくる。


 まさかっ、もしかして……催眠が効いている?

 ぼったくりだと思っていた値段が正規のもので……本当に催眠をかけることが出来てしまったんじゃないか?


「だから、偶然お見合いの相手が真琴くんだって知った時にはもうドキドキだったんですよ」


 詩衣の言葉ひとつひとつに俺の心臓はバクバクと鳴り昂る。

 例え本心でなくとも、好きな人からこんな風に好意を伝えられたら嬉しいに決まっている。


 俺はこれでも、罰ゲームで告白された時だって普通に嬉しかった男だからな。

 しかし、ここは冷静に考えなければならない。


 一回助けられたくらいで惚れたりなんてしないから、催眠の影響によって脳内で適当に惚れた理由を補完されているのかもしれない。


 詩衣の顔を見る限り、嘘を吐いているようにも見えないし、これは確実におまじないが成功してしまったようだ。


「私の顔をまじまじと見て、どうしたんですか? 私の本心は伝えましたよ」

「いやなに、そんな事を気にしてくれているとは夢にも思っていなかったからさ、素直に嬉しいよ」


 平然を装いながら、頭の中で色々と考え込む。


 催眠が効いてしまった……ということは、今の詩衣は俺の言う事を聞くってことだよな?

 彼女にやってほしいことは沢山ある。まずは写真を数百枚――。


 いや、待った……根本的な事を忘れていた。

 この暗示、一体いつまで続くんだ? 記憶は残るのか?


 詩衣が言った通り、マニュアルにも催眠は一回限りと書かれている……まさか本当に効くとは思っていなかったが、マニュアル通りならば再び催眠をかけることはできない。


「お見合いの時は真琴くんのことを好きじゃないなんて嘘を吐いてすみません。そっ、その……あの時は緊張してしまいまして――」

「ああ、うん。気にしてないから大丈夫だよ」


 ……そういう設定を加えて整合性を取っているんだね。


 取り敢えず暗示の効果によって、記憶が補完されていることはわかったが、これからの出来事についても俺の都合の良いように変換されるとは限らない。


 欲を言うならば、この状況を利用して詩衣を俺のものにしたいとさえ考えている。

 願望として言葉にはできなかったが、俺の方が一生側にいてほしいと思っているからな。


 でも効果期限があって記憶が残るなら、残念ながら無理矢理拘束や監禁をして躾けることはできないだろう。


 催眠が解けてしまった時、詩衣に嫌われてしまったら元も子もないからな。

 俺の願望を叶えるならば慎重に動かなければならないという事だ。


 それに、この催眠状態であっても欲張らずに紳士な振る舞いを続けることこそが、詩衣に求められている真の試練かもしれないのだ。


「それで……ですね。あのっ、こうしてきちんと恋人になれた訳じゃないですか」


 欲張らず紳士である事を決心していると、何故か詩衣が上目遣いでもじもじしていた。


 まるで本当に恋する乙女みたいだ……桜の淑女だなんて呼ばれる詩衣のこんな可愛い顔、初めて見た。感動だ。


 そっか……俺は詩衣と恋人になれたのか。

 たとえ催眠が解けるまでの期間限定だとしても、俺達は相思相愛を演じることができる。


 なんて夢見心地なんだろう。

 今の俺は、魔法にかかったシンデレラの気分だ。


「とてもお恥ずかしいのですが、彼女のお願い聞いてほしい……な?」

「もちろんさ。なんでも聞くよ」

「恋人ですもん。キス……したいです」

「んなっ」


 なんだって? 何を言っているんだ……キスなんて恋人がすることだぞ!

 誰だっ……俺の詩衣の唇を奪おうとしている輩は!?


 詩衣の彼氏となると……俺か!

 まずい……舞い上がり過ぎて現実が直視できていなかったようだ。


 ここまで早く詩衣の初めてを頂けるとは思っていなかったから、頭が真っ白になってしまった。

 催眠の効果……恐るべし!!

 普通のカップルだって付き合ってすぐキスなんてしないだろ。


 昨日俺が呼んだラブコメではまず手を繋ぐまでに一回デート、そこからハグをするまでに三回デート挟んで、五回目のデートで初めてキスまで言っていたのに、早すぎる。


 まさか大先生が奥手だったのか?

 いや、ありうる……以前、読んだラブコメではすぐにキスをしたものもあった。


 あまりにも官能的だったために、すぐに本を閉じて封印してしまったが、まさか詩衣の知識はその域に達しているというのか。


 いいだろう……ならば、俺も少しハードルを上げなければならない。

 封印後、チラッとページを進めて見てしまった舌を入れるキスを今後の目標にしよう。


 まずは普通のキスを体験しようじゃないか。


「おっ、俺もキスをしたいな。詩衣が欲しい」

「はいっ」


 催眠の効果なのか、詩衣はさっきまでの恥ずかしそうな素振りを一切見せず、俺の顔に両手を充てると……そのまま唇を重ねてくる。


 結果は、想像以上だった。


 ふわふわな感覚は凄まじく、あまりの気持ちよさに俺の脳はSOSを発信していた。


 今すぐに詩衣から離れなければいけない……俺の心が保たない。

 そう考えた時、新たな違和感を覚える。


 ん? あれ? なんか、ふわふわじゃない。

 俺の口内に何かが侵入している。


 一体それが何なのか頭で認識した瞬間、俺の意識は途切れた。

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