弐第84話 ラステーレ-3
すぐに移動かと思ったが、偽造証ができあがるまで待たなくてはいけない。
その間ラステーレに滞在しててくれと言われたので、用意してもらった宿へ移動した。
もうすぐ馬車方陣が完成するらしく、町の中心部は活気づいている。
宿の二階の窓から眺めていると、市場にも店ができはじめ商人達の行き来もあるようだ。
移動方陣については、タクト自身に作成が頼めなかった場合に俺に依頼したいと言うことだったので取り敢えず保留だ。
だけど、俺は取り急ぎ今回試す分と次回以降に使う自分の分は作っておこうと思った。
描くとしたら、水場でも海でも使える千年筆による『魔力筆記』だ。
石に描く場合、魔石にできるような石であればかなりの魔力が保持できるので、遠くからでも移動者の負担は減らせる。
山越えでも、緊急時は方陣を描いた魔石だけの使用で済ませたいところだ。
だが、ありふれた石だとさほどでもないから、その他にも魔石が必要になる場合も考えられる。
もっともいいのは、タクトが色墨塊の方陣で使っているような金属板だ。
セラフィラントでも、フェイエストでも金属板を探しては見たがあれ程質のいいものは無かった。
錆び付き山以上に良い素材は、皇国のどこにいっても産出されていないという事なのだろう。
だから、タクトに金属板を買って送ってもらえないかと頼んでおいた。
保存食と菓子も頼んでおこう。
……今回はまだ石がないから、金を送っておいた。
ラステーレで待機中に、魔法師組合から引き受けてもらいたい依頼があると連絡があった。
組合事務所で話を聞くと、そろそろ魔虫の湧く季節なので、浄化・回復・治癒の方陣札を描いて欲しいという話だった。それくらいであれば、全く問題はない。
受付の男はありがとうございます、と恐縮した様子で実はもうひとつお願いが、と小さい声で話しかけてきた。
「境域が戻ったので魔虫の被害は格段に減ったため、駆除にあたっていた兵団の方々がいなくなってしまいましてね。山際の森で手が足りないと、紙漉工房から依頼が入っているのです」
「魔虫か……構わないが、そういう依頼まで魔法師組合にくるのか?」
「冒険者組合がございませんからねぇ、この町では。本来であれば衛兵隊からの協力要請となるのですが、ウァラクは衛兵隊員の数が少なくてほぼ全員で浄化してまわってはいるのですが……全く手が足りないのです。どうかこの町にいらっしゃる間だけで結構ですので、駆除の手伝いをお願いできませんでしょうか?」
境域復活の前に森の中で産み付けられてしまった卵から孵った魔虫だったり、はぐれて巣を作ろうと飛んでくる魔虫もごくたまにいるのだとか。
紙漉には樅の木を使うらしく、今までよりは少し森の中に入って伐採作業をせねばならず浄化が行き届いていないらしい。
「ガイエスさんの浄化札が、かなり評判がいいんですよ。だけど、範囲が広いものですから、札だけでは足りなくて」
俺は準備ができるまで待っているだけでどうせ暇だし、と引き受けることにした。
ラステーレの南側はヴェガレイード山脈で、麓には樅や杉のような大木の森がある。
紙漉用に伐採はするものの、切った分植樹もするようでその若木に魔虫が寄りつかないようにしたいということのようだ。
植樹したものは、ある程度までは【植物魔法】や【生育魔法】などで大きくするようだ。
つまり、他の木々より新しく植えたものは魔力が多く残っていることになるから、魔虫が寄りつきやすいらしい。
数人の衛兵達と手分けをして、浄化作業を進めていく。
途中、二、三匹がよたよたと飛んでいるのを見かけた。
……こんなに弱々しくて遅い魔虫、初めて見た……
カースで迷宮が溢れた時はとんでもない勢いだったし、迷宮の魔虫は体がもっと大きくて羽根もでかかった気がする。
ふと、浄化もいいが『錯視の方陣』を使ったら、近くに来ても巣などを作らないんじゃないのか? と考えた。
俺は殲滅光ですっかり浄化した何本かの木々に、錯視の方陣札をつけておいてはどうかと衛兵達に言ってみた。
雨が降ったら効果は弱まるかもしれないが、少しは予防になると思う。
俺の提案に、衛兵達は是非試してくれというので木そのものに札を付けるのと、縄で簡単に仕切ってその縄に札を付けるやり方を試してみた。
数日後に、どちらがいいかを確認してもらえるようだ。
思っていたより狭い範囲の木を切っていると思ったが、同じ場所で大量に切り出すのではなくて離れた場所から少しずつ切っているのだという。
……そうか、一度に広範囲を伐採すると、キエート村みたいに地滑りが起きやすくなるのかもしれない。
翌日も昼まで衛兵隊を手伝い、食事を一緒に食べた。
なんだか、周りの視線が不思議なものを見ているというような感じだったが、俺が一番不思議に思っている。
冒険者というか、普通の臣民と一緒に食事をする衛兵なんて、あまり見ない光景だ。
