弐第42.5話 『赤』を巡る人々

▶コデルロ商会


「ふむ……何も言い出さなかったか」

「あ、会長」

「彼にあの染め物を使った布製品は渡してくれたかね?」

「はい、小物入れの小袋を……あの、あの方、本当に冒険者なのですか?」


「あの赤い瞳は、皇国の者ではない。ミューラかタルフのどちらかだと思ったのだが、あの『赤布』を平気で受け取るのならばタルフではあるまい。そうなると金を持っているなら、元ミューラの冒険者でしかあり得ないよ。革製品は少々色味が変わるからかそうでもないようだが、布だとタルフの者はあの赤にいい感情がないみたいだからねぇ」


「左様でしたか。確かにタルフではあの『赤』は、布用ではありませんでしたな。皇国用にだけ作っているらしいですが、この店でもあまり売れておりません。少々、色が派手すぎると何人かに言われました……」

「ああ、仕方ないよ。これを売るのは、どうせ一見客だ。だが、この区画のものだけだね? 残りは」


「残っていた布地や糸などは、仰せの通りに露天商達に少しだけ割り引いて売り切りました。何人か、翌日に変色したなどといってきましたが……多くは何も言ってきておりません」

「ふむ、タセリームくんの所のものも色落ちやムラが出たそうだが……何かに作り替えて売ったのだろうね。しかし、あの赤は失敗だったよ。少しでも、回収しないとねぇ」


「もう一度、浄化の方陣を使いますか?」

「そんなことをしても、色が悪くなるだけだ。明日から少しだけ割り引いて売りなさい。それでも残ったら、また露天商にでも売るといい」

「ただ、あの赤の商品に触れた者の何人かが、手が荒れたと」

「全員ではないのだろう? 気にしなくて平気だよ。毒と言ってもその程度ということだ」

「……はい」


「それにしても、冒険者なら迷宮品を高く売りたいものだと思うのだが、他にも買い取る者がいるのだろうか?」

「出入国が面倒だと思っているのでは?」

「そうか……やはり、ヘストレスティア国内に支店を作る方がいいね。テルムントであれば、オルツの高速魔導船が出入りするから、その辺りで考えてはいるが……ヘストレスティア側の協力者が得られないとねぇ……」


「上手くいけば、今後は迷宮品も増えますね」

「面白いものが多いからねぇ、迷宮品は。支店は……トテフィスに任せるか」

「え、タルフは……?」

「そちらには暫く、手出しはしない。魔毒を薬以外に利用する方法を探るには、少々金がかかり過ぎる。あれが言いだした『黄色』も大失敗だったからね」


「先ほどの冒険者には、尾行を付けてございますが……?」

「ああ、宿が突き止められたら、明日また話をしてみようと思ってね。彼はかなり役に立ちそうだからね」



▶憲兵詰め所


「隊長、自分も先ほどトテフィス商会で『タルフ赤』と思われる糸が一部使われた手巾を買いました。あそこ、コデルロの息子の店ですよね? もしかしたら、これも」

「浄化の方陣で試してみよう……他にも持っている者がいたら、出してくれ」


「思ったより、買った奴は少ないんだな」

「派手過ぎますよ、この赤」

「下品だって言って、うちのかみさんが嫌がったんで買いませんでした」

「この赤色って、あまりいい気分じゃないですしね」

「……うむ、全てガイエス殿の仰有る通り、銀赤になるな」


「ちょっと訛りがおありなのか、商会名が聞き取りづらかったですね」

「だから、あの書き付けをお見せくださったのだろう。ミューラからの帰化のようだから、仕方あるまい」

「隊長、ガイエス殿には、冒険者組合の裏書きで二つ名がありましたけど……まさかあれって」

「『緑炎の魔剣士』は、ヘストレスティアで最も困難と言われる『不殺の迷宮』の単独踏破者だ」

「やっぱり……! 皇国の魔法師という噂、本当だったのですね」


「それ以降『不殺』は誰も踏破していない、というのは?」

「本当だろうな。先日、ヘストレスティアからやってきた商人が『もう一度不殺の迷宮から出た物の競りがあったら今度こそ』などと、コデルロと話しているのを聞いた者もいる」

「ああ、コデルロは最近、迷宮品にも手を出し始めましたからね」

「コデルロは、ガイエス殿と迷宮品の取引をしたくて呼び寄せたんでしょうか?」

「そうかもしれん。しかし……コデルロがガイエス殿を『緑炎の魔剣士』だと知っていたとは考えにくい……冒険者は基本的に本名ではないから、二つ名だけが知らされる。偶然であろうな」


