弐第45話 サーシウス

 めちゃくちゃ早口で自己紹介をしてくれたその赤毛の子は、アーネナという。

 この村の北西で小さい牧場をやっているのだとか。

 いつも十日ごとに来ていた魔法師が、ひと月ほどこの村に来ておらず方陣札がなくなってきているらしい。


「冬場はもともと来る回数が少なくなってて、夏のうちに多めに描いて戴いてたんですよ」

 と、アーネナと一緒に行った魔法師組合でも方陣札不足に溜息をつく。

 この冬は全然足りなくて、南側にある大きめの町・セクリーレの魔法師組合から譲ってもらったりしているそうだ。

 今まで来ていた魔法師はどうしたんだろうか?


「あの人、年だったからなぁ」

「お爺ちゃん、冬場は北の方まで来るのがつらいのかも……」


 なるほど……それはありそうだな。

 この村には魔法師職を得ている人が今は誰もおらず、他の町から譲ってもらうにしても少し割高になってしまうので少なくなっているというのだ。

 まぁ、俺の方陣でいいなら描くのは構わないが……


「この村だと、馬が休める所がないんだろう? 書いている間もあのまま外に出しておくのは……ちょっとな」

 また子供達にあの臭い草を持って来られでもしたら、今度は絶対にあいつ子供だろうと蹴り飛ばしそうだ。

「で、ではっ、うちの羊舎で、ひとつ空いている所がありますから、使ってくださいっ!」

 ……カバロが気に入るかどうか……と、アーネナの案内で牧場へ。


 ぶふふぅ〜ふん


 これは、ご機嫌斜めだな。

 使ってないってことは、当然掃除もされていないし魔法の付与もないから贅沢に慣れたカバロにはお気に召さないのだろう。

 野宿は平気なくせに『厩舎』には、もの凄く厳しいよな、こいつ。

 我慢させて後々機嫌をとるより、ちゃんとした厩舎に預けた方が俺も安心だ。


「すまん、別の所に預けることにする」

 そう言って、不思議そうな顔のアーネナがお父さんを呼んできますから、と離れた隙に方陣門で一度エルエラへと入った。

 おや、カバロの奴がちょっとしおらしく……ワガママ言ったからか?

 エルエラで宿を取り、カバロを厩舎に預けて俺はまたサーシウスに戻った。


 アーネナの牧場から少し離れた所に戻ったので、歩いて向かうと父親らしき人が出て来て俺に頭を下げる。

「……馬、どこに預けられたんですか?」

「宿に」

 ふたり共、首を傾げているが……特に説明するほどのことでもあるまい。

 方陣札を描くための部屋を用意してくれて、なんの方陣が欲しいのか聞くと【回復魔法】だという。


「回復ってことは、誰か怪我人でもいるのか?」

「うちの羊達が……夏場からあまり元気がないんですよ。でも、最近方陣札が手に入りづらいから他の町へ買いに行ってたんですけど……」

「この村から行ける所でも回復とかは少なくなっているから、一度に何枚もは買えないの」


 そもそも『回復の方陣』を、動物に使うってのもあまり聞かない話だよな。

 ……この間、葡萄の木に使ったけど。

 それだけ、羊達が大切ということなのだろう。

 ここいらの羊は羊毛用だろうから、具合が悪かったら毛にも影響がありそうだな。

 それにしたって、夏場から元気がないというのに死んだりしてないようだし、病気という訳じゃないってどういうことなのだろう。


 牧場を見せてもらうと『小さい』という割にはかなり広々としている。

 チカッ、と何かが光った。

 牧場の中に……あ、池があるのか。

 ロンドストは冬でもあまり凍らないんだな……なんて眺めいてたら、その水を飲んでいた羊が付近にぺたり、と座り込む。

 明らかにおかしい。

 あんな湿って泥が身体に付くような場所で、座り込んで動かないなんてことがあるのか?


「あ、あの子もだよ、お父さん」

「いかん、すぐに連れてこなくちゃ」

 父親が走り出し、座り込んだ羊を荷車に押し上げて運ぶ。

 俺とアーネナも駆け寄って手伝う。


 他の羊達も確かにあまり元気がなさそうだ。

 池の水が悪いのかと思い、『毒物鑑定の方陣』で覗いて見た。

 所々に小さくチラチラと毒がありそうな反応が見えるが、水全体に広がっているわけではない。

 ……虫?


 雲で陰っていた天光が出て、池を照らすとその姿が見えた。

 細い糸状で、うねうねと水の中を細ーーーーい透明なものが蠢いているように見える。

 これ、カシナの山の上の方にあった湖にいた奴じゃないのか?

 えーと、確か『魔線虫ませんちゅう』の仲間だ。


 何種かいるが、殆どはたいした毒がないし人には取り付かないが、水を飲んだ鳥や獣に寄生する。

 内臓の中に巣くって、動物が食べたものから栄養を吸い取る。

 だから宿主の動物たちは栄養不足状態になって、元気がないのだろう。

 宿主を殺すほどではないが、その鳥や動物の肉や毛皮には微弱な毒があって皮膚病や脱毛の原因になる。


「ええっ? そんな『魔虫』が……?」

「ああ。その魔線虫に冒されている鳥の糞などが入ると、水中で卵が孵化して池や湖に棲みつく」

「そういえば……今年の秋口にガストーゼ山脈の北西方面から、普段見ない鳥が渡ってきていた……」

「司祭様が、アーサスによく居る鳥だって言ってたよね!」


 アーサス教国か。

 ガエスタとの戦争で随分と荒れたらしいから、魔虫が湧いている所が増えたのかもしれない。

 それを渡り鳥が運んでいるってことか?

 魔線虫が取り付くと、鳥や獣は普段と違う行動をするってエンエスが言ってたっけ……


「回復より、浄化水を飲ませる方がいいかもしれない。この池を浄化してもいいか?」

「ああ、頼めるならお願いするよ!」


 光の剣の青い光を水に翳す。

 水質鑑定をしつつ、あまり大きくはないその池を青い光でかき回すように全体を照らす。

 その光に何かが分解されていき、水が『清浄水』へと変わる。


 水の浄化は『浄化の方陣』では限度がある。

 深い所までは効果が届かない。

【浄化魔法】が使える魔法師がいてくれたら、その方がいい。


「羊達にこの水を飲ませたら、少しは回復すると思う」

「ありがとうっ! お兄さんっ!」


 頼まれた『回復の方陣』も何枚か描いて渡しておいた。

 あの水が原因なら、多分もう大丈夫だろうが……羊舎も見せてもらった方がいいかもしれない。

 毒物鑑定の片眼鏡をかけながら、羊舎を覗くと案の定そこかしこに毒の反応がある。

 水を含んだ泥とか、水がついた羊たちそのものから飛び散ったり、糞からの毒もあるかもしれない。


 浄化の方陣札を使い、綺麗にしておく。

 迷宮内より広範囲に浄化できるのは、平らな場所だからだろうか。


 鳥が飛んで来たっていうのが原因なのだとしたら、この村全部の水場を浄化した方がいいんじゃないか?

 魔法師組合と教会に聞いてみるか。

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