第15話 放流

 ユーリイは、遠くにいる人面狼じんめんろうと異形の物体を順繰りに見た。


「まあとにかく、あの二匹をどうにかしないと。他とは違って、並の人間じゃまず太刀打ちできないから」


「……っ」


 思考の渦に入り込む前に、ウェンは現実に引き戻された。

 少女は二本の薙刀を構えなおす。


「最初に、ウェンはボウを指示し直して。適当に離れさせた所で戦ってもらう。あいつと連携入れるのだるかったから、現場をこの目で見るまで温存しておきたかったけど、もう必要ないから自由にしていいよ。なんならウェンが戦いやすいようにボウを開放してやってもいい。あの馬鹿でもこの状況を見てどう動くかぐらいは判断できるから」


「……」


「で、あの二匹だけど、狼のほうは私がやる。あの速さで動かれたら私ぐらいしか追いつけないから。ウェンはあの気持ち悪いのをお願い」


 一瞬目を瞑り、一呼吸入れて考えをまとめ、返事を返す。


「わかった。どっちかが忌み子って事で合ってる?」


「人体を変えられる以上特定は無理だけど、あれらが特に強いわけだから、可能性は高いね。当然、忌み子貧乏くじを引いたら苦戦する事になるし、両方かもしれない」


 確かに、元々二人いた場合も捨てきれない。油断をするつもりは毛頭ないが、

 何か違和感を覚えた。それは殆ど勘に近い根拠で、理屈で説明できないものだが、ここまでの町の戦局を見て、形用し難い何かを感じてしまう。


 自分達は、思い通りに作戦を進めているのだろうか。


「じゃ、頑張ってー」


 ユーリイはそう告げると、早々に屋根上へ上り、人面狼じんめんろうがいる方向へ飛び去った。

 それを見届けると、ウェンはタオの方を向いた。


 彼もまた、別の場所へ移動しており、丁度建物の角を曲がった所が目に映った。


「……」


 言葉を口に呑み込み、戦うべき相手へと体を向けた。

 ユーリイの計らいなのか、戦っていた他の民衆は引き払っており、ウェンと一対一の状況になっていた。


 改めて敵を観察してみる。着目するべきは体全体にびっしりと生えた棘だろう。

 試しに、斜め上空から少量のカスミを物体へ飛ばしてみる。


 標的へ近付いたカスミは、近くの部位にある複数の棘が高速で、交差して刺された。力を失った紺の祈力れいりょくはそのまま消えていく。槍と化した突起物は、再び雑草程の元の長さへと即座に戻った。


