第4話 演劇
ウェンはすんでの所で、霞を止めた。
自分の中に潜む異能の力は、ここへ来るまでに、殆ど制御することができていた。驚愕する程度の感情ならば十分抑えつけられる。だからこそ、今日は自信を持って外を出歩けたのだ。
「……」
目の前にいるのは、鬼のお面を被り、全身を風呂敷に包まれていた。音もなく近付かれて戸惑ったが、鬼はすぐに違う方向へと歩き始めた。
なんとなくその後ろ姿を眺めていると、ユーリイの声が聞こえた。
「わーお、びっくりしたねー。大丈夫?」
「……うん。あの、あれっていったい……?」
「あー、まあ、いわゆる芸者だよ。ああいう風に色んな人たちが趣向を凝らして町を賑わせようとしてる」
「そうなんだ……」
群衆に紛れて消えていった鬼を見届けてから、ウェンはある事に気付いた。
「ぼくのことって、知られてないの?」
食べ物にすっかり夢中になっていたが、改めて考えれば、余所者が来てから日はそれほど経っていないのに、誰も自分に注目しなかったのは明らかに不自然に思える。
「んー、さあ? 私にもよくわかんない」
ユーリイは新しく買ったらしい品物を食べながら興味なさげに言う。
「皆自分のことに手一杯だから、新しい人が来てもあまり気にしないもんじゃない?」
そんなものだろうか、と思う。仮にそうだとしても一人くらいは話しかけてきそうなものだと、人付き合いが少ない自分でも普通に想像できるが。
そこで、別の考えが浮かんだ。避けられている、もしくは気付かないフリをしてくれているのではないか。
それならば、今抱いている違和感も納得できる。今そこかしこに歩いている人々は、どこかよそよそしいというか、普通じゃない空気を纏っているような感じがする。
もし自分を気遣ってくれているのなら、それを突っつくというのも野暮だろう。いずれにしても、今は大人しくしておいたほうがいい。
「ま、それより、今を楽しもうよ。まだまだ見せたいもの沢山あるから。ついてきて」
「あ、うん」
歩き出すユーリイに慌てながら歩いていくと、長椅子が何列か並べられ、その前に壇と卓が置かれている空間に着いた。
既に何人かが座っており、雰囲気から察するにこれから演目か何かを始めるようだった。
「間に合ったみたい」
空いている席に座ると、途中店先で買った
ウェンは、餅に夢中になり、自分の分を早く食べ終えてしまうが、ユーリイがそれを見て、まだ口に付けていない
「いいよいいよ。そんなにお腹空いてないし」
舌に残る、忘れがたい味だったので、我慢できずに受け取り、ぱくりと齧り付いた。お礼を言ってから、尋ねてみる。
「おしばいが、好きなの?」
「まあね。ずっと楽しみにしてた。きっと面白いものが見れるよ」
ややあって、派手な装飾の衣装を身に着け、顔が白く塗られている道化師のような男が壇に上がり、一礼する。
「それでは皆さん! 大変長らくお待たせしました!」
道化師は、大仰に手を広げた。
「この日を何と待ち侘びたことでしょう……これまで私がどれほど血の滲む鍛錬を積んできたか、自分自身ですらそれは把握しておりません……」
大っぴらに拳を上げる。
「今ようやく、その成果を表す時が参りました! 観客の皆様! 未熟極まりない私の演劇、どうぞ応援の程、よろしくお願い致します!」
拍手と声援が巻き起こり、道化師は卓の中から、木枠を取り出す。
紙芝居だった。
「それでは始めさせていただきます」
「題目──『忌み子と
かつて昔、とある村に、小さな男の子がおりました。
その子は、これといった特徴や才能はなく、唯一の取り柄といえば、人並みより前向きで元気な性格を持っていることでした。
そんなある日、異変が訪れます。
いつも通りの変わらない朝、目が覚めると、
自分の体から、真っ黒な霞が現れていました。
それは、『
男の子は、その力を自覚して以来、前のような明るさがみるみる内になくなってしまいます。
幸い、力を操る術を掴んでいた為、周囲から隠し通すことができ、表面上は変わりのない日常を送ることができました。
しかし、いつも遊んでいるやんちゃな幼馴染の女の子が、彼の変化に気付きました。何があったのかと問い詰められますが、答えられるわけもなく、じっと口を閉ざしました。
そうして数週間後、
突然、自分の内にある
霞は様々な草木、畑、建物、そして人へと襲い、瞬く間にそれらの形が崩されていきます。
男の子は止まれ、止まれと叫びますが、全く制御は利きません。
村の全てが破壊されつくしてしまった後、ようやく
そこに偶然、村の外で遊んでいた幼馴染の女の子がやってきました。
村の惨状と、一人座り込んでいる子供を見て、女の子はすぐに何が起きたのか、男の子が何者なのかが分かりました。
女の子は、大きな傷を負いました。
男の子は、自分で傷付けてしまった相手の元へ歩み、なんとか治せないかと苦心しますが、血はとめどなく流れ出る一方です。
女の子は、自分の傷を止めようとしている忌み子が、次第に泣き始めたのを、朦朧とする意識の中で見て、
最後の力を振り絞り、言葉を口にします。
ずっと、友達だから。
女の子は、それきり動かなくなりました。
男の子は、亡骸を抱いたまま泣き続けました。
その間、村で過ごした思い出が駆け巡り、
やがて、いつも遊んでくれた女の子が残した言葉を切っ掛けに、
