第12話 真意

 語り終え、古ぼけた一室に無音の空気が流れた。


「……うん。よくわかったよ」


 やがて、それを座して聞いた者が声を発し、静かに立ち上がる。


「貴重な体験どうもありがとう」


 ウェンは、床に腰かけたままのボウを、見下ろした。



    ◇



「──え?」


 ユーリイは、唖然とする。


 眼前の忌み子へ、深々と刺し出す筈の右手の先は、周囲を纏う祈力れいりょくに触れる程度で止まった。

 急速に動き出した紺のカスミにその右腕を縛られ、先ほどまで加速していた彼女の勢いを殺されたからである。


 まるで、意思を持っていたかのように。


 前腕を抑えているカスミが、上腕と関節が曲がれない方向へ動き、

 察知したユーリイはそれに沿う形に移動を試みる。

 が、直後に祈力れいりょくは逆方向へ転換し、少女の体は片腕に引っ張られ、宙に一瞬浮く。


 その瞬間、自由を奪われたユーリイの上から、胴体を包み込む新たな祈力れいりょくが被さられ、そのまま地面に叩きつき、凹凸の破片が周りに飛び散る。そしてその祈力れいりょくは五体へと広がり、ユーリイは仰向けの状態で拘束される形となった。


「……あっれー?」


 彼女がそう呟いたと同時に、少年に包まれた祈力れいりょくが徐々に引いていく。

 そして、ウェンの素顔が現れた。


 特に変わりのない様子で、下目にかける。視線の先にいるユーリイへ右腕を向け、そこから祈力れいりょくを用いり捕らえていた。

 ウェンが口を開く。


「今、どんな気持ち?」


「あれ、意外だなーって感じ」


 ユーリイは軽い調子で答えた。


「こっちの思惑、完璧に分かってたとしか言えない動きだった。一体どうやって知ったの?」


「……」


 ウェンが無言で応じると、


「あ、分かった」


 ユーリイは晴れやかな顔を浮かべた。


「ボウにケガレで操って、それで聞き出したんだ」


「……」


「それしかあり得ないんだよ。作戦の詳細なんて他に残してないし、ボウが裏切ったとしても得がないし、ここ数日だけしかいないウェンが、情報不足の状態で推測するのも無理あるから」


 的中されたのをおくびに出さず、冷静に返す。


ケガレで忌み子は操れないって言ってたのはユーリイ。それはどう説明するつもり?」


 少女は明るく振舞った。


「んー、方法までは流石になんとも。でも、あのボウだからさあ。愚図で、頓馬で、私が生まれてくるまで他の忌み子への対策も大してしていなかった、適当さで人格固まってるあいつから聞き出したっていうなら、そこまで不思議に思わないわ」


「……そうだね」


 そうさせたのは自分とはいえ、得意げに機嫌よく計画を明かしていたあの男の顔は、傍から見て滑稽なものだった。


「やっぱり操ったんだ?」


 息を吸って、事実を述べる。


「そうだよ。ユーリイと二人でぼくを嵌めようとしていたのを、ボウから無理やり聞き出した。それで、変異する祈力れいりょくの動きを見せれば、ユーリイはぼくを狙う。そこを注意して観察すれば、捕まえるのは難しくないって思った」


