第3話 見学


「へー。こんな短い時間で、言葉覚えたんだ。すごいね」


「そうなのよ。もう私より上手に話せるんじゃないかしら」


 食卓を囲んでいるユーリイとチュンの賛辞に、少年は力無く答えた。


「全然、そんなことない、よ……」


 声が震えたその理由は、謙遜や遠慮といった類ではなく、

 例の霞を一寸たりとも表に出さないよう集中する為である。


 言葉を習得した今、彼には『忌み子』という概念がどのようなものにあるのかを知っていた。

 なぜなら、自身が生まれる直前、母親と兵が交わした会話の内容が耳に入り、それが胎内記憶として、鮮明に思い浮かべられるからだ。


 忌み子という存在が明るみになれば、これまで親同然に支えてくれた二人から、どんな反応を示すのか不安でならなかった。災厄の存在として非難を浴びせられるか、これまで通りに愛情を注いでくれるのか。


 ここへ過ごしてから忌み子の話題には一切触れられなかったが、子が生まれる前に母体ごと殺してしまえという前例があった以上、やはり良い目で見てくれる線は薄い。

 ならば、なんとか隠し通すしかない。


 先ほど、初めて霞が現れて取り乱したが、深呼吸し、波立たない水面のように平静を心掛けたらすぐに治まった。

 霞の力を制御できるようになれば、これまで通りに過ごせる。少年は、その希望に縋る他なかった。

 ひとまずは、タオとチュン、新たに加わったユーリイとの食事。この場を切り抜ける事が先決である。


「まだ、話すのはちょっと怖い、かな……」


 固い表情を無理やり笑顔でほぐし、慎重に粟粥を口に運ぶ。

 その直後、隣のユーリイが顔を近付けた。


「もっと自信持ちなよ。怖がってちゃ前に進まないぞ?」


 少年は少し後退り、視線を外す。


「まだ、その……、もっと色々学んでからに、しようかな」


 そう言うと、少女は微笑んだ。


「『前に進む』って意味が分かってるなら大丈夫。失敗を恐れるな!」


 ユーリイは、言葉尻に片手で握り拳をつくった。


「……う、うん」


 失敗を恐れるな。その台詞は、少年にとって印象的に残った。

 案外、自分の正体がバレても、この人達なら受け入れてくれるのかもしれない。


 そんな期待をほのかに抱くが、その胸中には、拭い難い恐怖が刻み込まれていた。いつも優しくしてくれた二人が、あの時の兵のような憎悪を自分に向けてくるのではないか。

 悲観に陥いる傍らに、少女は手を叩いた。


「よし。それじゃ、明日は私が町を案内してあげる。で、一緒に色々遊ぼうよ」


「……え?」


「それだけ話せるならもう充分。なら今度は、人と関わっていかないとさ。せっかく喋れても相手がいないんじゃ意味ないからね」


「いや、相手ならいつもおじさんとおばさんが……」


「駄目駄目、それだけじゃ。身内しか話せないなんて悲しすぎるでしょ」


 片手を横に振るユーリイを見て、少年は考え込んだ。

 もっともな指摘ではある。どのみち、このまま誰にも会わずに過ごし続けるというのは無理な話だろう。それでも、せめて霞の件を解決できるまでは目立たないようにしたかった。


 俯き悩んでいると、少女の明瞭な声が聞こえてきた。


「わかった。じゃあもし君に何かあったら、私が助けるよ。約束する」


「……」


 少年は、心が昂るのを感じていた。

 目の前の少女がここまで案じてくれるのに、その想いを無下にはできない。何より、本当は自分でも行ってみたい。遊んでみたい。その気持ちに嘘はつけなかった。


 少年は、タオとチュンに聞いた。


「行っても、いいかな?」


「ああ、勿論」


「気を付けてね」


 あっさりと許可が下りた二人を見て、ユーリイは微笑む。


「じゃ、決定。明日の朝迎えにいくから待ってて」

 

 夕食を終え、ユーリイと別れた後、少年は、タオに呼び出された。


「明日が待ち遠しいかな?」


 一呼吸置いて、頷いた。


「そうか。まああの子もついてることだし、多分大丈夫だとは思うんだが」


 男は、少年の眼差しを受け、続けた。


「名前はどうする?」


「……え?」


 タオは、頭を掻いた。


「流石に、一緒に遊ぼうって時に無名のままじゃあ色々厳しいだろ。俺の見る限り、もう自分で考えられるだけの頭を持ってると思うから、できればお前自身で決めてほしいんだが……」


