02.まだ、奥さんの事が忘れられないんですか?
「全く、似合わない服着てるね」
「そう言うなよ。うちの職人に作らせてんだから」
クスクスと笑うアイナと、苦笑いを見せるシェスカル。
二人の繋がりがどこにあるのか分からず、ファナミィは思わず眉を顰めた。
「ん? そういやさっきユリフォード卿は出てったようだったが」
「ベル卿に送って貰うらしいから、私はこのまま直帰だよ。迎えも来てるしね」
そう言いながら二人は屋敷を出て行く。ファナミィは話に入って行けず、縮こまるようにしてシェスカルの後ろを歩く。
「アイナさーんっ」
玄関を出て道に出た所で、知った声が耳に入って来た。走って近寄って来たのは、ディノークス騎士隊の班長、サイラスである。
そう言えばサイラスの奥方の名前はアイナだったか。同じ騎士職だとは思っていなかったので、アイナがサイラスの妻だとは結びつかなかった。
「もう、わざわざ迎えなんて要らないよ、サイラス。私は騎士だよ」
「そういうわけにいかないよ。僕の奥さんなんだから」
「おい、ベタベタするのはいいけどよ。なんか言う事あんだろ、サイラス」
「あ、隊長! じゃなくて、シェスカル様!」
シェスカルの存在に今気付いたかのように声を上げるサイラス。目の中にはアイナしか入っていなかったのだろう。
「あちゃー、シェスカル様も同じとこだったのかー」
「お前、今日はアイナが家で待ってるからって早く帰ったよな。ファナミィに自分の仕事を押し付けてよ」
「え? サイラス、それ本当?」
アイナが驚くように言うと、サイラスはバツが悪そうに、人差し指と人差し指をつんつんしている。
「だって、急にアイナさんに仕事入ったなんて知らなかったんだよー」
「ユリフォード騎士隊は二人しかいないから、もう一人に急な用事が出来たりすると、こういう事があるんだよ」
「だってー、アイナさんに早く会いたかったんだもんー」
「もう、いつだって会えるようになったじゃないか。ほら、二人に謝りな」
呆れ顔のアイナに促され、サイラスは肩を落としながらこちらに顔を向ける。
「すみません、シェスカル様……ファナミィちゃんもごめんね」
「あ、いえ、私は……」
と言い掛けた所で、アイナが申し訳なさそうにファナミィを覗き込んだ。
「本当にごめんよ、ファナミィ。サイラスの所為で、嫌な思いをさせたね。本来ならこの役目はサイラスだっただろうに……」
「いえ、アイナさんが間に入ってくれてなかったら、どうなってた事か……感謝してます」
「ん……何かあったのか」
シェスカルが眉間に皺を寄せて聞いてくる。言いにくい事だが、言わないわけにいかない……と思った瞬間、ファナミィよりも早くアイナの方が口を開いた。
「シェス、大きな会食だと分かっていたんだろ。いくらサイラスが仕事を抜けたからって、どうしてこんな若い子を連れてきた? ディノークス騎士隊は人数が多いんだから、他にいくらでもいるじゃないか」
「一応、班長格には声を掛けたんだけどな。断られちまったんだよ」
「だからって、こんな若い女の子に……」
「何があった?」
「本人に聞きなよ」
「アイナ」
シェスカルはファナミィから聞き出そうとは考えていなかったのか、アイナの左手首を掴む。それを見たサイラスの顔が急にむくれて、アイナの肩を抱くと強引に彼女をシェスカルから離した。
「ちょっとシェスカル様、アイナさんはもう僕の物なんですからねーっ」
「分かってるって。ちょっと話を聞こうとしただけじゃねーか」
サイラスは自分の物だと主張するように、後ろからアイナを抱き締めている。抱き締められたアイナは、呆れているような素振りをしながらも顔を赤らめていて、少し嬉しそうだ。
そんな二人を見ていると羨ましくて仕方ない。
「シェスカル様の入る隙はもうありませんからねっ」
「ったく、邪魔したりなんかしねーよ。誰より俺が、アイナの幸せを願ってたんだからな」
「シェス……」
目を細めるシェスカルと、サイラスに抱き締められたまま彼を見上げるアイナ。
何だか不思議な空気が流れた。お互いに愛おしい者を見るような、それでいてとても悲しい……そんな瞳。
サイラスはアイナの肩に頭を埋めるようにして、更にきつくアイナを抱き締める。
「……帰ろう、アイナさん」
「ああ……そうだね」