 ウェンは、左手を上に向けた。


「ボウは今も操っていて手の中にある。そっちに勝ち目はない」


 ユーリイは、納得したように口を開けた。


「ああ! ウェンが今日イノリの調子が悪かったのって、変異の前兆じゃなくて、苦手なケガレを使い続けてたせいか! なるほどね」


 何度も頷いている少女をウェンは眺めた。

 与える情報は選別している。ここまではいい。


 知られたくないのは、自分の過去である。

 母親が森の中を逃げ回っていた頃──。ウェンは母体にいた時に傷を受け、追っ手を取り払う為に祈力れいりょくを行使し、結果、精神と力を消耗された事になった。


 その後、全身が紺色に侵食され、祈力れいりょくが不調になった事も考えれば、推測できるのは容易かった。

 あの瞬間に、変異が起きていたと。


 つまり、自分には人格も祈力れいりょくも今後変わる事はないと思っていい。

 そしてもう一つ、相手に伝えない出来事がある。


 ユーリイは笑みを抑えた。


「で、実際どうやってボウを操ったの?」


「自分で考えれば?」


 冷ややかに返す。現状、こちらが圧倒的に有利ではあるが、不必要な情報や、反撃の暇を与えるつもりは無かった。

 少女は面白くなさそうな表情を浮かべる。


「ふーん……。じゃあ、今こうして私を捕らえたままで、ウェンは今何をやろうとしてるの?」


 ウェンは、はっきりと口にする。


「カンラの人たちを、ユーリイのケガレから開放して」


「……へえ?」


 少女は、見るからに落胆した。


「すぐに殺さないで何をするかと思ったら……。あのねえ、そんな事したらあの町無防備になるんだけど。わざわざ他の餌食にされたいわけ? 正しい事やってるつもりだろうけど、むしろ破滅の道に進んでるよ?」


「町は、ぼくが守る」


 堂々とした声色で答えた。


「当然、刃物とかは取り除いた後で開放させて。もうお前らなんかの好きにはさせない」


「はい、解放しましたって私が言って、それをどう確認するの?」


「ぼくが操っているボウに確かめさせる。ついでに防衛もあいつにやらせる」


「それで、ボウを操ってる事をわざわざ口にした訳か」


 はー、と関心するように息を吐いた後、ユーリイは呆れ顔で尋ねた。


「じゃあもう一つ。タオとチュンの間に何があったかは聞いてるよね? 他にも同じように、滅茶苦茶複雑に入り組んだ境遇の持ち主が大勢いるわけ。私が生まれる前にボウが皆を雑に扱っちゃったもんだからさ。今は私の手でその記憶を忘れさせてる。解放したら間違いなく該当者の全員が発狂するよ? 絶対今の状況を維持した方が最善だと思うんだけど」


 ウェンは、放出しているイノリに力を入れる。


「適当言うな」


 ユーリイの体は、彼女自身の祈力れいりょくによって強化されているらしく、傷を負わすには少しの時間が必要そうであった。


「僕は、このまま握り潰しても構わない。散々利用されてきたわけだし」


「……」


 徐々に締め付ける力を増してやる。妙な動きを見せたら即刻破壊するつもりだった。

 短い無言の間が続き、


「聞きたいんだけど」


 最初に破ったのはユーリイだった。


「なんでボウみたいに、ケガレを私に使わないの? そっちのほうが絶対手っ取り早いでしょ」


「……」


 確かにそれも考えてはいた。だが、唯一の懸念があった。


 休憩所の時、塊にケガレが混じってしまい、発狂を起こした一件。

 目に映ったのは、他者の祈力れいりょくが混じってしまうと予測不能の動きになると思しき事例だった。


 ここでユーリイの祈力れいりょくに、自分のケガレを入れてしまうと、カンラの人たちはどうなってしまうのか。そこだけがどうしても気がかりではある。

 しかし、ここで尻込みして、相手に付け込まれる隙を晒されては台無しだった。


「どうしてもやらないっていうなら、ここでユーリイを殺して、その後じっくり町を見ていく」


 できる事なら、安全の為にケガレが無くなるのを完全に見届けてからが望ましかったが、場合に応じて強硬手段もやむを得ないと考える。


「わー怖。やろうとしてる事、悪役まんまじゃん」


 ウェンは、冷静だった。


「そろそろ、早くやって」


 次の返答次第でユーリイの処分を決める。


「……」


 沈黙の後、ユーリイは嘆息を吐いた。


「私さ」


 続けて投げかけられた言葉は、およそ場にそぐわないものだった。


「物語を楽しむ時、整合性を重視しちゃうんだよね」


「……」


「どんなに面白そうな展開とか設定とかあっても、矛盾や違和感があると、異物が入り込んでるみたいで気持ち悪い。現実でもそう。全部の物事に、納得のいく合理的理由がないと、途端にくだらなく感じるんだ」


