第16話 生体

 人面狼じんめんろうは、連なる家々の屋根を、疾風のごとく駆け抜けた。四つ足を駆使して力強く獰猛に走り、カンラの町を足蹴にする。

 しかし、その人外の脚をも上回る速さで追跡する姿が一人。二槍使いの少女は、その小さな双脚で狼を追い縋っていた。


 ユーリイは俊足の動きで瓦を蹴っていくが、距離は縮まらない。その要因としては、純粋に相手の足が多い分小回りが利く、殆ど速度を落とさずに不規則な道筋を歩むことができる、そして少女は長柄の武器を所持している為、移動に制限がかかってしまう点にある。

 彼女も当然、このまま追いつこうとは露ほども考えていない。


 一本の薙刀を空中へ離す。もう一本は逆手に握り直し、肩に担ぐ形で持つ。

 そして、ユーリイは狙いを定め、二、三歩を踏んで体勢を直し、体全体を回して十分な力を乗せ、標的に向けて一本を投げた。


 祈力れいりょくで強化された身体によって放たれた薙刀は、音速を超えるかのような勢いで加速していく。

 狼は、後方斜めから迫る刃を直前で察知したのか、凄まじい反応速度で体をひねり紙一重でかわす。薙刀は皮をかすめ、その先にある家屋の角の部分へ、刃と尾部の石突いしづきが露出する形で貫通した。


 続けて程無く、第二撃の槍が襲う。

 初撃と比べると速度はやや落ちているが、標的が回避に努めた為に体勢が悪く、静型である反りの少ない刃は、その筋張った胴中を貫かんとする。


 寸前、狼は真上に跳躍し、刀は空をかすめ、二の矢の攻撃をも凌いだ。

 わずかな間、獣は宙へと浮く。

 そこへ、猛襲の少女が重なった。


 彼女の真価は、人体を隅々まで掌握し操れる故に、一通りの武器を扱える所にある。乱戦用に(彼女にとって)適した二本の薙刀は手放しても、その手に握った一振りの短刀のみで獲物を狩る事が十分に可能である。


 ユーリイは、二本目の薙刀を投げた後、片足を全力で蹴り、狼の元へと移動。膝を曲げ体を丸めた状態で定めた相手へ急接近すると、短刀を振りかざし、

 一閃を描いて首を落とそうとする瞬間、獲物が更なる反応を見せた。


 こちらへ首を向き、針だらけの口を大きく開けて構える。

 それを受けて、ユーリイは短刀の鞘を左手で瞬時に取り出し、相手の喉元へ入れ込むように突き出す。がちりと小気味の良い音を発して顎を閉ざされ、勢いを削がれた少女は、狼と繋がった軸である左手を鞘から離し、建物の上へ降りた。


