第17話 悔恨

 生物戦争は、大詰めを迎えていた。

 ユーリイの睨んだ通り、戦況はカンラ側に傾いたまま、終始優勢に動いていた。


 戦場の舞台が本拠地であるのに加え、完全に迎え撃つ形で戦が開始した事等も要因ではあるが、最大の理由としては、やはり相手側の戦力が不足している点にある。

 シャーネ側の生物兵器達がいかに協力な能力を持っていたとしても、ユーリイのように思考の全てを戦いで占めることはできなかった。僅かながら動揺や恐怖といった感情が生まれてしまい、無心で動く戦闘人形達にとっては、それが恰好の的となる。


 本来、その穴を埋めるべきである生体改造は、いずれも不完全な形態が多く見受けられた。

 ウェンへ言葉を年配の女性──チュンは、町の中央の内にある、高所の建物の覗き穴から広域を見渡していた。危険が迫れば、その都度下に降りて密やかに移動し、所定の位置について、再び戦地の状況を監視する事が彼女の役割である。


 視界を遮らないように、建築物や木々等といったものは元より抑えられて造られていた。幾つもの異形な死体が、道という道に転がり、その上を無機質な足音が流れ、戦火が広がる。

 その渦中、敵の姿が現れた。その一人は、チュンがいる建物の下の位置へ向かっている。


 観測係をみすみす表立つわけにはいかない。視覚情報を町民全員で共有させ、近い場所にいる者が増援として迅速にやってくる。

 現れた敵の正体は、全身を鋭利な刃物として変えられた子供であった。


 見るからに背が小さく、彼一人であれば脅威ではない存在。どこからかはぐれてきたのか、少しおどおどとした様子が伺えた。

 対して、加勢にやってきた味方は、

 血みどろの刀を握る、タオだった。


「……」


 両者が対峙し、男は身長が自分の半分程もない敵を前に、刀を構える。見るからに非力な相手であろうと、油断は禁物だった。


 ふとした拍子に、相手の身体が傾く。頭部に髪はあらず、首から上は板のように薄く、顔の周りに刃が広がっており、まるで等身大の大鉈に表情が宿ったようだった。その下の胴体と両手は、細長い紙のようにしなやかな素材の刃物が何枚も重なり、両足はそれぞれ刺股さすまたのように伸ばし、直立の体勢を保っている。


 一体どこに臓器や筋肉が仕舞ってあるのか見当もつかない身体だが、このような相手とは先頃まで幾度となく戦っている。故に、この少年兵も、他と比べて特別というわけではなかった。

 苦戦することはないだろう。


 自分の職務を全うするべく、下の二人を視界に捉えながら、チュンは周囲を見回し、タオはじりじりと距離を縮めた。

 子は、その様子を見て怯えたのか、後ろ足で下がる。しかし、今日こんにちの怒涛の戦いによって変化した地面の足場に躓き、転倒してしまう。


 絶好の機会を逃さず、剣士は刀を構えたまま走り出した。

 刺突の速度は加速していき、相手は何をすればいいかも分からず、成すすべなく迫る刀を眺める事しかできなかった。


 そして、切っ先が標的へ届くまで数寸の所で、

 突如現れたカスミの壁によって弾かれた。


「……っ!」


 即座に男は刀を握り直し、後方へ下がる。

 前を凝視すると、濃紺の祈力れいりょくは消え、

 両者の間に、上から人間が降り立つ。


「……タオおじさん。邪魔してごめん」


 ウェンだった。




「……」


 その三者の姿を、チュンは視界に捉え続ける。




 ウェンは、剣士へ振り向いた。


「おじさんは、悪くないよ。あの子を殺しちゃった事は、ボウに酷い目に遭って、それでおかしくなっちゃっただけなんだから」


 優し気に声をかけられたタオは、


「……っ」


 一瞬、体が震えるように動いた。


「もう、おじさんに子供を殺させたくない。ここは、任せて」


 刃物と化した生物へ向き直り、手を差し伸べた。

 この子は忌み子ではない。もしそうであるならば、生まれて間もない自分よりも年齢を重ねている筈である。この子は、明らかにウェンより幼い。自分の肉体を変えているとしても、ここまで無防備な姿であるとも考えにくかった。