 静かな眼差しのまま、彼女は言った。


「私はね、ウェンを殺す気は元々なかったの」


 少年は、眉を寄せる。


「さっき君に突こうとした武器、よく見なよ」


 目配せをした少女に、警戒を緩めず慎重に視線を移す。


 少し離れた横には、一つの破片の上に、短刀の鞘が落ちていた。祈力れいりょくによって正確な感触は掴めなかったが、防いだウェン本人が把握していた為、確かに先程ユーリイが使用していた得物である。そこから少し遠くを見ると、薙刀の二本と抜き身の小刀も発見した。


「殺そうとしたなら、最初から矛で斬りにいってたよ。あえて鞘で喉元狙った後、首筋と鳩尾に打撃を入れて無力化させるつもりだった」


 ウェンは、目線を戻す。


「なんでこういう事したかっていうと、戦力が一つでも必要だったから。ここの忌み子みたいになっても使いようはいくらでもある。

 ──次のいくさが始まるからね。ボウを、ちょっと外出させてみ」


 それを見た少年は、ずっと神経を集中していたボウの感覚に、微かな違和感を抱き始めていた。

 依然として苦手なケガレの為、朧げな意識を拾うような形になっていた。


 予感がし、ボウを家の外に出す。そこに現れたのは、

 町中が、異様な緊張感に包まれているような感覚。


 視覚や聴覚を共有する事は叶わないが、更に細かく読み解こうとし、徐々にその様相が明確になる。

 その答えが判然とし、


「……え⁉」


 ウェンは驚愕した。


「……町中が、戦ってる……?」


 意識が、現実へ戻る。見上げる少女の顔がそこにあった。


「そう。今、カンラは攻め込まれているの。反対側から、シャーネに」


 頓狂な調子を戻したユーリイに、問いかける。


「何で……? 見張りは⁉」


「警備はあえて今日だけ緩くしてある。そこを、ついさっき完全に引き払わせた。で、そこをシャーネの連中が敵襲にきたってわけ」


「……いや、おかしい! いくらなんでもそんなすぐ襲えるわけない!」


「できるよ。情報を一瞬で伝達できる、向こう側の諜報員がいればね」


 ユーリイなら、すぐにそれを看破できる筈、そう言おうとしたところで、気付いた。


「……わざと?」


「その通り。向こうの忌み子はずっと襲撃の機会を伺っていた。そこを利用しようと考えたの。あえて情報を少しだけ与えてあげて、こっちは万全の状態で待ち構えてやろうってね。ちなみに、ウェンも会った、鬼のお面の人がそうだよ」


 にわかに、信じがたい内容だった。


「だから、今私を殺したり、ケガレから解放させちゃうと、カンラはあっという間に全滅しちゃう。せっかく町を守ろうとしていたのに、そんなの、ウェンは嫌でしょ?」


「……っ」


 ウェンは睨みつけ、イノリの力を強めた。

 みしりと、骨が軋む感触を覚え、ユーリイの表情が歪む。

 限りなく低い声を浴びせた。


「だから? それでぼくがこの手を止めると思った? なんでもかんでもお前の思い通りに、なると思うな!」


 少女は、笑みを崩さなかった。


「……あっ……そう。ならいいよ。……殺せば? こっちには、その気は無かったけど」


 絞り出すような声で続ける。


「このままっ……、手を下せば、君の道理は……、その程度だったって、私が、失望するだけだから。……やりなよ」



 忌み子の二人は、互いの視線を受け止めた。

 静寂が灰色の場を支配し、時が流れる。

 そして──、

 


 ウェンは、捕えた祈力れいりょくを使い、

 ユーリイを左横へ投げ飛ばした。破片を撒き散らしながら倒れこんだ彼女へ、冷淡に命令する。


「早く準備して」


 体に手を当てながら、少女は立ち上がった。


「いたた……、あーあ、傷ついたなー。色々」


 短刀と薙刀を拾い、向かい合う。


「じゃ、参りますか。今は私の兵達が食い止めてる段階だから、まだ十分間に合う」


 次の目的を定め、二人は走り出した。




「問題は、ボウなんだよね。あの恥知らずが戦力になってくれればいいんだけど」


「ユーリイこそ。さっきだって、『私も必死に戦ってて、人々を操ってないと不安になる』っててきとー言って、ぼくに罪悪感与えようとしてたのも、すごくおかしかった」


「やだー。恥ずかしいからやめてー」


 少女は、顔を赤らめた。

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