弐第54話 カエスト-2

 翌朝、朝食は胡椒が使われたものが出てくるかもしれないと思い、保存食を止めて食堂に降りた。

 俺が席に着くと、ぱたぱたっとサーナが走り寄ってきた。


「お客さんっ! 昨日はありがとうっ!」

 どうやら宿の客達に、朝食がとても旨いと褒めてもらえたそうだ。

 胡椒ひとつでそんなにか、と思ったが、元々不味いというものではなかったのだから彼女の料理と胡椒の相性がよかったんだろう。

 大盛にしたからね! と運んでくれた朝食は、なんと卵がふんだんに使われていた。


 卵をこんなに使っている料理なんて、タクトのところくらいだぞ?

 他では全くと言っていいほど、出てこないのが『鶏卵』だ。

「あら、この町では卵と鶏肉はとっても多いのよ。南東側に養鶏場がいくつもあるの」


 鶏を育てているのか……

 あ、凄く旨い。

 俺の反応を心配そうに待っていたサーナに、呟いた俺の声が届いたらしい。

 破顔して、パンのおかわりもあるからね! と上機嫌で厨房へ戻った。

 ……パンは……硬いから、これだけでいいかな。


 食事が終わった頃、またサーナが寄ってきた。

「お客さんは、南の方の人なの?」

「セーラントだ」

「香辛料って、セーラントの方が多いの?」

「いや……多分、セイリーレの方が多い。昨日の胡椒は、セイリーレの東市場で買ったものだ」

「セイリーレかぁ……ここからだと、ベスエテアに出るの大変なんだよね……でも、セーラントよりは近いかぁ……」


 どうやら、ロンドスト側のエイエストにはどこからでも割と楽に馬車方陣の乗り継ぎができるらしいが、エデルスに出る方面は少し面倒くさいらしい。

 仕方ないよな、セイリーレは辺境だからなぁ。


「買いに行くのか?」

「うんっ! 使えないものしかないって諦めてたけど、胡椒だけで随分味が変わったし。これからも使いたいから。教えてくれてありがとうね、お客さんっ!」

 胡椒は役に立ってよかったけど、方陣札はどうだったんだろうか?


「女将さんは、どうだった?」

「昨夜使ってみて、結構いい感じだったみたい。今、医師様の所に行って診てもらっているわ。これで少しでも良くなっていたら、これからはお客さんの方陣札を買いたいけど……この町に留まる訳じゃないのよね?」

「そうだな……でも、魔法師組合に登録してある方陣だから、組合に要望を出してくれたらこの町の魔法師組合に送るよ」

「あ、そっか! えーと、じゃあ、名前を聞いておいてもいい?」

「ガイエス、だ」


 サーナは持っていた木の盆に、突き匙を使ってガリガリと削るように俺の名前を書き留めた。

 これなら毎日見るから忘れないし、消えないから! なんて言うが……盆って。


 ……あれ?


 彫ったら、消えない……

 そうだよな。

 描く、んじゃなく、彫る……いや、


 色墨や【方陣魔法】で描くのではなく『方陣を焼き付け』たら、水濡れに強くなったりしないか?


「すまん、もう一泊しても平気か?」

「え? うん、大丈夫!」


 部屋に駆け上がって、羊皮紙を取り出す。

 まず、いつものように色墨で方陣を描き、指先に『灯火の方陣』を描いて小さな火を出す。

 その火で……描いた方陣をなぞるように焼き付け……駄目か。

 羊皮紙が全部燃える。


 羊皮紙に火耐性を付けても、全部が焦げるだけで『描く』のは無理だ。

 そして『火炎の方陣』も、指定した部分だけを燃やすという呪文じゅぶんは組めない。

 あ、炎熱/緑って『似硼素じほうそ』を燃やすって、タクトの説明書きにあったよな?

 そこを書き替えたら、色墨だけを燃やせないか?


 ……駄目だった。

 全く何も燃やせない方陣になっただけだった。

 焼き付けるという方法だと、羊皮紙はダメってことだ。

 じゃあ……他のものに……



 昼過ぎまでいろいろと試したが、悉く失敗だった。

 木板にも、石にも、勿論金属にも、その方法では方陣どころか文字を書くことすらできない。

 やっぱり【方陣魔法】か、付与って形じゃないと駄目なのか……

 いい方法だと思ったんだがなー。

 俺には、木工関連も金属関連も技能がないから『彫る』とか『削る』のも思うようにはできない。


 ぐぐぐうぅぅぅ


 盛大に腹が鳴ってしまったので、なんか食べよう。

 ……久し振りに、柔らかめのパンが食べたい。


 保存食の三個入りパンの袋を開くと、ふわっと香りがたつ。

 最近はずっと硬いパンだけだったから、頼りないくらい柔らかく感じる。

 旨……!

 なるほど、柔らかいとすぐに食べ終わっちまってたくさん食べ過ぎるな。

 いけないなぁ、と思いつつ、俺はもう一袋パンの袋を開けていた。


 昼食を終えても良い案が思いつかず、カバロの様子見に行ったらめちゃくちゃご機嫌斜めだった。

 あ、朝から走る気満々だったのに、放置しちゃったからか。

 悪かったって。

 カバロに砂糖をやって宥めたので、ちょっとだけ一緒に散歩にいくことにした。


 町の中心部は、馬車方陣から出て来た他の町からの乗合馬車や荷馬車が多い。

 市場があるので覗いていこうかと思ったが、人が多過ぎて騎乗したままでは無理だ。

 結局辺りをぐるっと歩いただけで終わったが、カバロが満足気だからいいか。


 宿に戻ると、どうやら女将さんが帰ったようで昼食時間が終わった食堂でサーナと話している姿が見えた。

 顔色が良さそうだから、方陣は効いたかな?


「ガイエスさんっ! 待ってー」


 呼び止められ、振り返るとふたりとも厩舎側へ出て来た。

 足も引きずっていないみたいだから、効果はあったのだろう。


「ありがとうっ! ガイエスさんの方陣札で、お母さんの『溜まり』が殆どなくなったの!」

 え?

「本当にありがとうねぇ。まさか一日で動かせるだけじゃなくて、歩けるようになるなんて……あと二日もあの方陣札を使ったら、完全に溜まりが消えるって言われたんだよ」

 ……すげーな、それは。

 でも、流れまではすぐに整えられないようで、少しずつ『回復の方陣』などで治していくらしい。


「お願い、方陣札を魔法師組合で売って! 絶対、絶対、買いに行くから!」

「今、売ってもいいぞ?」

「……でも、それだとガイエスさんの、魔法師としての実績ってのにならないんでしょ?」


 どうやら昔、魔法師に直接売って欲しいと頼んで、断られたことがあるのだとか。

 一等位になるための実績にならないから、ということのようだ。

 実績がある程度ないと、一等位試験というのは受かりにくいものらしい。


 別に俺としては、一等位になることはないから実績なんてどうでもいい。

 そう言ったら女将さんにもの凄く喜んでもらえたんで、回復、浄化、治癒を何枚か描いて売った。


 突然、サーナに抱きつかれた。

 ありがとう、と何度も言われたので……振りほどきにくかったけど、流石に恥ずかしくて早々に引きはがした。

 ……柔らかくて、吃驚した。



 魔法師組合に行って札を預けて来ると言い、そそくさとその場を離れる。

 夕食は期待してておくれ、と言われたので軽く手を振って応えた。


 さて、魔法師組合……いや、先にさっき素通りした市場に行ってみよう。

 面白いものがあるといいんだがな。

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