「ね、大丈夫だから。ぼく、君を傷つけたりしないから。おいで」


 祈力れいりょくによって操られたシャーネの人達は、改造を大元に充てられている。つまり、ユーリイのように完全に操られているのでなければ、まだ救えるかもしれない。

 戸惑いながらも、相手は、少年の柔らかな表情を見る。敵意はないことが伝わったのか、


「……」


 恐る恐る、凶器となっている腕を上げていった。




「違うんだ……」




 突然、背後のタオが口を発した。


「え……?」


 ウェンがその言葉に反応した次の瞬間、

 刃物の子供は、自らの腕で己の首を斬った。


「っ⁉」


 あまりに薄い胴と頭部が分かれ、血が噴き出る光景が目の前に流れる。

 唖然とするしかなかった。


 どうして……。


 差し出した手を力無く下げた忌み子は、考えた。

 まさか、向こうの立場から見れば、自分の兵隊が敵の手に渡ることはあってはならないとし、もしその状況に陥った場合、先に自害するよう祈力れいりょくが働いていた、というのか。

 納得のいく結論は下せない。だが、


「……やだ……」


 自分のせいで、死んでしまったというのなら──、

 せっかく、タオおじさんが救えるんじゃないかと思ったのに──、


 そこで、思考は逃れるかのように、先ほどの気にかかった一言へと集約していく。

 ウェンは、改めて背後へ振り替える。


 タオは両膝を崩し、全身をだらりと脱力していた。視線はどこか虚空を見つめ、口は半開きになっており、まさしく糸を離した傀儡かに見えた。

 人形は、絞り出すように、言葉を並べる。


「俺にも、息子はいた」


「当時、異常なまでに管理下に置かれる狂った制度が存在し、自由なんてものは一切なく、身内の存在でしか生き長らえる力は出てこなかった」


「そこへ、突然チュンの子が、その日常に耐えられず発狂しだした。俺の息子は、そいつに刺されてしまい、命を落とした」


「許せなかった。だがどうすればいいのか分からなかった。その後、自分にできる事を見つめ直した」


「そして、俺はあの子を──」




「同じように狂った振りをして、正気のまま、殺したんだ」

 




 一連の話を聞いたチュンは、


「……」


 視線を、二人がいる下へと移した。




「全く、馬鹿な事をしちまったよ」


 ウェンは、淡々と口だけを動かしている男を見続ける。


 ──甘かった。


 元凶であるボウが、間違った事実として憶えていたことに呆れ果てるしかないが、自分自身も、カンラが抱える根深い闇の認識を、軽んじていた。

 タオおじさんだけじゃない。ユーリイの言っていた通り、きっと他にも似た境遇の人が大勢いる。


 この人達を救う方法は、果たして本当にあるのか──。


「分からない」


 男は、ゆっくりと目線を移動し、自分を見た。


「あの時、俺はなんでお前に──」



「息子の名を、つけたんだ……」



 ウェンは、瞬時に思い返した。


 自分の名前が欲しいと願い、それが無意識に操ることになってしまったから──、

 答えが結びついた瞬間、


 口を、僅かに開けては閉じるを繰り返し、

 視界からの情報が認識できなくなり、

 両足に、立っているという感覚が徐々に失われていく。


 無音の時間が、随分長く流れたかのように思えた後、

 少年の、掻き消えるような声で、


「名前……嫌、だった……?」


 思わず、曖昧な問いが出る。


「……」


 錯覚なのか、タオのその瞳は、揺れているような印象を受けた。

 再び、無限に感じる程の時間が過ぎていく。

 やがて、迷いが消えたのか、意思を取り戻したように、首を動かして向き合った。


「ウェン」


 そして、先ほどまでとは打って変わった、明瞭な声色で告げる。




「緊急事態が起きた。今すぐ私が指定する場所へ来て」




 からの伝言を伝え終えた後、タオは何事もなかったように立ち上がり、躊躇のない歩みで消え去っていく。


 少年は、その背中を見ることが、とてもできなかった。

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