弐第2.5話 セラフィラント-1

 二ヶ月ほど前、オルツ港湾長リリエーナから、セラフィラント領主セラフィエムス・ダルトエクセムにある情報がもたらされた。

 それは海からの驚異に相対する全ての領地で、願わくばすぐにでも手にしたいと思っている『恩恵』についてである。


 皇国の東側の海に他国から攻め入る船は、今、やっては来ないだろう。

 海軍を有するドムエスタ王国の動向は、相変わらず不明ではあるが。

 しかし、同盟国である隣国のディルムトリエン公国が、その半分もの領地を魔獣の跋扈する遺棄地へと変えてしまった今、それを無視して他国に侵攻する暇も武力もない。

 だからこそ、今のうちに『守り』を固めておく必要がある。


 その『守り』は、魔魚と呼ばれる海の生息する魔獣達に対してだ。


 海底に巣くうそれらを、海の中まで討伐に行くことはできない。

 だが、海の上を航行する船や港を簡単に襲わせるわけにはいかない。

 船はその高速化と頑強な装甲、そして海衛隊の練度と武器で対抗する術が調ってきた。

 安心も油断もできないが、着々と成果を上げている。


 だが港はまだ、無防備な小さい港も数多く存在する。

 そうした港にまず必要なのは、穢れを寄せ付けないように準備することである。

【浄化魔法】だけではない、継続的に海を美しく保つ『何か』を。

 リリエーナから上げられた報告は、その助力になると思われるものであった。


『東の小大陸に海からの魔を寄せ付けないようにするものがある』


 公国よりも東南の海に位置する、東の小大陸の周りには多くの魔魚が存在する。

 そして魔獣のような大型の獣ほどの魔物も生息しているのに、何故か上陸が全くされていない海岸が存在するという。


 その情報をもたらした男は、セラフィラントに条件を出してきた。

 証拠と引き替えに家族と自分に皇国籍を用意して欲しい、と。

 その情報が価値あるものであるならば、条件を吞むことは容易い。


 セラフィラントでは他国の者達には決して破れぬほどの【隠蔽魔法】を使える『隠密』が多く存在する。

 当然、彼等は以前から東の小大陸の皇国と少しでも繋がりのある各国に潜入している。

 その隠密達は『情報提供者』についての調査を既に終えており、その報せも届いていた。


 それを全て確認した後、ダルトエクセムはリリエーナに『証拠となるものさえ差し出せるのであれば約束をしよう』と書いた書簡を渡していた。


 その返事が、先ほどある方陣魔法師によってオルツにもたらされ、たった今、ダルトエクセムの手に届いた。

 手紙と共に添えられていた、いくつかの小石のような塊。

『なるべく早く』とあずかったその『小石』は、石のように見える『水生生物』だ。

 急いで欲しいと言ったのは、その生物が死んでしまうことを懸念したからであろう。

 ここに書かれている通りのものだとすれば、皇国の沿岸部にとって大変価値のあるものとなる。


 セラフィラントは古くから、魔毒や海洋生物の研究をしている施設を有している。

 特に、海洋生物と魔魚の研究には隣領のリバレーラ、その南のルシェルスも共同で研究を進めている。

『小石』はすぐさまその施設へと届けられ、分析に入った。

 優秀な魔法を持つ解析学者達は、その謎を突き止めてくれるはずだ。


 これを送ってくれただけで、ひと家族を皇国に招き入れることに問題はない。

 既に『情報提供者』の手元には『疾風の魔導船』の乗船券が家族分、方陣魔法師に届けてもらえるように手渡したと連絡も入っている。

 十日後には六人の家族が、オルツに到着するだろう。


(もしも偽情報であったのなら……その時に咎めればいいだけのことだ)


 だが、ダルトエクセムにはその者達への『罰』など考えていなかった。

 自分だけでなく、家族をあの国から連れ出したいと言った男を信じていたのだ。

 その国、タルフは聖神一位の加護を持つ者達にとっては……あまりに生きづらい国だと知っていたから。


 魔獣や魔魚を過剰に恐れる国は『夜』を嫌う。

 聖神一位は夕焼け色の加護色をもつ、天光を懐に抱いて人々を安らかな眠りに誘う神である。

 それを『夜を呼ぶ』『天光を隠す』として嫌う国がある。


 タルフはそれがかなり極端で、聖神一位の加護を持つ者達に迫害紛いのことをしている地域もあるという。

 神々を自らの都合で差別し選ぶなど、皇国には信じがたいことだ。


 もうすぐ夕方となる窓の外を眺め、ダルトエクセムはその男の家族を迎えてやれる宿舎の準備をリリエーナに指示する書状を書き始めた。

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