弐第56話 カエスト-4
驚きすぎて、口をパクパクと動かすが言葉が出てこなかった。
まさか、タクトの名前が出て来るとは思わなかった。
「あ、突然失礼致しましたっ! わたくし、騎士位試験の時にセイリーレにおりまして、その時に……」
「……そうか、すまん、ちょっと予想外すぎて、吃驚しただけだ。でも、どうして解った?」
「この文字、タクト様の字にそっくりですから」
そう言って彼女が見せてくれたのは、タク・アートの説明書きだった。
なるほど……俺の方陣は『記憶したそのまま』だから、文字もタクトの書いたものと同じになるんだよな。
それで解ったのか。
だけど『様』付けされているとは……
「一等位魔法師様ですから、当然です」
そういえば、そうだった。
しかも、聖魔法師だもんな……そっか、聖魔法師ってことは、あいつ銀証か。
そりゃあ『様』付けにもなるよな。
俺は……今更、言いづらいが。
なんだか成り行きで、魔法師組合の待合の長椅子に腰掛けて彼女と話をしている。
俺が預けた全ての方陣札を一枚ずつ買ってくれたので、少し話しませんか、と言われてなんとなく断れなかった。
彼女はヒメイア、と名乗った。
今年、ウラクの衛兵になったばかりなのだそうだ。
どうやら、タクトのことを尊敬している……とは言っていたが、魔法師だからというより、お菓子が美味し過ぎるからという理由の方が大きいようだ。
それに関しては……俺も大きく頷いてしまった。
うん、あいつの菓子は、もの凄く旨い!
「ガイエスさんも、そうお思いになりますのね!」
「俺……名乗ったか?」
「方陣札に書いてございますのよ。ほら、この裏」
知らなかった。
裏に誰の作った札か解るように、魔法師組合で売られるものは修記者名が記入されるようだ。
考えたら、そりゃそうだよな。
魔法師組合の全員が、全魔法師の描く方陣を全て覚えている訳じゃないもんな。
記名があって当然だ。
「わたくし、この方陣札が買えてよかったです。これをお手本にして、自分でも描けるように練習します」
「……魔法師なのか?」
俺がそう聞くと、彼女は首を横に振る。
なら、方陣を描いても弱いものしか作れないんじゃないのか?
そうしたら、ヒメイアはそうですね、と言いつつ笑顔を向ける。
「練習したら……綺麗に描けるようになったら、わたくしが描いた方陣でも強くなるのではないか、と思いますの」
「魔法師が魔力を通して方陣に保持力を持たせないと、発動まで時間がかかるだろう?」
「ええ、方陣を描いた色墨を強めの魔力で『閉じて』おかないと、確かに保持力は生まれませんわ。でも……」
そう言って、彼女が得意気に取り出したのは……千年筆だった。
「この千年筆という筆記具で、我がウラクで作っております『
千年筆って、俺のものと一緒か?
彼女のものと違いがあるか見ようと、俺は自分の千年筆を取り出した。
ヒメイアが、まぁ! と声を上げ、更に笑顔になる。
「ガイエスさんも、千年筆をお使いでしたのね!」
「ああ……あんたのものと同じか?」
「中の色墨は違いますが、きっと同じものです。こういう意匠の物は、セイリーレでしか作られておりませんし、この魔法はタクト様だけしか付与できませんもの」
なんと、彼女は五本も千年筆を持っていた。
「どうしても、見ると買いたくなってしまうのですよねー。違う色の色墨を入れておくと書く時に分けて使えますし、一本は必ず魔力筆記用に
「魔力筆記……?」
「はい。いちいち、色墨塊を取り出すのも面倒でしょう? 魔力筆記用に、空っぽのものがあると便利なのです。何にでも書けますし、簡単に消すこともできますし……」
待て。
今、なんと言った?
『何にでも、書ける』……?
しかも『簡単に消せる』?
驚きを隠せない俺に、彼女は少しあっけにとられたような顔の後に、おやおや……と言いつつ少しニヤッと笑う。
「ガイエスさん、ちゃーんと『取扱説明書』をお読みになっていらっしゃいませんのね?」
「とりあつかい……?」
あ、そう言えば説明書きがあったな……あの時は、そうだ、色墨を作る方陣に気を取られてちゃんと読んでなかった。
慌てて説明書きを見たが……魔力筆記のことなんて、何処にもないが?
