第11話 隙

 ねずみ色の世界の中にある、かろうじて路地裏と呼べるような細い道が続いていた。


「はー、そんな事あったんだ。まあ珍しい話でもないよね」


 トンセンの目的地へ向かう道中、ウェンの見世物部屋の話を聞き、ユーリイは興味無さげに呟いた。


「それ以外にさあ、他に何か喋ってなかった?」


 否定的にううん、と答えると、少女は溜息を吐いた。


「これからの戦いに役立つ事が聞けたら、思わぬ収穫だったんだけどなあ」


 今回、ウェンには忌み子を討つという事以外にも目的がある。しかし、彼女の様子は一向に変わる気配が無い。

 少年は尋ねた。


「ユーリイは、ああいうのを見ても平気なの?」


「私、見てないし」


 案の定な回答が返ってきたと思いきや、次の言葉は意外なものだった。


「でもまあ、それなりに思う所はあるかな」


「……え?」


「そりゃ、可哀そうだと感じるくらいには共感するよ。私の支配下に入ればまだましだったろうにね」


 一応、そのままの意味だと捉えておく。


「……びっくりした。ユーリイにそんな感情があったなんて」


「こう見えてもね、必死なんだよ私も。敵に襲われない為に見張りやら視察やら、あらゆる準備を施して備えないと不安になる」


 そう語った彼女の表情は、先頭を歩いている為、拝む事はできなかった。


「だからかな……、いつも私が、他の人間を手中に収めようとするのって、その表れなのかもね」


 ユーリイは、立ち止まった。


「まあどの道、あいつを倒さない事には始まらないんだけれども」


 彼女が見据えた先には、例の忌み子と思しき存在が佇んでいた。

 風体としては、全身が例によって灰色に塗りつぶされている事を除けば、普通の人間と大差ないように思える。十代中頃に相当する身長で、特筆すべきは、絶えず体から漏出している、朧げな祈力れいりょくである。


 濃度を見ると、あの忌み子のカスミは三、四割程と思える。あの状態でこちらを攻撃されても質量が足りず、損傷には至らないだろう。

 問題は、その尋常ならざる量。本体の三倍近くが祈力れいりょくで覆われ、なお尽きる事無く漏れ出ているカスミをどう掻い潜るべきか。


「一つ幸いなのが、休憩所の時みたいに、他のアレがここに寄ってこない事。よっぽど人望無かったんだろうね」


 周りを見渡してみると、瓦礫の数がひときわ以上増しており、元の建築物を一切推し量れない惨状だった。


「あいつの『特色』は何?」


「ない。というより、今のあの状態こそが特色みたいなもん」


 ユーリイの言葉を聞き、ウェンは静かに忌み子を見つめた。

 変異が起きてこうなったと考えると、どうにも複雑な思いを抱く。

 まさに今その現象で巡り、争い合っている事も重なり、猶更そう感じた。


「準備しといて」


 ウェンは頷くと、濃紺のイノリをいつもの倍の大きさで捻出させ、態勢を整える。

 ユーリイは、薙刀を一本持った片手から、朱色が混じった祈力れいりょくを小さく出し、そこから分離して、薙刀を空中で独立させた。指一本触れず、確かめるようにその武器を自在に回す。その後、残りの一本をそのまま両手で持ち、刃先を下段に構えた。どうやらこれが彼女本来の戦い方らしい。


