弐第66話 オルツからロートアへ

 教会の司書室と病院の宿坊の往復で三日が過ぎ、見たい本は粗方見てしまった。

 オルツは比較的新しい教会だから、と言っていたが古代文字の本がそれなりに多かったのは皇国の『新しい』が、多分俺が考えているよりは古いんだと思う。

 残念ながら、方陣を見つける事はできなかったが神典や神話は随分ちゃんと読めた。


 そして足の怠さもかなりなくなったので、俺としてはすっかり回復したと思っていた。

 だから、キーゼイト医師が四日目の朝に部屋に来た時には『もう大丈夫だよ』ってのを期待していたのだが。


「左足の膝下がまだ思わしくないから、ロートアの病院に行った方がいいな」

「え?」

「足の裏側……ひかがみからくるぶしにかけての修復状態が良くない。もともと、怪我でもしたことがあったのか?」


 そんな記憶はない。

 子供の頃も、成人してからも、不具合を感じたことなんか一度もなかった。

 俺がそう言うと、キーゼイト医師は考え込むように腕を組む。


「なら……生まれつきのものか……流れ自体が、もともと正しくないって場合もあるからな」

 そういう場合、身体はその流れで慣れてしまうから、ある程度は問題なく過ごせるのだそうだ。


「だがなぁ……ガイエスくんは、魔力が随分多いだろう? もうすぐ三千にも届くかってくらいだから、この流れはちゃんと整えないとまずい」

「それ、ここの教会で司祭様がやってくれる『整循せいじゅんの式』じゃだめなのか?」

「君は『式』をやったことがあるのか?」

「去年の冬に、司祭様にやってもらった」


 また、キーゼイト医師は考え込むように少し俯く。

 そして、ふぅ、と息を吐き、俺に目を合わせた。


「元々生まれつき変な流れになっていた所を『式』で治して正しい流れになったが、身体が追いついていなかったんだな。その部分が治りきる前に、今回、魔魚に狂わされてしまった。そのせいで、魔力の流れが『どれが正しいのか』解らなくなって迷走しているんだろう……うーん、やっぱり僕の魔法より、上位の魔法じゃないと整わないだろうなぁ」


