第9話

 千代田区にモーテル『アヴァロン』から離れた地点では、寒そうな夜空の下でムゲンが自宅へと帰るために歩いていた。

 そんな中、千代田区の歩道には様々なキッチンカーが並び、風俗営業店の客引きが客を誘っている。


「へい、そこのお兄さん! うちの料理食べてかないかい!?」


「ふふ、私はこう見えても人妻なんですよ。ですが旦那様にバレなければ問題ありませんね、ちょっとだけなら遊びましょうか?」


 ムゲンが歩く道端では、水商売を営んでいる人妻の女性が男性に話しかけている。

 しかし男性は人妻の誘いに乗ることはなく、そのまま立ち去ってしまう。

 その後ろ姿を見た女性は残念そうにため息をつくと、再び他の男性に声をかけ始める。

 このように夜の東京は昼間よりも多くの人間が動き回り、中には違法薬物に手を出している者もいる。


「しかし腹が減ったなぁ……」


 ポケットトロンの時計の時間は夜の三時を指していた。

 しかし先程まで何も食べずに夜通しでリリィの相手をしていたムゲンは、空腹により少しフラついてしまう。


(何か食べよう……ラーメン、駄目だな今の時間だと重い。担々麺、辛いからヤダ)


 そうしてムゲンが歩道に並ぶキッチンカーや屋台を眺めながら歩いていると、一軒の蕎麦の屋台を見つける。

 その店先には暖簾がかけられており、看板メニューとして大きな海老天を乗せた月見そばの写真が大きく貼られていた。


(蕎麦……蕎麦かいいな蕎麦にしよう)


 食欲をそそる香りに惹かれたムゲンは、蕎麦屋の暖簾をくぐって屋台に座る。

 カウンター席しかない小さな店内では、白髪交じりの男性店主が一人黙々と調理をしていた。


「いらっしゃい、注文は?」


「海老天蕎麦一つ」


 ムゲンは席に座ると、屋台に貼られていた海老天蕎麦の写真を指差し注文する。


「天ぷらはいくつで?」


「四つ」


「二つで十分だよ」

 

 店主は呆れた表情を浮かべながらも手際よく海老の尻尾を取ると、衣をつけて油の中へ投入していく。

 そしてしばらくして四匹の丸々と太った海老の天ぷらが揚がり、店主はそれをトレーに乗せていく。

 注文した海老天蕎麦ができる間、ムゲンは水を飲みながら待っていると、ムゲンの隣の席に何者かが座ってくる。


「いらっしゃい、注文は?」


「熱燗と蕎麦を一つだ」


 ムゲンがチラリと隣の席に座った者へ視線を向けると、そこには黒いジャケットを羽織った男が座っていた。

 ジャケットの袖から見える手は、サイバーウェアと思わしき手が出ている。

 そんな男の注文を聞いた店主は足元に置いてある機械から、日本酒の入った徳利とお猪口を取り出す。


「あいよ熱燗」


「ああ……」


 男はお猪口に日本酒を注ぐと、そのまま一気にぐいっと飲み干す。そして再びお猪口に日本酒を注ぐのだった。


「……」


 ムゲンは隣に座った男を一瞥すると、再び視線を前に向けて水を飲む。その間も店主は何も言わずに蕎麦を茹でていた。

 その間に妙な雰囲気が流れていく。それはまるでピリピリとした戦場の雰囲気が漂っていた。

 隣に座っている男を怪しんだムゲンは、再度男に視線を向ける。ただし先程と違う点は、目に魔力を込めて男の身体を霊視することであった。

 霊視――すなわちオーラリーディングをすれば肉体に宿っている生命力を見ることができる。それを応用すれば、対象がどれだけサイバーウェアを入れているのか判断することも可能だ。


(この全体的に弱々しいオーラ……身体を義体に置き換えているのか)


 ムゲンが隣の男を霊視した結果、男のオーラは弱々しいが健康体に見えた。それはこの男の肉体が、機械へと置き換えたサイボーグ――つまり全身義体の持ち主であることを示した。

 そのまま時間は過ぎていき、店主は湯切りをした蕎麦を器に入れると、そこに出汁を入れてかき混ぜる。

 最後にネギを入れると、その上に海老の天ぷらを乗せて完成させる。


「はい、熱々の海老天蕎麦ね」


「どうも」


 ムゲンが海老天蕎麦の入った器を受け取ると、割り箸を取ることなくジッと海老天蕎麦を見つめる。


(殺気……!)