「そろそろいい? じゃあいくよ」


「……う、うん」


 合図と共に、空中の矛が灰色の忌み子へ真っ直ぐ飛び──、

 標的へ命中する直前、舞い上がるように大きく跳ねた。薙刀は忌み子を飛び越え、背後へ回り込んだ瞬間、急降下して振り下りた。


 同時に、二人が飛び出す。

 先ずは背面の刃から入った。まるで体幹を乗せたかのような重い一振りが、鈍色のカスミを切り裂いていく。


 相手は一瞬、それに気を逸らした気配を感じ、ウェンは自作の祈力れいりょくを片手にそのまま突っ込む。その速度を乗せて、大岩に近い質量武器を撃ち出した。

 攻撃は鈍い音と共に命中し、強打された忌み子は奇声を上げながら吹っ飛ばされた。そして、周りに纏わりついた大量のカスミが、引っ張られるように本体へ追っていく。


 その瞬間の、僅かに祈力れいりょくと忌み子が別れた時を見て、次はユーリイが飛び込んだ。

 先程の攻撃である、空で発射させた矛より遥かに速く、進行方向は標的とやや外れているが、その分薙刀を横に伸ばして刃先を届かせていた。


 通常であれば、この一閃に力を乗せる事は到底不可能だが、ユーリイのイノリによって、巨人の薙ぎ払いにも等しい力の技へと昇華させた。

 一瞬の内に灰の忌み子は深い創傷を負わせ、奇声を更に高く調音する。

 が、周りの祈力れいりょくは直ぐに元の持ち主へ返っていった。


「やっぱり、まだ簡単にはいかんかあ」


 そうぼやいたユーリイが武器を構え直し、ウェンは再び祈力れいりょくを練る。

 見ると、相手は四肢を地につけ、獣のような態勢をとっていた。そこへ、鈍色のカスミが集まっていく。


 すると突然、再びイノリが周囲へ広がり、そのまま緩やかな放物線を描いて、地面へ降り注ぐ。

 その直後、イノリの寵愛を受けた瓦や木材、石の破片等が、大量に浮き上がった。


「っ!」


 それを見たウェンは、後退しながら前方に身を守る壁を張るように祈力れいりょくを操る。体を横に向き、膝を曲げて姿勢を揃える。

 予想通り、相手が繰り出す攻撃は無数の石礫だった。


 礫が連続で衝突し、盾を通じて少年に幾つもの激しい衝撃が伝わる。


「……ぅ!」


 まるで横から大地震を受けてるかに思え、壁の維持を務めるのに精一杯になり、


 ──ユーリイはどうなってる?


 疑問に思った少年は目を細め、祈力れいりょくの壁に石が通らない程の小さな穴を開けて、忌み子の向こう側にいる少女へ視線を向ける。

 彼女は、ご自慢の槍で破片の雨霰を次々と叩き落とす行為と、微妙な動きで細かい石を避ける回避を織り交ぜてやり過ごしていた。


 特に不思議にも感じなかったが、守りに徹しているのを見る限り、流石にこの状況で無謀な突っ込みは控えておくようだった。

 石礫は落ちたものから再度補充していき、尽きる雰囲気は全く伺えない。


 この後はどうする。少しこのまま様子を見ようか。

 そう思考した直後、

 ユーリイが瓦礫の一片を打ち、こちらへ飛ばしてくる。ウェンが築いた盾に勢い良く命中した。


「いっ……⁉」


 突然の激しい振動に揺り動かされ、壁を保たせたまま動揺が走った。

 少女はその後、宙に浮いたもう一本の薙刀を高速で回し、円状の盾を作り出して凌ぎ続ける。


 一連の行動の意図が読めなかったが、何も変化が無いのを見てようやく理解し始める。

 ──私では現状攻める事ができない。だからここからの攻撃はウェンが仕掛けろ──。


 少年は考えを巡らせた。

 手傷を負わせ、錯乱している今なら付け入る隙はある。彼女に攻撃する手段が本当にもうないのかは疑わしいが、動く気配を見せない以上、やるしかないらしい。


 とはいえ、厳しい状況だった。


 絶え間なく石が猛襲されるのを防いでいる状態から、更に新しく相応の祈力れいりょくを用意するのは困難を極めるだろう。まして、ユーリイの様子を監視しながら、祈力れいりょくを繰り出すのに不調なこの時に、その作業を行わなければならない。

 腰を落とした状態でウェンは、左腕から出来うる限りの力を絞り、徐々にその祈力れいりょくを増量させる。湧き出る汗水が止まらなかった。


 視線を落とさず、体を常時揺すられながら、片手で精密な操作を繰り返す。

 あまりに険しい分業を、気の遠くなる程の時間が過ぎるまで続けた。


「はぁー……はぁー……」


 そして、疲労困憊に陥りながらも、傍らに大岩のカスミが出来上がった。

 それを認めたユーリイは、笑みを浮かべて動き出す。


 円の盾を解除し、その矛は忌み子の周りを泳ぎ始めた。敵の気が逸れたのか、こちらへの攻撃が甘くなり始めた。

 最初からそれで援護しろと文句を吐こうとしたが、どうせろくな答えが返ってこないと悟り、溜息を代わりに吐いてこちらの仕事に集中する。最も有効な武器は、ユーリイの戦い方が参考になった。