 生まれてからずっと『間違った流れ』で慣れていた身体を『正しい本来の流れ』に修復したことで、左足が傷ついていたって事か。

 考えてみると……最近、やたら足が疲れていることが多かった。

 無理な姿勢をしたり、歩きすぎて疲れたのかと思ったが……あの魔魚の迷宮でも、最奥に降りる時にやたら左足が滑ったような気がする。

 ちゃんと、力が入らなくなっていたって事だったんだろう。


「なら、もう一度『式』をやってもらうべきなのか?」

「いいや、今はまだ止めた方がいいな。君の左足を一気に強制的に整えたら、身体が治ってもいないのに魔力が巡りすぎてまた完治まで長引くぞ」


 流れだけを正しく治しても、身体が追いつかないっていう奴か。

『式』では、身体自体の不具合は治らないからってのは、司祭様も言っていたもんな。両方一遍に治せる魔法や、儀式なんていう都合の良いものは無いそうだ。


「ロートアには【身循しんじゅん魔法】を使える医師がいる。それと一緒に治癒の方陣を使えば、僕の【整癒せいゆ魔法】よりは、魔力の流れが負担なく早く調うはずだ」

身循しんじゅん魔法】は上位魔法で、身体の流れを整えるには最上の魔法らしい。

 魔法だと『式』とは違い、強さや効果の範囲を調整できるからいっぺんに『治りすぎない』という。


「方陣門で行って大丈夫か?」

「んー……魔石、使えばね。自身の魔力はなるべく使わない方がいいな」

 大丈夫だ。魔力を溜めた魔石は、まだある。



 キーゼイト医師が書いてくれた紹介状を持ち、久しぶりに『門』をロートアに繋げた。

 魔石は【収納魔法】でなく手に持っていろと言われたので、三つほど持って門をくぐる。ひとつ使っただけで済んだが、左足が少し重く感じた。


 魔石の魔力だけでなく、方陣の発動には必ず自分の魔力を使う。

 たった、それだけだというのに『壊れている所』には、負担がかかるのか……

 気付かずに魔法を使い続けていたら、きっとそう遠くないうちに左足は動かなくなっていたんだろう。


 病院の場所を聞いて、さほど大きくはないロートアの町を歩く。

 相変わらず燻製肉などが美味しそうな店が並んでいるが、豆とか木の実の菓子も売られている店が増えていて思わず買ってしまう。

 いかん、病院に行くんだった。


 その病院は町中の少し丘を上がった場所にあるが大きめの宿坊を持っていて、旨そうなパンを売っている店の真ん前にある。隣は食堂だし、果物や菓子を売っている店も並んでいる。

 うわー、ここの通り、歩きてぇ!

 病院の前で他の店に釘付けになって動かなかった俺は、突然病院内からおばさんに怒鳴られた。


「何しているんだい! 出入り口の前に立たれちゃ、迷惑だよ!」

 びくっとした俺を、病院から出て来たおばさん……いや、婆さんが睨み付けている。

「入るの? 入らないの?」

「……すまん、病院に、用事があって……」

「なら、さっさとお入り」


 俺は婆さんに睨まれつつ、病院の受付に紹介状を渡した。

 受付の女性は俺の渡した手紙を広げると、その婆さんへと渡す。

 まさか……


「……なるほど、魔魚かい……災難だったね。こっちへおいで」

 この婆さんが【身循しんじゅん魔法】の医師か。

 宿坊へと案内され、どうやら俺はここでも病院暮らしのようだ。

 近くの店とか食堂では、暫く食べられそうもないみたいだな。



 婆さん……いや、アメーテア医師は、この病院の院長らしい。

 夫婦で医師らしく、爺さん医師は怪我や骨折などの治療が専門で身体の内部は婆さんアメーテア医師。

 俺の治療はキーゼイト医師から聞いていた通り、治癒の方陣と【身循しんじゅん魔法】で行われるらしい。


「あんたは襲われた後に、余程いい【浄化魔法】を使ったんだね。こんなに綺麗に毒が消えている患者は珍しいよ」

 流石、聖魔法だな、殲滅光。


「魔法師みたいだけど、自分で書いた治癒の方陣は持っているかい?」

「あるけど……それを使うのか?」

「そうだよ。魔力の流れが狂っている時は、他人の魔力だけより自分のものが多少でも入っていた方が身体の回復が早くなるからね。ああ、発動は私の魔力でやるから、魔法は使わなくていいよ」


 何枚か渡した方陣札は、買取という形にしてくれた。

 それ、俺自身に使うんだから、別に金なんていらないんだけど……

 治癒の方陣を使うと、なんだか左足の脹ら脛、皮膚のすぐ下の辺りがピリピリとする。

 アメーテア医師が言うには、壊れた組織が治る時に間違った魔力の流れを閉じながら少しずつ治していくから所々痛む場合があるそうだ。でもすぐにそれもなくなって、怠さが少し消えた。


「方陣は四半刻だけ巻いておいて、その後は足首から膝へゆっくりと擦っておいで。寝床で、足を上に上げて……ああ、そうだよ、そんな風にね」

 一日おきくらいに【身循しんじゅん魔法】をかけるからね、とアメーテア医師は部屋を出る。

 この寝床、オルツの病院よりほわほわで気持ちいいな……


 ……


 寝てた。

 あ、もう四半刻経ってる。

 方陣札を外すと、魔力は殆ど減っていない。

 どうやら微弱な魔法にして発動させているのだろう。

 すげぇな……方陣って発動したら一定の魔法がいつも出るんだと思っていたけど…そういう調整をする魔法ってのがあるのか?


 足を擦りながら、信じられないほど楽になっていることに驚く。

 ちょっと、立ち上がって、歩いてみると重さも怠さも殆どなくなっている。

 だが、暫くするとまた少し重く感じるようになり、慌てて寝床に戻って擦る。


 ……


 ふぁっ!

 この寝床、絶対に寝ないでいるなんて無理だろっ?

 導眠の魔法とか、付与されてんじゃねぇのか?

 ……そんな魔法があるかは、知らないけど。

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