「いえいえ、そちら側ではございません。裏もちゃんとご覧になって」
「裏……? あっ!」
裏にまで説明書きが続いていた。
普通、こういうものは裏にまでこんなに書かねぇから、全然気にしてなかった……
羊皮紙でもないのに、色墨が裏側に写ってもいなかったし。
……使い方というよりは、こういうことが起こるから注意してくれ……と書かれているが?
彼女は注意すれば、とても便利なのです! と、破顔する。
なるほど。
彼女としては『やってもいいけど気をつけろ』という解釈か。
なかなか剛胆だな。
魔力そのもので筆記……しかも、あの消し筆を使うことなく、掌で擦りとるようにすると消える……?
なんでちゃんと読んでなかったんだ、俺っ!
「セイリーレの
樅樹紙は濃いめの色墨で書くと、色墨が溜まった所だけは少し裏に透けてしまうのだそうだ。
その上、三椏紙は水に強く濡れても紙が容易には破れないとか、樅樹紙は火に強くて簡単には燃えないとか、いろいろと教えてくれた。
「千年筆の魔力筆記で書くと保持力は更に上がりますから、方陣がタクト様のものだったら、きっと今までの方陣より強い魔法になりそうだと思いましたの!」
「ヒメイアさん!」
「はい?」
俺は、思わず興奮して思いっきり彼女に近寄り過ぎてしまった。
いかん、つい。
あまりの喜びに。
「ありがとう! あんたと話ができてよかった! これでなんとかなるかもしれない!」
「は? はい? な、某かのお力になれたのでしたら……よかったです?」
「ああっ! 助かったなんてものじゃない! あ、そうだ、あんた、胡椒を買いたがっていたよな?」
「ええ……そうですけど……?」
「俺からの礼だ。とっておいてくれ。それと、セーラントで売り出した菓子も!」
持っていた胡椒の袋を二袋と、オルツで最近作り出した柑橘の入った蜂蜜飴をタクトの保存食の入っていた手提げ袋に詰め込んで渡した。
本当はこんなものじゃ、全然足りないほどの感謝なのだがっ!
俺はちょっと呆然としている彼女にもう一度礼を言い、宿へと走った。
▶その後の魔法師組合待合
「はははは、落ち着きのない魔法師だねぇ、ガイエスさんって」
「……行って、しまわれましたが……これ、どう致しましょう……」
「いいんじゃないのか、もらって。お礼って言ってたし」
(魔法師の方って、やたらと沢山、人にものをあげるというのがお好きなのかしら……でも、胡椒は嬉しいですー! シュリィイーレまで行くには次のお休みまで待たないとと思っておりましたから……あら、飴も?)
「え、いいのかい? 僕等にまで……」
「はい、もの凄く沢山入っておりますから、お裾分けです」
「セラフィラントにも、こんな飴があるんだなぁ」
「わたくしがオルツにいた時に食べたものとは、ちょっと違うものみたいです。けれど、セラフィラントもお菓子は美味しいのですよ」
「冒険者だからいろいろな所に行っているんだねぇ、ガイエスさんは」
「まぁ! あの方、冒険者ですの?」
「珍しいよね、魔法師なのに、冒険者って。でも、とても優秀みたいだよ? 一番上の段位だったから」
「凄い……のだと思うのですが、冒険者ってどういうお仕事なのです? わたくし、今まで一度もお会いしたことがなくて」
「えーと……依頼をされてものを探したり、魔獣を退治したり……迷宮に入ったり……?」
「『迷宮』って、魔獣の巣窟ではございませんか! そんな所にいらっしゃるのですか!」
「きっともの凄く強いんだろうね、ガイエスさんは。踏破記録がいくつもあったから」
「そんな危険なお仕事なのですね!」
(自ら危険に飛び込んで、魔獣を討伐なさるお仕事だなんて……! あっ、だから、ウァラクにいらしたのですね! まだ森に中や山間から、魔虫や小さい魔獣は出て来ますものね! そしてタクト様のお作りになった強力な方陣札を、臣民達に使ってもらえるように預けてくださっているのね! 流石、タクト様のお知り合い……いえ、きっとお友達ですねっ!)
「衛兵隊も、頑張らないといけませんわね!」
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