サイラスはアイナの拘束を外すと、シェスカルの前で頭を下げる。
「それでは失礼します、シェスカル様」
「ファナミィ、ちゃんとシェスに全部話すんだよ」
コクリと頷くと、アイナはサイラスに手を繋がれて背を向ける。しかし少し歩いた先で、アイナが肩越しに首だけ振り返った。
「シェス、これ以上女の子を泣かすんじゃないよ」
その言葉に、シェスカルは頭を掻きながら「努力するよ」と苦笑いしている。
そうして去って行くアイナ達の後ろ姿を、ファナミィは複雑な気持ちで見送った。
シェスカルの事を『シェス』と呼ぶ女性を、ファナミィは今まで見たことがない。明らかに親密さが伺える表現だ。サイラスの態度も気になるし、過去に二人は何かあったのだろうかと勘ぐってしまいそうになる。
「で、何があったんだ? ファナミィ」
少し難しい顔で問われ、ファナミィは重い口を開くしかなかった。
「実は……騎士の待合室で、一人の男性騎士に絡まれてしまいました」
「そうか……それで?」
シェスカルは少し周りを気にした様子で歩き出した。ファナミィもその隣に付いて歩く。
「それで……相手の明らさまな挑発に乗ってしまい、思わずその人に手を……」
「あげたのか?」
「いえ。引っ叩く寸前で、アイナさんが止めてくれたんです」
ファナミィの言葉に、ほっと息を漏らすシェスカル。心底安堵している様子である。
小さな事でもどう転ぶか分からないと、アイナが言っていたのを思い出す。入隊した直後から別隊の騎士とのやり取りには気をつけるよう、口を酸っぱくして言われて来たというのに。そんな事も守れなかった自分が腹立たしい。
「その騎士の所属は?」
「アイナさんがベンガスカー騎士隊の者だと教えてくれました」
「ベンガスカー卿の指示だな、そりゃ……ディノークスと対立してる、一番の勢力だ」
そんな所に手を出そうとしていたのかと、ファナミィは身を竦ませる。
「短慮だったと思います。本当に申し訳ありませんでした」
「何も無かったんなら良かったけどな。次はねぇぞ」
「……っ、はい……っ」
冷たい声が胸に突き刺さる。
シェスカルの役に立ちたいという気持ちは昔から変わらないというのに、やっている事は彼を不安にさせる事だけだ。ファナミィの気持ちはガクリと沈んでしまう。
その姿を見たシェスカルが、今度は片眉を下げて笑った。
「と、まぁ当主としてのお咎めはここまでだ」
「え?」
沈んでいた頭を上げると、先程までの冷たい声と視線はすっかり消えていた。
「一体何を言われたんだ? 少々の事じゃあお前だって怒らねぇだろ」
どうやらシェスカルはファナミィの事を買い被っているようだ。嬉しいような申し訳ないような、複雑な気分である。
「あの、それが……」
「ん?」
「私がシェスカル様の事……す、好きだってばれて……っ」
「……うん」
こんな形で再告白をするとは思っていなかった。
あれから約二年が経つ。少しだけ好きでいさせてと言っておきながら、二年だ。もしかしたらドン引きされてしまったかもしれない。
「それで、その騎士の人に、私がシェスカル様に遊ばれてるって言われて……そんな事実、ないのに……っ」
「ん……そっか」
顔を燃えるように熱くしながら、何とか真実を伝えきる。目だけでシェスカルの表情を確認するも、彼は前を向いたまま表情を崩してはいなかった。
「あ、あの、シェスカル様……」
「何だ?」
沈黙に耐えきれずに言葉を口にすると、シェスカルはハッとしたようにファナミィを見下ろす。
「その……すみませんっ」
「は?」
「私、振られてるのに、いつまでもしつこくて……身分差もあるっていうのに……っ」
「ああ、まぁそれは気にしてねぇけど……誰か良い奴はいねーのかよ」
「そんな人、いませんっ」
「そんな風に言ってねぇで、ちゃんと周りを見てみろ。うちの騎士にだって、良い男は沢山いるぜ」
「シェスカル様以上の良い人なんて、存在しませんから!」
思わずそう答えると、シェスカルはハハハと大きな声で笑い出す。
「そりゃあまぁ、俺以上の良い男はいねぇよな! けどな、それと人を好きになる気持ちってのは別もんだぜ? そんな男と出会いさえすれば、俺なんかすっかり忘れちまうよ」
その口ぶりは、まるで別の男と出会って、自分の事なんか忘れてしまえと言われているのと同じである。ファナミィへの気持ちなど無いという事がありありと分かって、胸は切り裂かれんばかりに痛んだ。