 相手側も同じ屋根に着地し、口を開けて唾を吐き出すように鞘を捨てる。その鞘を一瞬見ると、無数の細い針穴に、穴同士で繋がってできた亀裂が割れていた。

 狼は威嚇するように針山である歯と牙を見せ、鳴き声を上げてこちらを睨みつける。


「やだやだ、怖い怖い」


 事もなげに少女はそう呟き、小刀を刃のない片側でとんとんと肩を叩いた。

 こうして間近まで迫れば、敵は易々とは逃げられない。脚の速さはこちらがまさっている上、もし無防備に背中を見せた瞬間、そこを狙えば仕留めるのは簡単だろう。


 最も注意するべきは反応の速さである。

 先刻の動きを見るに、その超反応であらゆる角度からの攻撃に対処できるのが厄介な点であった。加えて、常人を超える素早さと凶悪な歯牙が合わさり、通常の

民兵では到底及ばないのも当然ではある。


「ちょっといい?」


 ユーリイは左手を上げ、眼前の相手に突然話しかけた。


「おたくと組んで、うちの町人を全員殺してもらう代わりに、そっちの奇人達がまとめて傘下に入ってくれる計画だったよね? 話が違くなーい?」


「……」


 問いかけに対して、狼は無反応のまま、

 斜め横から少女へ迫り、前足を上げてそれぞれ上下に備わった鋭い爪を開ける。


 ユーリイはふっと嗤いながら、片肘を地につけて上体を横に浮かせ、軽々と避けた。狼はその動きに反応し、下にいる少女へ爪を振るう。短刀と左足に仕込んだ苦無くないを左手で引き抜き、金属と爪が幾度も交わった。倒れた少女の下からの蹴りを後ろ足で防ぎ、飛び越す。ユーリイは腹筋だけで立ち上がり、両者は今一度睨み合った。


 見れば、人面狼じんめんろうの爪の中身も針が埋め込まれており、幾本の舌と粘りついた唾液が確認できた。手先にも口の役割を兼ねていたらしい。

 恐らく殺傷能力を高める為に、人体を変えた数ある一つの結果だろうが、順応させる為にその状態を維持し続けた事を考えると、不便極まりないその生活に同情せずにはいられなかった。


「絶対噛み辛いでしょ、それ」


 言うと同時に苦無くないを投げ、ユーリイは力強く突っ込んだ。

 相手は飛んでくる小さな刃を例の反応速度で避け、続いて振り下ろされた短刀にも回避する。右腕を下ろした形となった少女へ、顔面を丸ごと噛み砕こうと、全身を飛び込んだ。


 直前、左の手刀で狼の喉元を下から叩き込む。僅かに茂った毛皮の中から確かに手応えを感じ、動きが鈍くなる。

 生じた僅かな隙を逃さず、即座に追撃を叩き込む。単に腕を振り回すのではなく、様々な方向から体ごと加速させて斬り付ける。


 相手は尚も攻撃をいなし続けるが、体勢が崩れ、常に受け身に回らざるを得ない格好になる。

 少女が無尽に動き回る中、狼は活路を見出したのか、建物が連なる屋根上へ道を兆す。

 察知したユーリイは、その方向に沿うように、すぐさま瓦を蹴る。瞬間、狼は地面に限りなく近い低姿勢で突進した。


 横へ振るった刀はわずかに毛皮を削ぎ、人面狼じんめんろうは脱出を果たす。


 そして、幾本の矢が降りかかった。


 少女の猛攻に集中し、周囲の警戒を緩まざるを得なくなった狼は、例の如く超反応を以って回避を試みるが、全て避ける事は叶わず、躯幹くかんを二本が貫いた。

 いしゆみ──木と金属から成り、縣刀引き金を引けば強靭な矢が発射できる武器──を引いた人物は、かつてウェンと共に遊戯を嗜んだ三人の一人であるローだった。

 表情を変えることなく、祈力の加護を受けた、いしゆみに矢を置けるほどの筋力を以って、次のを直接素手で投げる。


 ただの子供である彼らは、原則的に近接での戦いは不利な傾向にある為、斥候や遠隔による攻撃が主な仕事となっていた。その腕は、手毬遊びのように放物線を描き、その先にある的の棒を射る程である。

