弐第26話 アイソル国・ウフツへ

 昼過ぎに目覚め、食事をしてから甲板へ上がった。

 相変わらず、海だけしか見えない景色だが天候が少し崩れてきているようだ。

 夕方を待たずに雨が降り出した。


「降ってきたか……厄介だなぁ」

「雨だと何かあるのか?」

「船体を登ってくる魔魚がいるんだよ。雨だとそいつ等の足が速くなる」

「エンターナ群島に近付くと速度を落とすから、登られやすい」


 確かにそれは厄介だ。

 その登ってくる奴は昨日の魔魚とは違い、水母くらげのような触手がびっしりと生えているらしい。

 柔らかい糸のような無数の触手が絡みつき、顎が大きく外れる口で頭に食らいついてくる……と聞いただけで、俺はげんなりとしていた。


 その見た目、絶対に気持ち悪いだろ?

 絡みつかれただけでも魔力がどんどん吸われるし、食らいつかれたら一気に吸い上げられてしまって反撃などできずに絶命するという。

 本当にっ!

 どうして水の中の奴等って、絡みつく系が多いんだよっ!


「ガイエス殿、頼みがある」

 海衛隊のアスエム隊長にそう言われて、船室の並ぶ廊下へ入った。

「細い触手を持つものがもし船内に入ってしまうと、隙間から船室内まで触手が達してしまうかもしれん。すまんが、全ての窓と扉に『錯視の方陣』をお願いできないだろうか」

「それで防げる保証はできんが」

「陸の魔獣用と聞いているが、昨日の我等への効果だけでも充分だった。もし可能であれば、頼みたい。勿論、効果が保証されていなくとも構わぬ」


 できることは全てしておこう、ということか。

 そうだよな。

 この船には、司祭様や神官も乗っている。

 部屋の前にも中にも女性の衛兵がいるが、万が一がないとも限らない。

 彼女達の危険が減らせる可能性があるなら、やっておくべきだろう。


 俺は頼まれた通り全ての窓と扉に、方陣を【方陣魔法】で描いていく。

 方陣札を使ってもいいのだが、この方が魔力の保持力が高い。

 ……どちらも、濡れてしまうとおそらく効果はないのだが。


「魔力はわたくし達が入れますから、ご心配なく」

 神官達がにっこりと微笑み、次々と方陣に魔力を蓄えて発動させる。

 俺ひとりだったらひとつの方陣にやっと魔力が溜められるだろうという時間で、四つ以上の方陣を満たし更に次々と魔力を入れていく。


 ……すげぇな。

 流石、皇国の神官だ。

 これなら、俺は殆ど魔力を使わない。

 全ての方陣を船が夜の闇に包まれる前に、描き終えることができた。


 そしてその後、ご苦労様でした、と筆頭司祭様から……お菓子をもらってしまった。

 やっぱり、もの凄く子供扱いな気がする。

 あ、美味しい。


 甲板に出ると、昨日とは打って変わって凪いだ静かな海。

 魔導船は魔力で動いているので、風がなくとも進み続ける。

 雨が細い線を描いているかのように降り続く。

 視界が悪い。

 閃光仗の灯りも、雨に遮られ個々をぼんやりと示すだけだ。


 光で船体をなぞるように、海面に向かって光の剣身を動かす。

 時折何かがぱらぱらと水面に落ちていくから、取り付こうとした魔魚が分解されているのかもしれない。

 その時、船が何かにあたったかのように、がくん、と揺れた。


 警報音。

 だが、昨日とは少し違う。


「右舷に……魔……じゃない、海獣!」


 え?

 拡声器からの声に、気を取られて少しふらついてしまった。

 俺の目の前に丸い皿のようなものがいくつもくっついた、ぶっとい……触手? が二本見えた。

 そのまま、その馬鹿でかい触手が襲いかかってきた。

 光の剣が全く効かない。

 何度も光が当たっているのに、まるで崩れない。


「ガイエス殿っ! それは魔獣ではない!」

 魔獣じゃない?


「海に住む『獣』だ! 閃光仗は効かん!」

 ってことは、えーと、対獣用……っ!

 俺は慌ててカチカチッと二回、起動機を動かす。


「そいつは『なれはて』だっ!」

 なんだよ、それ?

