陸第107話 センセルスト医師の家

 センセルスト医師の病院……というか、家はひとりで暮らしているらしく、戻ると灯りも点いていなくって薄暗かった。

 まだ昼前だというのに……だが、センセルスト医師は西向きの窓だから光が殆どはいらないのだよ、と軽く笑う。


「助手もいないし、薬師もいないし、私がここで診療するなんて滅多にないのだよ。あっても殆ど夕方だから、外の明るさなど関係ないのだ」

「夕方からしか診療しないのか?」

「違うのだ、私は港や魔法師組合に直接出向いて診察をするのだよ。具合が悪くなってもすぐに医師の元に診療に来る魔法師というのは、少ないのだよ」


 どうやら、魔法師は魔力流脈が正常であると『身体の具合が悪い』ということに気付きにくいのだそうだ。

 だから、病院で『待っている診療』だと手遅れ寸前の患者など、ひとりではどうにもならない患者ばかりになってしまうらしい。


「まったく困ったものなのだよっ! ここのように小さくて住んでいる人は少ないが、人の行き来の多い町というのは、複数の医師がいる大きな宿坊付きの病院などは少ないことが多いのだね。そのせいで、診療に来た時にはどうすることもできずに、結局大きな町の医師の元へ運ぶしかないということになってしまう。そんなことでは、医師でいる意味などないであろう」

「それで、態々出向いてるのか……あ、あの『健康診断』って奴みたいなものか!」


 俺の言葉に、センセルスト医師は『そうそうそうっ!』と、まさにそのことだと大仰な動きで肯定する。

 セラフィラント公とセラフィエムス卿が『健康診断』を推奨し、衛兵隊で取り入れたお陰で魔法師組合や船大工達も受けるようになって、重篤化の防げた人がかなりいたようだった。


「そもそも、予め医者にかかるということ自体が不思議といえば不思議なのだが、それを『健康のために必要』と仰せくださったことが、すっばらしいのだ!」

「そんなに魔法師って医者の所に来ないのか……」

「ふぅんむ、君とてあの時に予兆熱があったから『病かもしれぬ』と思っただけで、そうでなかったら見過ごしていただろう? だいたい、身体というものに、魔法師連中はたいして気遣いをしていないものなのだよ」


 確かにそうだ。

 あの時だって、熱はただ単に魔法の使い過ぎで疲れている程度と思っていたし、食べて寝りゃ治るだろうと考えていた。


 実際、魔法師というのは『魔力や魔力流脈の不調』には敏感に反応して治す努力をするくせに、身体に関しては『【回復魔法】でどうにでもなる』とか『治癒の方陣札があれば平気』など簡単に考えがちなのだそうだ。


 ……反論の余地がねぇな。

 そう思ってた、俺も。


「しかし、今の君はどう『診て』も健康体のようであるが? 何故なにゆえにここへ来たのだね?」

「具合が悪いのは俺じゃなくって、俺の友人の魔法師なんだ」

「……友人……君は、友人のために態々こんな、自分に殆ど関わりのない町まで、私を訪ねてきてくれたのかねっ?」

「あ、ああ。そいつ、食べてるって言う割にどんどん痩せていくんで心配でさ」


 突然、センセルスト医師は両手で顔を覆って天を仰ぐように仰け反る。

 ええええ?

 なになになにー?


「なんと……なんという、尊い友情であることかっ! すっばらしいっすっっっばらしいぞ、ガイエスくんっ!」

「そ……そう、なのか?」


 あ、すっげー笑顔で両手を広げて……くるっと回った。

 うん、タルァナストさんの幼なじみっぽいな、うん。


「そうともっ! 友人のために骨身を惜しまず、自らの時を使ってその身を案じて行動できる友人を持てるというのは、この上なく素晴らしいことであるっ! して、その子は……君と同じくらいの年齢かね? 特徴や、得意な魔法なども解るなら教えてくれたまえっ!」


「えーと、年齢は俺より半年くらい若い程度で……得意魔法……は、よく解らないんだが、全属性が使える……多分。あ、だけど土系は弱いって言ってた。背丈は俺よりちょっと低いくらいなのに、なんつーか……身体が、薄い」


 俺がいろいろと説明するのを書き付けながら、センセルスト医師は何度か頷く。

 そして、パタパタと隣の部屋に入ると、すぐに何冊かの綴り帳を持ってきた。


「んーー……うむ、やはりこれに似ているなっ。直接診察した訳ではないから絶対にこれであるという断言はできんが、魔法が難なく使える『健康そうな状態』であるのに、痩せてくるというのは……私の今まで診た患者では『多くの属性を使える魔法師』に多い現象である」

「それって原因は?」


「残念ながら、明確にこれと言える原因はない。程度によっても人によっても違うのであるから、当然だが……共通していたことは、本人には全く痩せているという自覚がなかったこと、食事も睡眠も割とちゃんととっていたということ、そして、全属性が使えるが故に気付いていない魔法が勝手に動いてしまっていた……という現象が見られたのであるっ!」


 勝手に動く……?

