弐第53話 カエスト-1

「ごめんなさい、お客さんっ。どうしても聞きたいことがあるの!」

 扉の前にいたのは、宿の娘サーナだ。

 なんで皿を持っているんだ?


「お客さんのお皿だけ、全然違う香りがしたの! 何か使ったの?」

 嗅覚、凄いな。

「ああ、胡椒を使った」

「調味料……をかけたの?」

「香辛料だ。俺は胡椒を利かせたものが好きだから、持ち歩いている」


 途端にサーナが、うぅー、と唸りだした。

「香辛料かぁ! 香辛料って、よく判らなくって使わなかったんだけど……そっかぁ!」

 悔しげに呟きながら、もう一度俺を見上げるように顔を上げる。


「その胡椒っていうのを使ったら……美味しかったですか?」

「ああ」

「お客さんに、失礼だと思うんですけど……もし、余分にお持ちだったら……買わせてもらえないですか?」

「それは構わないが、この町では売っていないのか?」


 小さくこくん、と頷いて、サーナが教えてくれた。

 この町では王都から仕入れるものは多いのだが、香辛料や調味料は殆どなくて、あったとしてもよく解らないから買ったことがなかったのだそうだ。


 そういえば、香辛料は特に売っている所が少なかった……セーラントとセイリーレくらいだな。

 ロンドストでも、胡椒を売っていた町はなかったと思う。

 王都の近くだったら、もしかしたらありそうだが。


「香辛料って南の領地の物が多いから、とても種類も少なくて高いの。だから、試しにって買えるほどのものがなくって。それに、ウラクに入って来るものは辛いものが多いから……」

 そうだった。

 辛い料理に使われていたのは、香辛料だよな。

 あれが多いとなると、確かに買いにくいだろうな。


 持っていた胡椒を一袋譲ってやると、サーナは殊の外喜んだ。

「ありがとう! これでお客さん達に、美味しいものを食べてもらえるかもしれない」

 自分は【調理魔法】を持っていないから、料理はまだ勉強中なのだそうだ。

「……女将さんは、どうしたんだ?」

 宿の受付にいた人がそうだと思うが……具合が悪そうという程には思えなかったけどな。


「お母さん、右手が上手く握れなくなっちゃってて、匙を持つのもつらいみたいなの。右足も引き摺ってるし、医師様がいうには『溜まり』があるから、少しずつ解かしていくしかないって……まだ時間がかかりそうなんだ」

 その『溜まり』って、オルツの司祭様が言ってた奴か。


 サーナが言うには、去年の夏頃までウラクでは頻繁に魔虫が出没し、卵の産み付けまではなくとも、毒の体毛などでの被害がかなりあったという。

 魔虫は飛び回るだけで毒棘を撒き散らすから、広範囲での浄化が必要になる。

 浄化が不十分だったり、体毛が人の衣服などにくっついてて触れた時に刺さるという事もある。


 その毒に触れたぐらいだと表面の浄化だけで済ましてしまうが、微弱魔毒が残って体内に溜まるのだと……オルツの司祭様が言っていた。

 魔虫や魔獣は、小さいものの方が退治も厄介で、後々まで面倒事が多いものだ……と。


 カエストという町はウラク領の中央にあるせいだろう、馬車方陣が五カ所あって交通の要となっている。

 そのために行き交う人々や荷物から、そういった『迷惑な落とし物』も多いのだそうだ。


 確かにガエスタにいた頃は、魔虫の体毛が一番面倒だったよな。

 浄化をしてから洗濯しないと服にも残るし、くっついたままにしておくと布自体に毒が含まれて着た時に肌が真っ赤になったりした。


 ……そうか、迷宮に入らなくても、そういう微弱魔毒が溜まるのか。

 だから『浄化の方陣』や『治癒の方陣』で定期的に周囲を綺麗にしたり、教会に行って『式』をしてもらった方がいいんだ。

 死なないまでの毒だったとしても、魔虫が飛んでたり魔鼠みたいなのが歩き回ったかもしれないんだもんな。


 どうして全く魔獣のいない皇国で、こんなにも浄化とか治癒の方陣札が売れるのだろうと思っていたけどそういうことなんだと初めて腑に落ちた。

 逆に……ストレステとかガエスタみたいに、いつでもどこでもそういうのがいて当たり前ってんだと、気にもしなくなってしまうんだろう。


「『浄化の方陣』で治すのか?」

「うん、そうなんだけど、あんまり効かないんだよね……この町には住んでる魔法師がいなくて、他の町から来る人達が魔法師組合で描いてくれるから、いろいろな魔法師の方陣を買うんだけど……」


 医者が使っているものも同じだというから、あまり効果が出ていないのだとサーナは溜息をつく。

 方陣札……ここの魔法師組合にも、置いてもらうか。

 多分、タクトの書き直した方陣の方が他の奴等のより効くと思う。


「俺も魔法師なんだが、俺の方陣で効くかどうか試してもらえないか?」

「……え?」

「もし効くようだったら、この町の魔法師組合に預けるから」


 サーナは少し考えていたようだったが、試すだけなら、と言ってくれたので回復と浄化の方陣札を一枚ずつ渡した。

 今晩使ってもらえたら、明日にはどうだったか教えてもらえそうだ。


 もし『溜まり』にまで効くのなら、大峡谷に近いこの領地ではかなり有用だと思う。

 おそらく他の領地より、微弱魔毒が多そうだからな。


 今後の俺自身のためにも、知っておきたいところだし。

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