望みはゼロなのだろうか。このままシェスカルを好きでいても、何の進展もないのだろうか。
少し悲しげな瞳で遠くを見ているシェスカルは、まるで誰かに想いを馳せているようだった。
「まだ、奥さんの事が忘れられないんですか?」
不躾な質問だと分かっていても、止められなかった。いつまでも彼の心に居座っている元妻の存在に、怒りさえ感じる。
「そんなんじゃねーよ」
「シェスカル様は奥様と離婚した後、誰かを本気で好きになった事はありますか?」
ファナミィは知りたかったのだ。シェスカルが元妻の事でどれだけ心を占められているのかを。他の誰かを好きになった事があるのなら、自分にもチャンスはあるはずだと。
ドキドキしながら答えを待っていると、シェスカルは少し言いにくそうに……しかし、隠さずに教えてくれた。
「……いる。好きになった奴は」
望んだ答えを聞けたというのに、全く喜べなかった。
「そ……なんです、か……」
掠れた声で何とか答えるも、頭がクラクラして来た。酸欠なのか、目の前が白く染められる。
しかし倒れそうになるのをグッと堪えた。ここまで聞いたのだ。最後まで聞き出さないと、納得いかない。
こういうガッツのあるところは自分でも凄いと思う。
「その人の、どんな所を好きになったんですか?」
「どこと言うより、最初は責任感とか罪悪感から一緒にいただけだったな。けど長い間一緒にいるうちに、どんどん大切な女になってった。それだけだ」
何の参考にもならない答えを聞かされて、ファナミィは首を捻る。
「今、その女性とはどうなってるんですか?」
「別れたよ。あっちに男が出来て、振られたんだ」
シェスカルを振るだなんて、なんて贅沢な女なのだろうか。もしファナミィがそんな立場なら、シェスカルを掴んで絶対に放しはしないだろう。
「それはその……辛かった、ですね……」
「良いんだよ。俺が誰より、あいつの幸せを望んでたんだからな」
その言葉を聞いた瞬間、欠けたピースが当てはまるようにファナミィの脳内で先程の光景が再生される。
──シェスカル様の入る隙はもうありませんからねっ
──ったく、邪魔したりなんかしねーよ。誰より俺が、アイナの幸せを願ってたんだからな
「……アイナ、さん……?」
考えるより先に唇がその名を刻むと、シェスカルは自嘲するような顔で言葉を紡ぐ。
「ああ、あいつの腕を斬っちまったのは俺でな。ずっと責任を取るつもりはあった。ま、それを望んでたのは俺だけだったんだけどな」
「シェスカル様は、今でもアイナさんの事がお好きなんですか……?」
恐る恐る尋ねると、彼は自身を嘲笑しながらもそれを押し殺すように答える。
「もし好きなんて言っちまったら、サイラスの奴に斬られかねねぇよ」
シェスカルは「サイラスの奴は嫉妬深そうだからな」と片眉を下げながら笑っている。
結局質問の答えを明確には貰えなかった。ファナミィに分かったのはただ、シェスカルの心には元妻であるプリシラという女性とアイナが大きく占められているという事だけだ。
その事実で心が押し潰されそうになっていると、頭をぐわしと掴まれて髪の毛を掻き乱される。
「シェ、シェスカル様っ!?」
「しけた面すんな。俺はお前にも幸せになって貰いたいと思ってんだぜ? 良い男、捕まえろよ」
その言葉には、決して彼が幸せにしてくれるという意味は込められておらず、ファナミィは力無く笑った。
これは二度目の失恋と言って良いだろう。何年も好きでいられて気持ち悪いとか、迷惑だとか言われないだけマシだとは思う。
それでも心は重い雨に叩き付けられるように痛みを訴える。
「……ごめんな」
ポツリと零される謝罪の言葉に、ファナミィは泣きそうになってしまった。
女の子を泣かせるんじゃないというアイナの言葉が、頭の中で響き渡る。想像ではあるが、シェスカルは何人もの女の子を泣かせてしまっているのだろう。己の意思とは関係無しに。
ならばせめてシェスカルに負担は掛けまいと、涙を押し返してグッと飲み込んだ。
二人はそのまま言葉少なに、ディノークスの屋敷へと帰って行った。
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