 センセルスト医師が言うには、全属性が使えるとしても使いやすい属性というものがあるらしい。

 そして、それ以外の魔法を使うとしても、使いやすい魔法の同じような効果の魔法が動いてしまうことがあるだとか。


「でもいくら使いやすいからといっても、使おうとしていない魔法は魔法にならないだろう?」

「うむ、うむ。身体がちゃんと『健康であるなら』な。だが、筋力が足りなくて魔力でそれを補っている場合がある。そういう時は『この魔法を使おう』と明確に思っていなくても、ほんの少し『これもあったら』とか『こんなやり方もできたかも』と思う程度で、魔法として動いてしまいがちなのだよ。その傾向は、考えながら魔法を使うという『研究熱心な魔法師』ほど起こりやすくて、全属性が使えるほど知らず知らずに……どっちも魔法になってしまう」


 そして必要以上に大きな効果が出てしまったり、余分なことまでできてしまうというのが目に見えて解ればまだいい方なのだとセンセルスト医師は溜息を漏らす。

 そもそも魔法の効果が大きくて当たり前……と思っている『魔力量の多い魔法師』は、そのことに気付きにくく、魔力量が多いが故に不足もなかなかしないから多少余分に減っていても見落とすことが多い傾向があるらしい。

 ……うわー……まんま、タクトだなー。


「しかし、魔力流脈が傷ついているとか、筋力不足とかがあるとそちらの治療や回復が優先される。そのせいで『身体を育てるべき栄養が不足している』という状態に陥りやすくなってしまう。だが……魔法で身体はある程度ならそのままにしてても回復してしまうから、生活にはあまり支障が出ない。そして、医師も本人も気付かないまま身体は作られなくなり、痩せていく」


「なんだか……もの凄く当て嵌まる気がするんだが、それってどうしたらちゃんと身体が作られていくようになるんだ?」

「解らん」

「は?」


「それは、人によるということが……非常に多い部分なのだ。画一的で全ての場合に効果のある治療法もなければ、何が良くないかがはっきりせんから生活の改善方法も何が正しいのか解ってない。ある人は魔法を全く使わずにいればよくなったと言い、ある人は魔法を使い続けてその魔法の理解を深めればいいという。しかし、とにかく眠り続けたとか、食べ続けたとか、何をどう食べたかなんてことも全部『人によって違う』ので……なんとも言えんのだっ!」


 だんっ、とセンセルスト医師が卓を叩くと、上に載せてあった食材の袋が跳ね上がる。

 そして苦々しい表情のまま目を瞑り『人によるという結論しか出せないのが、現在の医療の限界なのだよ!』と絞り出すような声で語る。


 そうか……タクトがどうして余分な魔法を動かしてしまっているかが、どうにか解るような糸口でもみつからない限り、正しい治療方法は解らないってことなのか……


「あーーーーっ! しまったぁぁぁっ!」


 突然大声で叫び、窓の外を覗いてわなわなと震え出すセンセルスト医師。

 何ごとかと恐る恐る尋ねると、今にも泣き出しそうな顔。


「連絡船の時刻が……過ぎてしまった……」

「……連絡船?」

「エトーラ北港から、ロカエに向けて出ている定期連絡船に乗る予定だったのだ……」

「ロカエに用事でもあったのか?」


「今日までなのだよ……成婚祭で『蛸いり特別魚焼き』が買えるのが! ロカエ港近くの屋台だけでしか手に入れられない、蛸や帆立の貝柱が入った、最高に旨い魚焼きなのだ! やっと……保存袋を手に入れられたから……買いたかったのだよぉ……っ!」


 まさにガックリ、という音が聞こえるほど首を折り頭を床につけんばかりに項垂れているセンセルスト医師。

 そうか、俺が来て話し込んじゃったから、もう一度、連絡船の来る北港に移動できなかったのか。

 悪いことしちまったなー。


「えーと、もしよければ、俺が方陣門……繋ごうか?」

「は?」

「俺のせいで乗りそびれたようなものだし、ロカエ港なら馴染みの場所だから俺の【方陣魔法】で『門』が開けるから。ただ、魔力は使っちゃうけど」


 がばり、と抱きつかれ、大慌てで払いのける。

 あーー、吃驚したぁぁっ!

 陸衛隊の体術を以てしても、全く防げなかった……こういう時の防御、ルシクラージュさんに聞いておこう……


「君は実に、実に優しく奉仕の精神に長けているのだなっ!」

「……そーでもないと思うから、過度に期待しないでくれ。じゃ、繋ぐよ」


 だってさ、そんな特別だなんていう魚焼き、食べたいに決まってるだろう?

 もうすぐシュリィイーレにも行くし、タクトにも買っておいてやろうかな。

 いや、食べものは先に転送しちゃった方がいいか。


 ロカエ港に着くとセンセルスト医師はすぐにどの位置かが解ったようで、迷いなく走り出すので慌てて追いかける。

 目当ての屋台が近くだったみたいで、俺も一緒に列に並んだ。

 おー、ロカエ港が見える。


 そうか、もう全部の漁船が港に戻って来ている頃なんだな。

 魚焼きが買えたら、港の方にも行ってみようかなぁ。



*******

次話の更新は12/9(月)8:00の予定です

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