「九芒星の身分証入れにも吃驚しました。あれって、聖神司祭様方と同じもののように見えましたが……」

「ああ、道で見た時にも、もしやと思ったが。この間大聖堂地下の司書室で、リンディエン神司祭様がお着けになっているのを見たんだ。それと、全く同じものだった」

「教会の上層部とも、関係がある魔法師……なのですね」

「そうでなければ、オルツの司祭様が毒のことなどお話しにはならぬであろう」


「もうひとつの『称号』は、イスグロリエスト大綬章一等位魔法師様の……ですよね?」

「あの通達があったものだな。協力要請というのは、こうした町の取り締まりに関することだったのか」

「きっとそうだろう。それと……左手首を見たか? あれは間違いなく加護法具だ。在籍がセレステだったから、セラフィエムスかカルティオラからのものに違いない」

「そんな後ろ盾がつくほどの冒険者……ですか」

「冒険者であるから、魔獣や魔毒のことに詳しい。それで、皇国に入り込むそのような物を、密かに排除なさっていらっしゃるのかもしれぬ」


「さすが、セラフィラントが認めた魔法師、ということだな。これで王都に魔毒がバラ撒かれるのを阻止できる」

「ガイエス殿ならその場でコデルロを捕らえても問題なかったはずですのに、我々を立ててくださったということですね」

「この魔毒染料についてはセラフィラントから報せがあったというのに、十分な対応ができずにいましたから……それを見かねて、手助けをしてくださったのかもしれません」


「おそらく行商人街にいらしたのも、その調査のためであろう……」

「あのタセリームという商人、シュリィイーレ在籍でしたね。もしかしたら、あの一等位魔法師様の関係者では?」

「そうか! 連携しておられたということか。では元々、コデルロが怪しいと目をつけておられたのかもしれぬな」


「では、我等も方々の期待に応える働きをせねばなるまい! コデルロの関連商会に、今日中に踏み込むぞ!」



▶タルフ キアマト


「<おいおい、本当に貴族のご訪問だったのかよ?>」

「<ああ! 間違いない。ただ、お忍びのご様子だったから……偽名だったのだろう>」

「<『ガエス』なんて名前の方は、いらっしゃらなかったもんなぁ>」

「<……え? ガエスと名乗られたのか?>」


「<そうだが、知っているのか?>」

「<ほら、聞いたことがあるだろう? 先代に……今の王子達とあまり変わらないお年の末王子がいるって。その方の名前が、確かそんな名前だったぞ>」

「<俺も聞いたことがある! でも、ずっとマハルの離宮に閉じ込められているって>」

「<その方は、マハルから来たと言っていた。抜け出されたのでは……?>」

「<……もしかして、王宮や離宮には隠し通路があるっていう噂が、本当だったってことか?>」


「<それで身分証をと言われて、慌てておいでだったのか!>」

「<……なぁ、今の王子達と比べて、どんな感じだった?>」

「<お優しい方だったぞ。仕事の邪魔をしたくはない……と仰有っていたし、ちゃんと『茜草染め』の肩布を着けていらした>」

「<伝統を重んじる方なんだな! やっぱり、王族に違いない>」


「<今の王子達は『血赤染め』がお好きなようだからな>」

「<あんな『忌み血色』の……しかも、夜紅草の染料だろう?>」

「<そもそも、あの色はマウヤの色だからな>」

「<あれは……聖神三位の『赤』じゃない……>」


「<それに、本当に全く訛りのないタルフ語だった。市井でお暮らしとは思えない>」

「<紅玉は身に着けられていたのか?>」

「<身分証入れが紅玉で作られていた。しかも『星』だ。身分証も……間違いなく銅色あかがねいろだった>」

「<なるほど! そりゃあ、絶対に王族だ!>」


「<この町においでになったってことは……隠し通路を使っての逃亡とかじゃなくて、出してもらえたってことじゃないのか? もしかして、王太子が確定したのか?>」

「<そうかもな。継承権を放棄したのかもしれない>」

「<そうかぁ……ガエス様が継承なさらないというのは残念だが……王太子が決まったのなら、その方がよかったのかもなぁ>」

「<でもよ、そうだったらまた、この町に来てくださるかもしれないぜ? その時には……俺もお話ししてみてぇなぁ>」


「<そういえば、ガエス様がいらした後は魔鳥が出なくなったな>」

「<ああ、きっと神の加護だ。この町に王族がいらしてくださったことを祝福しているから、魔獣が寄りつかなくなったんだ>」

「<……だとすると……やっぱり、王太子に相応しいのはガエス様なんじゃねぇのか?>」