 痛手を被った狼へ、ユーリイは更に追撃の一手へ出る。但し短刀では距離が足りない。


 少女は、標的の先へ飛びつくと同時に、横へ左腕を伸ばした。

 手元へ導かれるは、ローの手によって放たれた薙刀。回転されながら飛んだ長物は、差し出した左手が柄の先端になるよう、寸分の狂いなく届けられる。


 薙刀を片手で掴んだユーリイは祈力れいりょくを注ぎ、回転の勢いを乗せたまま、そのまま渾身の力を込めて振り抜く。

 矢によって手傷を負わせた獣畜に回避する余力はなく、殺処分を目的とした薙刀は、その一振りで大風を巻き起こすかのように、空気を引き裂いた。


 風前の灯火の如く掻き消えそうな狼の天命は、ここへきて更に脅威的な粘りを見せる。

 迫りくる刃を本領の反応速度で捉え、大口を開けて極細の歯牙を砕きながら刀をがちりと止めてみせた。


 穂先を咥え込んだその顎には、決して逃さないという意思の元が現れており、更に力を強めてゆく。

 そして、刃がひび割れた瞬間、祈力れいりょくが噴き出すように溢れ出した。


 朱と黒が濃厚に入り混じったカスミは、人面狼じんめんろうの口内を起点に暴れ回る。

 祈力れいりょくは荒縄のように激しく回転して動き、全身を捩じり回す。いかに人体の強化に務めても、直接捻られる類の攻撃には無警戒のようだった。


 骨という骨を粉砕し、付随する肉はぶちりぶちりと絞り切られ、祈力れいりょくが足の先まで移動した後も、逆行してもう一周するよう念入りに責め立てる。

 一連の動作を終える頃には、人にも狼にも判別できない、紫黒色の大小様々な欠片のみが大量に残された。


「ふう……っと」


 戦いを終えたユーリイは静かにそれを眺める。

 忌み子ではない。

 恐らく、ただの赤子から作り変えたのだろう。


 祈力れいりょくによる人体改造には、即興で変えるよりも、徐々に時間を費やして順応させた方がより効果的である。生まれた直後であるまっさらな状態からであれば、理想とする生体を施しやすい。適当な栄養分を強引に与え、強制的に成長させればこれぐらいの出来になるのも頷ける。一、二年ほどの歳月をかけて。


 決定づけたのは、戦闘中に出鱈目な文言を投げかけ、何も応じず襲い掛かってきた点だった。忌み子本人、もしくはケガレにより命令を施された兵士ならば、何らかの反応を示す筈である。

 しかし人面狼じんめんろうは、まるで言葉そのものを理解していない様子で意に介さなかった。恐らく、忌み子から与えられた本能の赴くまま、懸命に戦っていたのだと推測する。


 全く関心した。物事を適当に覚えてその場をやり過ごすボウも、見習ってもらいたいものだが。

 頭を切り替えて別の考えに集中する。


「うーん……?」


 ユーリイは、いかにも納得がいかないように首を傾げた。

 抱いた疑念とは、シャーネの頭目である忌み子がどこにいるのか、ではなく、


「なんで、改造具合がこんな温いんだ……?」


 敵は、人間の体を変える事が得手ならば、今戦った相手はともかく、周囲の人間達はまだ改良の余地があるように思える。


 そもそも、ユーリイが最初に警戒していたのは、毒素を含んだ胞子を噴煙としてばら撒く、等といった制圧的な攻撃である。これの対処方法自体は割と簡単で、ケガレによって町民の体に耐性を持たせるようにすれば毒の影響はほぼなくなる。ただし、その分を祈力れいりょくにあてなければならない為、動きは多少鈍くなってしまうのが懸念点であった。


 だが、そういった手段をとる改造人間は一部しかなく、それらは現在までさほど脅威ではない。

 かといって、近接戦に特化した戦士を用意した風にも見えなかった。


 このままいけば、人員の損耗を想定より抑えたまま、この戦争に勝利を収めることになるが──、

 町の全容を見渡す為に配置した数人──主にそれらから通じて、少女はカンラの状況を把握していた。


 だが、それだけでは拭いきれない違和感がある。

 ユーリイは、今一度祈力れいりょくを集中し、カンラの民衆全ての視覚、聴覚を自分へと共有させた。脳裏に大量の光景と環境音が一斉に重なり、それら全てを一度に正確に処理する。

 何か見落としがないか、些細な出来事を見逃していないか、全てを拾いつくすつもりで情報を貪った。


 周囲がまだ戦闘を広げる最中に、棒立ちのまま佇むが、それは短い時間で事が済む。

 信じ難い場面、異常な事態が丁度目に入り、


「ん、あれ? 嘘?」


 少女は、頓狂な声を上げた。

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