 あの伸縮自在の凶器にも、イノリの力が入っている以上、無防備に近付けば、串刺しどころでは済まないだろう。

 もし、先ほどタオが上からの急襲に成功すれば、そのまま惨憺たる被害を及ぼして命を落としていた事になる。


 ウェンは憤りを覚えた。やはりどう言い繕っても、人間に対しての扱いを変えるつもりが無いことは明らかだった。

 たとえこの事を咎めたとして、ユーリイは必ずしも死ぬとは限らない、仕掛けなければ更に大勢が死ぬ事になる、とでも雄弁に口を動かすのだろう。


 ……今は目の前の敵に集中するしかない。彼女についてどうするかは、この戦争が終わってからだ。

 ウェンは、相手の次の行動を見た。あの敵の脅威となる要素はまだ幾つもある。


 数十本の足で屈み、物体は大きく跳んだ。その巨体に見合わない動きの速さで、少年の上を悠々と通る。

 ウェンの真上の位置で、物体は底面の皮を引き裂き、そこから粘液を大量に落とした。事前に体外に練った祈力れいりょくで上方に壁を創り、前へ移動して回避する。


 液を浴びたカスミの屋根は、氷を炎で溶かされるように崩れ落ち、少年の元いた場所を紺と紫が混じった色で侵し尽くされた。

 獣のような俊敏さに、触れた対象をたちどころに溶かす毒液。なかなかどうして厄介である。


 少年を飛び越した物体は着地し、その場で半回転しながら小さく飛び、こちらへ振り向く。

 相対した二者は次の行動を開始する。ウェンは祈力れいりょくを練り、奇怪な体である敵は、更に変形を始めた。


 全身から伸びている無数の棘がある一か所に集まり、一つの巨大な形あるものに変化する。伸縮のみならず体外での移動も可能らしい。

 出来上がったそれは、細長く伸びた棘が一本の筋となり、数百に及ぶその筋が束となって一本の強靭な腕へと変容した。


 前腕と上腕、三本指から成っており、大木のように逞しいその腕を天空へ伸ばした様は、まさしく樹齢を重ねた大樹と見紛う。

 そして、短い間を置き、その巨木を倒して横へ振り回した。


 周囲の建築物をものともせず破壊し、暴れ狂う。その光景は、通常の腕で雑草を薙ぎ払う行為を、そっくりそのまま置き換えたようだった。

 一瞬で警戒意識を上げる。あの腕の強大な膂力りょりょくは明らかに危険だ。

 物体は、障害物を粗方潰して空間を広げた後、元来の敏捷性でこちらへ近付く。


「くっ!」


 速攻で距離を詰め寄り、強靭な一本腕を振りかざした。ウェンは素早く、先ほどより分厚い盾を築く。

 空気の流れを、強引に捻じ曲げられたかのような感覚を肌で味わう。


 下ろされた打撃は、獣の猛突進と、隻腕せきわんから繰り出される剛力が合わさり、あらゆる創造物を破壊せしめんとする存在を意味していた。

 やや斜めの角度から迫る巨拳──。悪寒が走ったウェンは半歩下がり、盾を上の位置へ、垂直に立てた。


 盾と衝突した拳は、力が下へ受け流され、そして轟音が響く。

 少年が先刻までいた位置に大穴が開き、カスミの盾はひん曲がり、目鼻の先まで押し込まれた。


 自分が辿ったかもしれない惨状を目にし、戦慄を覚えると同時、

 腕を伸ばしている相手の本体が、毒液を吐き出した。


 量は小さいが、放物線を描くように盾の上を飛び越し、少年へと降りかかる。

 直前でそれに気付き、回避を試みる。方向から見るに縦ではなく横でなければならない。


 咄嗟に右へ飛びつき、直撃は免れたが、左腕の部分である、着物の袖にかかってしまった。

 付着した袖はたちまち溶かされていき──、


「うっ……ああああ!」


 その下にある、前腕への侵食を始める。

 とてつもなく熱く、気絶しそうな痛みが左半身を支配した。右手で抑えようとし、すんでで止めるが、苦しさがより明瞭になったかに思えた。


 毒液の勢いは止まらず、このままでは焼き切れそうになる。液に触れた患部を、体の内側から祈力れいりょくを盛り上げるように動かし排出する。


 そこへ、物体による一撃が繰り出された。


 盾から離れてしまった少年に、横払いの攻撃が直撃。家々の前を吹っ飛ばされ、小さな体が跳ねながら減速する。


「……うぐ……」


 突進の加速が乗らなかった一撃であり、尚且つウェンは瞬間的に気配を感じ、もう一度祈力れいりょくを横に向けて集中した為、幾分軽い打傷で済む事ができた。

 しかしそれでも、決して無視できる手傷ではない。溶液による火傷かしょうも健在のままだった。


 よろめきながら立ち上がる所を、物体は間髪入れず、またこちらへ突っ込んでくる。腕を横に置いた状態で進み、それに巻き込まれて破壊される建物が目晦めくらましになっていた。

 次も同じ手で防げるとは限らない。まともに喰らえば今度こそやられる。おまけに今、必要な量の祈力れいりょくを発するには時間が足りないだろう。


 左肩をさすりながら、向かってくる敵を見据えた。


「……」


 ウェンは目を閉じ、イノリを操った。

 瞬間、物体の腕が、乾いた音とともに小さく破裂する。


 突然の異変に相手は困惑したのか、動きが鈍くなり、突進の速度が緩んだ。

 先ほど受けた打撃──、防御をするのと同時に、ウェンはその腕へ、微量な祈力れいりょくを注ぎ込んでいた。その祈力れいりょくを用いり、腕を内側から張り裂けたのだ。


 そうして生まれた隙に付け込み、ウェンは瞼を開け、全身から祈力れいりょくを放った。

 、イノリは、敵の元へと捧げられ、命を絶つ幾つもの凶器へと変化し、それが猛速度であらゆる角度から対象へ振るった。


 両目に移った光景は、濃紺のカスミによって、全身をずたずたに切り裂いていく物体の姿。原型となる欠片の眼球や肉片が、ぼとぼとと巨大な刃物から零れ落ちる。

 勝負を分けたのは、自分が果たして、手綱を捨てられるか、にあった。

 相手の体が細切れになり、動かなくなった事を確認すると、


「あつっ……」


 思い出したように左腕に痛みを覚え、片目を瞑って、液に触れた腕を触る。

 結局、ユーリイの助言通りに従ってしまったのが腹立たしかったが、そうしなければとても勝てる相手ではなかった。自分にとってケガレが不得意というのは、なんとも複雑な気分でしかない。まさか制限を外すだけでここまで楽に祈力れいりょくを動かせるとは、自分自身でも想像できなかったのだ。


 ……ボウへのケガレを開放したことにより、その分の祈力れいりょくが自分の元へ戻ったことで今回の敵は倒せた。しかしこれで、今度は奴が自由に動けてしまう。

 事ここに至って、まさか妙な動きはしないと思いたいが、懸念材料を増やしてしまったのは否めない。仕方がないとはいえ、歯がゆい気持ちだった。


 だが、それよりもまず考えるべき事がある。


 周囲を見回すと、他にまだ戦いを繰り広げているのが確認できる。

 それは、人々を操作する祈力れいりょくが未だ健在という事である。となれば、今倒した相手がシャーネの住民を操っていたわけではない。これは、改造されてしまった普通の人間。


「……」


 本丸である忌み子は、別にいる。

 ウェンは、ユーリイが去った方向を見た。

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