忌み子は立ち上がりました。
そして、あてもなく歩き始めました、
今度こそ後悔しないように、
自分が何者なのか、目を逸らさないように、
いつか、居場所が見つかる筈だと信じて。
最後の紙を引き、道化師が一礼するのがウェンに見えた。
だが、あくまで視界に入っていただけという意味であり、それよりも思考しなければならない事で頭は一杯だった。
やはり、『忌み子』という存在が知れ渡っている。
そしてそれ以上に、『
勿論、絵物語の誇張された表現なのかもしれないが、自分自身が忌み子である経験上、あながちあり得ないとまで言い切れない。
どこまでが真実で、どこからが創作なのか確かめたい。しかし、あの道化師に、子供の自分がそのまま訊くのもまずい気がしてならない。周囲の反応も特に驚いている様子ではない為、判断がつかない。どうすれば──。
その時ふと、隣のユーリイに目を向けてみる。果たしてどんな反応を示すのか気がかりだった。
「うーん……、紙芝居だから仕方ないけど、やっぱり違和感出てるなあ……こう、無理やりいい話にしてるっていうか……」
「……」
珍しく、神妙な表情を見せていた。
忌み子について、どこまで知っているのかと悩むが、
「まあそこそこ楽しめたからいいや。じゃ、行こ」
「あっ……」
早々に立ち去って、慌てて後を追った。
少女へ追いついた矢先、どこからともなく、ウェンと同じ程の年齢の子供達がやってきた。
「あー! ユーリイおねえちゃんいたー!」
「どこいってたんだよー?」
「はやくあそぼうよー!」
見るからにいたいけな三人は、ユーリイに密着してせがむ。少女はそれぞれに頭をなでた。
「ごめんねー。今ウェンと町を見てあげてたからさ」
少女から離れた一人が、こちらに向かった。
「えー、じゃあいっしょでいいからあそぼ!」
ウェンは少し驚き、遠慮がちに答える。
「……いい、の?」
「いや、何遠慮してるの。全然いいよ」とユーリイ。
残りの二人が、待ちきれないといわんばかりに興奮して言った。
「なんでもいいからはやくしよーぜ!」
「ほら、これ!」
糸で巻いた球──手毬を差し出され、受け取ったウェンを子供達が引っ張っていく。
「俺はロー! よろしくな!」
広い場所へ移動し、五人で球を延々と蹴り合い、地面に着かせない遊戯を始める。
ウェンの番では何度も明後日の方向へ飛んで行った。
四人ともその度に笑い、むっと口を一文字に広げ、再度挑戦を繰り返す。
次第にコツを掴んできたのか、狙い通りに手毬を蹴られるようになり、ようやく勝負が成立する段階になり始めた。
「やるなー!」
「でも、まだまだだもんね!」
今まで山なりに描いたきた球が、今度は速い弾道で胸元に飛んでくる。ウェンはそれを捉えきれず、つい手で触れてしまう。
地面に転がる球を、汗を流して追いかけ、
ウェンは、楽しいと感じ、
ずっとこんな時間でいたい──。
心の底からそう願った。
遊び疲れた頃、夜が迫り、一日も終わりに近づいていく。
「すげえな! おまえ、スジがいいよ。マジで」
「……えへへ……」
すっかり子供達と打ち解け、ウェンは自然と口元を綻ばせてた。
「ほらほら、もうこんな時間だよ? そろそろこれくらいでお開き」
ユーリイが手を叩き、えー、と一斉にウェンを含めて嘆いた。
「また明日遊べばいいじゃん。早く家に帰らないと叱られても知らないぞ?」
その一言で渋々納得したのか、
「じゃ、ぜったいまたあしたあそぼうな! ウェン!」
やんちゃ坊主の印象が強く、けれども心根が真っ直ぐな友達へ、元気に答える。
「うん。ありがとう!」
三人の子供と、ウェンとユーリイが別れ、再び二人で歩く事になった。
「楽しかったね」
「うん。でも、皆強すぎだよ……だって、いつもすごい正確に嫌な位置に当ててくるんだもん。……悔しい」
「そりゃ、ずっと練習してるからねえ。皆的当てはお手の物だよ」
夕暮れ時の町を歩き、談笑する。
しかし、遊び終えて一息吐いた今、ウェンは悩み続けていた。
自分は、この町に居ていいのだろうか。
一緒に過ごしたチュンやタオ、ユーリイに、ロー達。今日だけでも様々な人々と触れ合ってきたこの町の民衆を、一つの過ちで殺しかねない力を持ったまま、図々しく生きていくことなど許されるのか──、
考えても、何一つ答えは浮かばなかった。
そんな所に、ユーリイから声をかけられる。
「ま、あらかた見て回ったかな。どう? いい町だったでしょ」
「え? ……あ、うん」
少年の苦悩をよそに、少女は笑顔を絶やさなかった。
「それは何より。じゃ、そろそろ帰ろっか。家まで送るよ」
その表情を見て、
「……あ、あのさ」
「ん? どした?」
ウェンは、勇気を出して声を絞りだした。
「その……二人きりで、話したいことが、ある」
ユーリイは、少し考える仕草を見せ、歩き出した。
「町の外に行こっか。そこなら誰も邪魔が入らないから」
「え、外って……」
「大丈夫大丈夫。ちょっとの間だけだから。こっそりね」
困惑するウェンは、仕方なくついていった。
町の入り口へ向かい、門番と話をつけるユーリイと、不思議そうにそれを眺める少年。
その様子を、じっと見ている者達がいた。
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