 光が青から黄色に変わり、更に強い発色になった。


「食えるぞ!」

 ええええーーーーっ?

 俺はその光で『獣』を突き刺し……ぐったりと倒れ込んできた触手に乗っかられて、ぺたりと尻餅をついた。


 船にその全身が上がり込み、触手をうねうねと動かしていたぐにゃりとしたその『獣』……

 海獣……って言ってたっけと、思いつつ自分の上に乗っかった触手の一本をどかした。


 光の剣の黄色い光は『麻痺光』だ。

 人用の薄い色、そして獣や魔獣用の濃い黄色の光。

 殲滅はできないが、動きを止められる。

 これは、衛兵隊の閃光仗には付けられていない、俺の『光の剣』だけの仕様だ。


 衛兵達が駆け寄ってきて、その海獣にトドメを刺してくれた。

 魔魚以外のことを考えていなかったから、すっげー焦った……


「さっき……食える、と聞こえたのだが?」

 空耳かもと思い、衛兵達に恐る恐る聞いてみる。


「ああ! 食える」

「割と、旨い」


 そんな笑顔、見たくはなかった。

 こんなものまで食うのかよ!

 えげつねぇな、セーラント!



 その後、魔魚の襲撃はなく、朝を迎えた時に……なれはて……ではなく『蛸』と言う名前の海獣を使った料理が出て来た。

 小麦粉を溶いたものにある程度味を付けて、茹でた蛸をぶつ切りにしたものと葱などを混ぜて平たく焼いた物だそうだ。


「この卵と、柑橘を使った調味料をつけて食うといいぞ!」

「絶対に旨いから、食ってみてくれ」


 あの姿を見た後だと食指が動かねぇが、司祭様達にまでもの凄く美味しいですよ! と笑顔で言われてしまったので、目を瞑って口の中に放り込んだ。


 ……


 三枚ほど、おかわりをした。

 めちゃくちゃ、旨かった。


 その後、蛸という生き物のセーラント近海で捕れる大きさのものがあるというので見せてもらったのだが……小さい。

 全体が赤くて、触手だと思っていたくるっと丸まっているものは『足』だそうだ。


「あんなにデカイのを仕留めたのは、初めてだよ!」

「あの大きさだと、動きが止められなくて大概逃げられちまうからなぁ」


 もしかして、毎回食うために仕留めようとしてたのか?

 衛兵達は、やっと仕留められたと喜んでいる。

 そして、これで帰りの時の食材も困らないぞ、と船の料理人達はご機嫌だった。

 ま、あれは……旨かったから、いいか。



 眠って起きたら昼を大きく過ぎており、天光の光は真上から海と船を照らす。

 舳先の彼方に、陸地が見えてきた。

 周りに小さい島々が増え、船の速度が遅くなる。

 まだ港までだいぶ距離がある海上で魔導船は停止し、小型船に乗り換えて移動する。

 司祭様達三人と神官が六人、女性の衛兵が六人、男性が七人そして俺。

 乗り込む前、衛兵のひとりに【収納魔法】で持っていてくれ、と小さい袋を渡された。

 その中には魔石と方陣の書かれた羊皮紙が一枚。


「姿などを変える『隠蔽の魔法』が付与されている。君の姿が彼等には少しばかり変わって見えるだろう。それと、声は出さないようにしてくれ」

「何故?」

「……何かあった場合、次にここに来る時に『冒険者・ガイエス』は入れた方がいいだろう?」


 そうか。

 皇国の護衛である俺と、冒険者である俺を『別人』にするためか。

 何かある……と警戒しているということだな。

 魔導船を態とこんなに遠くに止めるのも、船員達と衛兵数名を残しているのも、用心のためということかもしれない。


「助かる」

「君には、この国に『出入り』して欲しいからな」


 取り出した魔石ふたつと、方陣札を【収納魔法】にいれた。

 小型船はゆっくりと島へ近付いていく。

 確かに浅瀬になっているようで、大型船は入れないのだろうからあの場所に泊めていて当然なのかもしれん。

 水面に視線を向けると海の色が線で区切られたように、魔導船が停泊しているところとは違う色になっている。


 そして小型船の先に、アイソル国・ウフツの港が見えた。

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