「<そうか、王太子がガエス様に決定して……いろいろな町を見聞しておいでなのかもしれないぞ!>」

「<おおっ! それはありそうだな!>」

「<きっと発表は、次の建国祭だな! 楽しみだぜ!>」



▶再び、コデルロ商会


「ちょっ、ちょっと、なんですかっ?」

「この店で売られている『タルフの赤』について、触書による浄化措置厳守の通達があったはずだが守られていないとの通報を受けた。緊急監査を行う」

「ええ……?」

「ああ、お買い上げの方々、買ったものの中に『魔毒精製染料』で、浄化がされていないものが含まれている可能性があります。そのままお待ちください」

「そっ、そんな品はございませんよ! 当店のものは、全て浄化品でございます!」

「ならば、鑑定させてもらおう」


「憲兵の方々、我々はちゃんと浄化した物だけを取り扱っておりますよ。ほれ、この通り証明書も……」

「この『毒物鑑定』の方陣では、間違いなく毒が視て取れる」

「……方陣札での鑑定は……精度に疑問がございます」


「タルフの赤は、正しく浄化すると色味が大きく変わる。今、この色が残っていることこそ、毒が残っている証である」

「色味が? ど、どう変わると……」

「司祭様による正しい浄化が行われたものは、この手巾のように薄赤で銀の輝きとなる。その赤い敷き布を持って来い!」

「……ぎ、銀赤……? バカな、あんな色になるなど……」

「『浄化の方陣』では、ああはなりませんでしたよ、会長っ!」


「方陣で試したのか? しかし本当に試したのなら……このようになるはずだ」

「敷き布が……!」

「嘘だ、たった一度でこんなに変わるなど」

「ろくな【浄化魔法】も使わず、毒のまま販売するなど許し難い。赤い製品は全て押収。既に売ってしまったものに関しては、返金回収を命ずる! たった今より裁定があるまで、コデルロ商会は一切の売買行為を禁ずるものとする!」


「お、お待ちください、赤以外の品であれば、毒物ではないのですし……っ!」

「毒製品を偽って売っていたのだからな。他のものも、全て検査するのが当然であろう。ああ、この商会から商品を卸していたトテフィス商会などの三軒も、既に憲兵が向かっている」

「……!」


「審査終了まで商会所属の者は全員、王都に留まるように。逃げ出すと……罪が重くなるからな」



▶王都 行商人通り


「一時は大赤字を覚悟したが、いやホント、助かったよ」

「まったくだなぁ、あんた凄い魔法師と知り合いだったんだなぁ、タセリームさん」

「いやいや、彼とはオルツで偶然! 知り合えたのは、本当に僥倖でしたよ!」

「あの銀赤になった途端に、手の痒みがなくなって……まさか、あの布のせいだとは思わなかった」

「俺もだよ。目がチカチカして涙が止まらなかったのが、全然なくなった。魔毒染料ってのは、やっぱりちゃんとした薬師が精製してないと危険なんだな」


「タルフの染料は、当分使えないな。仕入れもできなくなるだろう」

「どうするんだい? タセリームさん」

「今度は僕自身がタルフに行って、あの染料と染めた物を買いつけようと思っているのですよ。買い取った後、船の外ですぐに浄化してしまうつもりですよ。勿論、ガイエスくんの方陣でね!」


「毒物取り扱い許可を取るのか?」

「いえいえ、取り扱い許可が必要なのは『皇国内に毒物を持ち込む』場合だけですからね。タルフの島で浄化をしてから持ち込むのでしたら『毒』ではありませんから! オルツでも、それならば問題になりませんからね」


「あんたが入れてくれたら、俺にも売ってくれないか? 染料のままでもいい」

「ああ、わたしも頼むよ! 布が一番いいが、糸でも構わない」

「僕は今後、タルフの『金赤』と『銀赤』で刺繍糸を量産して、売りに行こうと思っているのですよ。既に使ってくださりそうなご領地もありますし! ですから、それ以外のものは皆様にお売り致しますよ!」

「来月に行くのか?」

「ええ、そのつもりですよ! もう魔導船の予約もしてあります」


「あの浄化の方陣札があれば、間違いなくいいものが仕上がるだろうからね!」

「ガイエスくんがあの札を販売してくれて助かりましたよー。これからもあの方陣札は、タルフ製品全てに必要でしょうからね!」

「ああ『赤』以外も、あの国のものは信用できねぇ」

「たいした魔法師だったなぁ、ガイエスって人は」


(オルツで見た時は自信がなかったけど、昨日じっくり方陣を見て……解ったよ。あれはタクトの字だ。ガイエスくんはタクトの知り合い……いや、友人、かもなぁ。また……助けてもらっちゃったよ)

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