 カスミを忌み子の上へと移動させ、特殊な器に水を入れるように、命を絶つ凶器へ段々と形を変える。

 完成したのが、先端を細く円錐状に尖らせた巨大な槍。真下に標的を狙えるよう位置と向きを調整させ、

 高速の回転をかけ、投げ落とす。


 貫通力をより高めた槍は、星が落下したかの如く、

 灰色の忌み子を貫いた。

 意思を失った瓦礫群が一斉に墜落する。それに伴って、断末魔や呻き声を一切上げずに崩れ落ち、地面へ倒れ伏した。


 ウェンは祈力れいりょくを解いた後、両膝をついて荒く呼吸する。

 なんとか、乗り切れた。そう心に安堵を覚える。


「おー?」


 離れた位置にいるユーリイが、額に手をかわしながら倒した相手へ近付いた。


「なんか人の原形が見えてきた」


「え……」


 その言葉に反応し、急いで立ち上がって駆け寄ると、徐々に祈力れいりょくが消え去り、元の色へ戻っていく遺体を見た。

 腹部に穴が空いていることを除けば、普通の人間の女性──、浮かんだ感想はそれだった。とても先ほど戦った忌み子とは思えない。


 体から離れるイノリを視線で追ってみると、砂煙のように空へ舞い上がり、自然と消えていった。


「どうやら、あっちが忌み子の本体っぽいね」


「……どういう事?」


「あれはいわば思念。暴走してしまった祈力れいりょくで体が壊れちゃって、その意識が祈力れいりょくそのものに移っちゃったんだと思う。で、その祈力れいりょくが全く関係のないこの人の体に乗り移り、意思のないまま暴れていた、って所じゃない?」


 再び、遺体の女性へ目を向ける。

 見るからに悲しげな雰囲気を漂わせていた。


 忌み子がなぜここに居座っていたのか、分かった気がする。

 恐らく、理由はない。


 変異は、祈力れいりょくみならず人格までも豹変する。

 その前に行った行動や周囲の影響は、当の本人にとっては別人の所業になる、という事だろう。


 意識を持たない者だからこそ、何でもないこの場所を陣取っていた。

 忌み子にとって変異とは、まさしく自分自身を失う、避けられようのない現象。


 ウェンは、ユーリイを見た。

 考えている間に帰路につこうとしていたのか、既に歩き始めていた。


 その姿を眺めていると、

 いつの間にか、イノリが滲み出るように放出していた。


 徐々にそれは全身を浸していき──、

 少年の視界を覆っていく。


 濃紺のイノリは、ウェンを完全に呑み込んでいった。

 


 そこに、

 ユーリイが、懐から素早く得物を取り出し、手にしていた武器を放り投げ、力強く地面を蹴る。


 たった今イノリに包まれた忌み子へ、猛速度で向かっていく。

 その速さを乗せたまま──、

 首の箇所を刺した。



    ◇



 ボウは、楽しそうに語った。


「生まれて間もない忌み子は未熟な段階だ。そいつに祈力れいりょくを使わせ、心理的に追い詰めると、変異が早く起きる傾向になる。爆弾はさっさと起爆させたほうが扱いやすい」


「この数日、俺とユーリイでウェンを板挟みの状態に陥らせ、訓練と称して祈力れいりょくを行使させた。余計に普通の人間としての感情を持ってる分、相当参っただろう。トンセンの道中も続けるがな」


「変異の前兆として、その者には明確な変化が訪れる。最たる例が、祈力れいりょくを出すのが不調になっている状態だ。で、そうして変異が起きてだ、その祈力れいりょくが何になるかを見極める必要がある。トンセンの忌み子のように、害しか撒き散らさない類のものなら──、ま、後の言葉は要らんだろ」


「狙うとすれば、まさに変異の瞬間だ。全身が祈力れいりょくに侵食された時、それこそが、付け入る隙の現れ時だからな」

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