弐第65話 オルツ 病院から教会

 六日間ほど病院の宿坊でチャプチャプ過ごしていて、具合が少し良くなってからは柑橘の皮を乾燥させたものが湯に一緒に入れられててあがった後もいい香りだ。

 やっと、足も身体のあちこちも普通に動くようになった。

 本当にもう、魔魚とか厄介過ぎだ。水中の魔獣とか魔魚とか、やっぱり嫌い。


 キーゼイト医師からはまだ病院宿坊で寝泊まりするようにとは言われたが、少し外を歩いて身体を慣らせとも言われたので散歩には出るようになった。

 左足だけが、だる重くなるが歩けないほどではない。


 ただ、食事は病院で食べろというので長時間の外食などはできないし、魔法もまだ禁止だからテアウートのカバロの様子見もできない。

 バイスが昨日尋ねてきてくれて、カバロは元気だから安心しろよ……とは言ってくれたが。


 病院の近くをぷらぷら歩いているだけなのだが、どうせなら教会にでも行って司書室を見せてもらおう。

 方陣のこと……詳しく書かれている本ってないんだろうか。

 古代文字の本だとすぐには読めないから、普通の皇国文字で少しは載っているものがあったらいいんだけど。


 教会に入るやいなや、司祭様がつかつかと寄ってきた。

「ガイエスさんっ! 海で魔魚に襲われたと伺いましたっ!」

「……はい」

 お、怒ってる?


「どこも、痛くないですかっ?」

「はい……」

「全部、動きますか?」

「はい」

「ちゃんと、見えますか? 息苦しくはないですか?」

「大丈夫、です」


 司祭様は、深く深く息を吐き、小さな声でよかった、と呟く。

 そうか、心配、してくれたんだ。

「すいません……病院行くより、教会の方が……良かった、のか……?」

 あの『整循せいじゅんの式』って奴やってもらった方が早く治ったのに、とか?


「いいえ、医師の元で正しいです。魔魚の触手などで魔力を吸われてしまうと、ありとあらゆる場所から外へ向かって魔力が流れ出してしまうあってはならない『道』ができて、身体中の流れはめちゃくちゃになります。それを『整循せいじゅんの式』で整えることは可能ですが……一度に無理矢理流れを戻すのも、危険なのですよ」


 そんなことをすると全身が、それこそ手足だけでなく身体の全て、臓腑に到るまでとんでもない負担がかかるらしい。

 高熱が続き、傷ついた身体が治る前に魔力が修復をしようととんでもない勢いで巡り出し、かえって身体の方の治りが遅くなるという。


「『整循せいじゅんの式』では、傷ついた肉体までは治せませんし、生半可な【回復魔法】では追いつかないでしょう。壊れた流れはじっくり、少しずつ身体と一緒に修復していかないといけません。式で整えられるのは、身体がある程度健康である時だけですから」


 司祭様がやんわりと微笑む。

 が、次の瞬間、目が座って……まるで、母親にいたずらがばれた時みたいな威圧感を感じる。

 どうして海に入ったのか、なぜ海の中で戦えると思ったのか……など、声を荒らげることもなく表面的には笑顔で尋ねられ……ある程度は、正直に答えた。


「……方陣が、使えると思ったのですね?」

「ウラクの宿の浴室で試した時は、方陣はちゃんと起動したから……大丈夫かと思った」

「使えなかったのは、土系と、あの錯視ですか。炎熱が使えないのなら理解はできるのですが、どうして補助系や土系がダメだったのかは……解りませんね」

「今まで、水中で使おうと思った人っていなかったのか?」

「不本意ながら、方陣は『弱い』とされていますからね、まだ。態々、使い勝手の悪いと思われるものを、危険を冒してまで試したりはしません」


 それもそうだな。ましてや、皇国ならいくらでも土系の魔法が使える魔法師はいるだろうからな。

「それに港の近くならばともかく、未開の島や海上の船から海に入ろうなんて……誰も絶対にしませんよ?」

 俺だって、『錯視の方陣』がなかったらそんな真似はしなかった……と思う。

 多分。


「方陣魔法師のあなたにこんなことを言うのは失礼かもしれませんが、あなたは方陣を信用しすぎです」

 司祭様はゆっくりと、責めるのでも諭すのでもなく、ただ聞かせるように話し始める。


「魔法は神々から、行いや才能によって賜うもの。しかし、方陣はその恩寵を『人が真似している』に過ぎません。書き直せたり、作り替えたりできるという時点で完璧ではないのです。方陣は『必ずどこかに欠点がある』と覚悟して、使うべきものなのです。ただ……なるべくそれがないように、破綻も綻びもないようにと今まで多くの魔法師達が手を加えています。どんなに弱いと言われようと、嘲笑われたとしても、それに挑んできた魔法師達がいました。ですが、まだまだ、なのです」


『まだまだ』といった司祭様の言葉尻が、少し悔しげに感じる。

 この人は、方陣というものに何か期待をしている……ということなんだろうか。

 だから、方陣魔法師である俺を、気にかけてくれるのだろうか。


「あなたが、魔法師組合に修記登録なさった方陣を拝見しましたわ。見て……驚きました。あんなにも簡潔で頼りなげだというのに、今までのどの方陣より完璧に近い」

「元は、一等位魔法師の方陣を使わせてもらっているからな」

「……! あなたに依頼されている方ですか?」


 俺が頷くと、司祭様はとても優しげな面持ちになった。

「そう、でしたか……その方が方陣を直し、あなたが試行し練り上げることによって、方陣というものは更なる高みへと到るかもしれませんわね。素晴らしいわ……!あなた方は、新たな魔法の導き手となるのですわ」

 ……そりゃ、大袈裟だろう。


 タクトだって、そんなご大層なことは……あ、いや、あいつは解らないな。

 とんでもないこと、考えていそうな気もするし。


 大半は旨いもののため……な気もするが。

 いや、鉱石かな? いやいや、魔法も好きとか言っていたし。

 綺麗な文字がどーとかとも言っていたよな。

 筆記具とか、閃光仗みたいなもの作って喜んでるし……


 ……あいつ、好きなものが多すぎねぇか?

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