 少年は問いかけた。


「もしかして、ぼくの名前、決めてるのがあるの?」


「まあ、つけるならこれでいいかってのが一応──」


「つけてほしい!」


 少年は、嬉しそうな声色で即答する。丁度、呼んでくれる名前がそろそろ欲しいと思っていた所だった。


「……いいのか? 元々お前についてる名前があるかもしれないぞ?」


 タオの言葉に、思わず俯きがちになる。だが、どれだけ胎内にいた頃の記憶を辿ろうとしても、なぜか明確なものは引き出せなかった。自分としても悔しい思いだが、育ててくれた里親に名付けてくれるのなら、それで十分だと感じた。


 しかし、それ以上の理由として、自分が忌み子である事を少しでも切り捨てたいという、母親に申し訳ない邪な気持ちもあったのだ。

 少年は男に詰め寄り、


「お願い」


 タオの双眸をじっと見続けた。

 その視線を受けた相手は、何度も頷いた後、嬉しそうに口を開き、


「わかった。正直こっちとしても嬉しいよ。ありがとう」


 タオは、少年の名を呼んだ。


「──ウェン。それが、お前の名前だ」



 ──翌日。


「うん。すごくいい名前だと思う。よかったね。おじさんにつけてもらって」


 家の前で迎えに来たユーリイは、笑って頷いた。


「ありがとう!」


 少年は、喜びのあまりつい語気を強めて言った。

 呼ばれる名前があることを認識していると気分が高まるのを感じ、これからの事に胸が躍る。


「じゃ、ウェン。早速だけど行くよ。ざっくりめにだけど、色々見せてあげる」


 離れないようにと手を繋がれ、引かれるままに歩いていく。

 二人は長屋を通り抜け、カンラの町を見て回った。


 木造の建築物が整然と並び、どことなく綺麗な印象を受ける。傍らに植えられた松の木と共に見れば、より美しい景観として広がっていた。

 進むと川があり、向こう岸へと渡る橋を歩く。欄干に手をかけて下を見ると、川の底の石粒や土が見える程澄んでおり、光の反射で眩く輝いていた。

 そこから川の先へ視線を辿っていくと町の塀に当たり、見上げると森林に覆われる山が聳え立っていた。


「わあ……」


 見るもの全てが、ウェンにとってどれも新鮮であり、感慨深かった。

 ユーリイに手招かれ、橋から離れる。


 そして、町のやや中央に位置する、店通りへと足を踏み入れた。

 歩く人の数は多く、老若男女の民衆があちらこちらで賑わっている。

 ウェンが眺めていると、ユーリイが言葉を発した。


「ここらへんは色んなお店があってね、いつも盛り上がってるの」

「そうなんだ……」


 少女は懐から布袋を取り出し、口を開けて小銭を掌に降らせた。


「私が全部奢ってあげる。好きなもの食べていいよ」


 数十枚の硬貨を差し出され、少年は呆気に取られた。


「さ、流石にそこまでしなくても……おじさんからいくらか貰ってるし……」


「固いこと言わない。ほい」


 自分の手を掴まれ、強引に小銭を持たされた後、


「よし行こ」


 ユーリイに引っ張られ、二人は人混みの中へと入っていった。


 そこで見る売り物は、どれも新鮮な料理で溢れていた。

 豆腐のような食感のものに果物を器に盛り付けた菓子、

 豆花トウファと呼ばれる食べ物を、ウェンは匙ですくって口に運んだ。


「おいしい……」


 甘味の菓子を初めて味わい、思わず感想が零れた。

 丸ごと揚げた鶏肉を紙に包んだ唐揚げ、

 鶏排ジーパイは、少年の顔よりも一回り大きい為、ユーリイと食べ合う。


「んー、思ったより辛いわ、これ」


 歯応えのある辛味が利いた肉は、ウェンにとってより食欲を刺激した。

 餅米を蒸したものに串で刺した、黒色の棒状の一品、

 豬血糕ジューシエガオを齧ると、もちもちとした食感が癖になり易く、楽しい気分が一気に浮かび、


「豚の血を混ぜて固めたやつだけどねー」


 ユーリイの一声で、直後に複雑な心境に変わった。

 それでも血の匂いは全く感じない為、気を取り直して食べようとするが、


「あ……ごめん、ちょっと待ってて」


 突然少女は、ウェンの元を離れる。

 戸惑いながら目で追っていると、ある程度の位置で止まり、大人数人と話を始めた。


 十歳程に見えるが、色々としっかりしている子であるのは、少年からもみて取れた。もしかしたら町に関する相談事でもしているのかもしれない。

 そう少年が考え、何気なく振り返ると、


 鬼のお面が眼前に迫っていた。

 顔は赤く、角が生え、浮かべる憤怒の表情はより迫力に満ちている。

 突然の衝撃に、青黒い霞が体中に広がるのを感じた。

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