こうして視線を感じながらってのは、なんとなく居心地が悪い。
そういえば蛙の人、あのゴツイ衛兵達と刺繍糸の話をしながら食事していたって言ってたなぁ。
結構、剛胆な人なのかもしれない。
昼食が終わり、宿に戻ろうかと考えていた時に粗方の準備が整ったから、と次官の使いだという人が俺を呼びに来た。
案内された詰め所内の一室。
ヴェシアスが紹介してくれた人物は、次期次官のサラレア卿だった。
「君がガイエスか。この度は協力感謝する」
……金証の貴族に直接『感謝』なんて言われると、とんでもなく緊張する。
そして、サラレア卿から改めて今回の依頼についての報酬は、達成後にも請求できるから考えておいてくれと念を押された。
「現在、アーメルサスは以前にも増して、魔獣などの脅威が大きくなっている状況である。君が降り立った先も、既に魔獣に荒らされている場所やもしれん」
「ある程度覚悟しているから平気だ。だが、そういうことであるならば、俺が方陣門を開いた途端に魔獣が入り込むことも考えられる」
「それについては、こちらでは万全の警護をするので気にしなくていい」
俺は最初の移動先がおそらく森の中になるということ、そこから人里に出るまでには何日かかかる可能性があるということを了承してもらった。
するとヴェシアスは、いきなり町の近くなどでない方が都合がいいだろう、と言う。
それに頷いて、サラレア卿も説明をしてくれた。
「君に用意する偽証の職業が『鉱石掘工師』となる。君の現在の技能や魔法を考えると、妥当だと思ってね。だから森の中や山中から久々に戻ったというかたちで、町中へ入ってもらえると思う」
「アーメルサスの言葉は、全く解らないんだが……」
「君はラステーレ在籍の偽証になるので、皇国語で通してくれて大丈夫だ。かつてはウァラクから、大勢の採掘師や工芸師がアーメルサスに入っていた」
できあがった偽証は『鉄証』で、書かれていたのは名前、年齢、在籍地、職業、身分階位……だけだ。
勿論偽物なので、開くことはできないからそれ以上は何も記載がない。
『名前 ガイエス/鉱石掘工師
29歳
帰・臣無位
在籍ラステーレ』
「君の瞳の色が、皇国では全くいないので『帰化民』とするしかなかった」
それは俺としては全く問題ないのだが、アーメルサスは帰化民に対して随分と下に見る傾向があるらしい。
だが、帰化民の方が警戒はされにくい。
自分達より下だと思っている者が、皇国の密命を受けているとは思わないだろう。
「君は今、土類操作が第一位で鉱石鑑定が第二位になっている。そのことを踏まえての職業に設定したんだ」
そうだったのか……今までの国々とは少し違う印象だが『教国』の割に、魔法じゃないのが不思議だと思ったが、魔法が特別な高位階級のものだということであるのなら納得でもある。
皇国人の魔力量なら、一般臣民ですらアーメルサスの神官以上の魔力量の筈だ。
他国同様アーメルサスにも千五百を越える魔力を持つものは少なく、魔法師の数もたいしていないという。
その替わり『魔術士』という職が多いようで、自らの魔法は殆どないが魔力量が千を越えるほどで方陣を使用できる者の職業だそうだ。
「方陣を使える職業……?」
ヴェシアスは、少し戯けたように肩をすくめた。
「アーメルサスは、職業次第では方陣札を使う許可がされていないんだよ」
そして司祭以外に銅証すらいないということや、職業が身分制度に大きく関わっているらしいということも聞かされた。
アーメルサス人も他国同様魔力がさほど多くないし、魔法の獲得も少ないことから、技能の方が重視されるようだ。
魔法を使用できるのは『神職』と『法職』の者達だけらしく、方陣についても使用を許可されているのはそのふたつの職以外では一部の『師職』と『魔術士』や『銀段一位以上の冒険者』だそうだ。
「神職……といわれている奴等が、賤棄を保有しているという話を聞いたことがある。皇国民で、そうなっている者はいないのか?」
俺の問いかけに、急にふたりが不快を露わにする。
「さすがに皇国民には、そういう人はいないみたいだよ。隷位になってまで雇われたいなんて馬鹿はいないし、魔力量が多いから強制的になんてのも無理だからね」
国境の橋が落とされた後、アーメルサスから皇国に入ってきた者達からこのままずっと皇国にいさせて欲しいと嘆願が多かったという。
その理由が、アーメルサスに戻ったら隷属する以外に仕事は与えられないだろうから……というものだったらしい。
多かったのはマイウリアからの帰化民で、ガウリエスタ人は隷位どころか賤棄になっているのではないかと言われていたようだが真実は解らないみたいだ。
アーメルサスって国では……『隷属』が、仕事なのか?
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