 隣に座っている男から強烈な殺気を感じ取るムゲン。

 次の瞬間、ムゲンは無言で海老天蕎麦を隣の男に向かって投げつける。しかしそれと同時に隣の男は刀を抜くと、ムゲンに向かって斬りかかってくる。


「むっ!?」

 

 ムゲンの投げた海老天蕎麦は空中で真っ二つに切断され、その中身は蕎麦つゆとなって地面へと落ちる。

 しかしムゲンの方は男が抜いた刃を紙一重で避けると、そのまま椅子から飛び降りて外に走り出す。


「いきなりなんだよもう!」


 ムゲンは吐き捨てながらも、全身義体の男から逃げるために走っていく。

 ムゲンの身体能力は他種族と比べても高いものであるが、それでも全身義体のスペックと比べてしまうと、やはり見劣りしてしまう。

 そのためか最初は離れていたムゲンと全身義体の男との距離は、徐々にその差を縮めていく。

 仕方なくムゲンは車道に向かってジャンプすると、そのまま走っている車の屋根に着地する。

 そしてかつての義経の八艘飛びの如く、車から車へと跳び移りながら逃げていく。

 全身義体の男もムゲンの動きを真似するかのように、車から車へ跳び移りながらムゲンを追っていく。

 重量のある全身義体の男に踏まれた車の屋根は、グチャリと大きく凹んでいき、さらに凄まじい脚力でジャンプした衝撃により、車はバランスを崩して横転するのだった。

 そんな二人の追跡劇を残された屋台の店主は、唖然としながら見ていた。


 **********

「ハァ……! ハァ……! 何なんだよアイツ……!」


 ムゲンの逃走劇が開始して数分後、ムゲンは未だに走って逃げていた。

 何度も通行人を壁にして距離を稼いだが、それでも全身義体の男との距離は変わらない。未だにムゲンは全身義体の男の視界内にいた。

 

(このままじゃ捕まる……こうなったら)


 打開策を考えたムゲンは大通りから外れると、迷わず人気のない裏路地へと逃げ込む。

 ムゲンが逃げた先はビルとビルの隙間にある裏道で、そこは行き止まりとなっていた。


「あんまりやりたくないけど……」


 そう呟いたムゲンはグレーのポンチョを脱ぎ捨て半袖になる。そして背中からドラゴンと淫魔の一対の翼を生み出す。

 そのまま翼をはためかせたムゲンは、勢いよく地面を蹴ると空へと飛ぶのであった。それと同時に全身義体の男が路地裏に入ってくる。


「背中に種類の違う二枚の翼。ふん、情報通りか……」


 不敵に笑う男はそう言うと右腕を構える。すると右腕が展開していき、右腕から黒のサブマシンガンが現れる。

 サブマシンガンを展開した全身義体の男は、照準をムゲンに合わせるとサブマシンガンと電脳リンクした脳内トリガーで引き金を引く。

 するとサブマシンガンの銃口から、九ミリ弾が連続で放たれる。

 放たれた弾丸の雨がムゲンに向かって飛んでくるが、空中にいるムゲンはサブマシンガンの銃弾を全て避けていく。

 縦横無尽に逃げるムゲンであったが、次第に追い詰められていき遂には壁に激突し、そのまま地面に墜落してしまう。


「くっ……!」


「ここまでだ」


 右腕を構えた全身義体の男はそう言うと、ムゲンに向かって再びサブマシンガンのトリガーを引くのであった。

 バースト射撃で無数の銃弾を放つ全身義体の男に対して、ムゲンは咄嗟にビルの裏口に転がり込んで銃撃を回避する。


「ちぃっ!」


 銃撃を回避されたことを確認した全身義体の男は、舌打ちをしながらムゲンが逃げた裏口に走っていく。

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