第114話 想定内と想定外
ザカライアスより差し出された報告書に目を通したアレハンドロは、楽しそうに片眉を上げた。
「思ってたよりも稼げてるな。三か月半でこれか」
「はい。やはりアレハンドロさまのお見立てが良かったのかと。この分ですと、土地家屋代はあとひと月もすれば取り戻せます」
「そうか」
アレハンドロは確認した書類を机の上に放る。
「まあただの暇つぶしだからな、資本も規模も小さい。その割には良くやれてる方だろ」
「資金を増やしますか?」
「今はいい。後でお前がそうしたければ勝手にやるといいさ」
軽い口調で投げかけた言葉に、ザカライアスが反応する。
「・・・あれは、本気で仰っていたのですか?」
「当たり前だ。言っただろ? これは
「ですが」
「俺の気の済む様にやらせろ。あと少しだけだから」
あと少しだけ、その言葉に、ザカライアスは唇をぐっと噛む。
「お前も、そろそろ俺離れしていい頃合いだ。ある意味、チャンスだぞ」
「チャンスだなどと、そんな風には思えません」
「ははっ、お前くらいだよ。そんな風に俺のことを惜しんでくれる奴は・・・皆、さっさとくたばっちまえって思ってるだろうに」
自嘲する風でもなく、ただ心に思ったことを言っただけ。だが、ザカライアスは心底嫌そうな顔をする。
「全く。お前の基準は相当おかしいんだな、ザカライアス」
どうも今日は機嫌が良いのか、アレハンドロは使用人を呼んで葡萄酒を開けさせる。
空っぽの胃に流し込むのは体に良くないと、せめて食事の時の飲酒をザカライアスは勧めるのだが、当然アレハンドロはそんな真っ当な助言など聞きはしない。
この身体だって、もうあと少し保てばいいだけなのだ。もうあと少し、そう連絡が来るまで。
今、アレハンドロはその時を迎えるためだけに生きているのだから。
「・・・なんだ。外が慌ただしいな」
「そうですね。見て参ります」
夕食時。
アレハンドロは三本目になる葡萄酒を開け、それもじきに空になるという頃。
林の近く、裏は小さな川が流れる。周辺に他の住居がないここは、普段はとても静かな邸宅なのだ。だが今日は、使用人たちの動きがどこか慌ただしい。
様子を見に行ったザカライアスからの報告を聞けば、川上に位置する町で、先の長雨の影響で増水した川に車輪を取られた馬車があったらしい。
普段ならば小川と呼んでも差し支えないくらいの小さな水流。大した作りではないが通常は問題なく安全に橋を渡れる。だが今回は、増水した川の水が橋を少し超える程にまで上昇していたという。
他の馬車が様子を見るために停まる中、ある馬車一台が無理に渡ろうとしたらしい。
幸い、馬車そのものは川に落ちなかった。だが、車輪が水に取られて流され傾いた時、扉が開いてしまい、乗っていた男が川の中に落とされた。
「・・・だから?」
呆れた声でアレハンドロは問う。
「いや、まあ、それは残念な事故だとは思うが、我慢の効かない馬鹿な男が川に落ちたくらいでうちの使用人たちが騒ぐ理由はどこにある?」
「それが、どうやら家の裏手の川辺に、その流された男らしい人物を家の者が発見したらしいのです」
・・・うわ、面倒。
薄情な話、アレハンドロの頭に真っ先に浮かんできたのはこの言葉だった。
「・・・生きてるのか?」
「生きているそうです。気を失っていて水を飲んでいなかったらしく」
「・・・運のいい奴だな」
小さな川とはいえ、増水した川に落っこちて、生きたまま流れ着くとか。しかもこの家はそれなりの医療設備が整っている上に、使用人たちは医学の心得のある者たちばかり。
「・・・川に落ちたのですから、どちらかと言えば運が悪いのでは・・・?」
ザカライアスの控えめな突っ込みをアレハンドロは無視して話を進める。
「・・・仕方ない。今はちょっと気分がいいから手を貸してやろう。ああでも、長く面倒を見るのはごめんだ。後で近くの病院にでも連絡して引き取ってもらえよ」
「分かりました」
ザカライアスの後ろ姿を見送って、アレハンドロはひとりグラスに残りの葡萄酒を注ぎ入れる。
気分は削がれたが、口直しとして。
たまに人助けも悪くはない。
今さらひとり助けたとして、自分のこれまでの罪が軽くなるとは思っちゃいないが。
翌日、男が目を覚ます。
体のあちこちに裂傷はあるが、幸いにも重傷ではないらしい。数日もすれば馬車で病院への移動も可能だと報告が来た。
礼が言いたいと請われ、仕方なく車椅子にて会うことになる。
「この度は、助けていただきありがとうございました」
目の前で深々と頭を下げる男に、アレハンドロは暫し言葉を失った。
ここで会うとは予想だにしなかった男が、目の前にいるからだ。
「本当に助かりました。恋人に会いに、王都に戻るところだったのです。気持ちが逸ってしまい、他の馬車のように岸で待つことが出来ず・・・」
恥ずかしそうに、男はそう打ち明ける。
恋人に会いたくて気が逸った・・・?
いや、そこは水が引くのを待つべきだろう。
と、アレハンドロは心の中だけで呟いた。そして、男の感謝の念に満ちた視線に今さらながら気づく。
・・・ああ。俺の顔を見ても分かる訳がないか。
肩透かしを食った気分、それと同時に安堵に似た感覚を覚えながら、アレハンドロは目の前の男の顔をしげしげと眺めた。
これは・・・
この時間軸では、確か一度だけ、遠目に見かけたことがあるくらい。こちらは見知っていても、男の方は自分を見たこともない筈。
だが、巻き戻り前は。
この男は、ベアトリーチェの死体をかき抱き、声を上げて泣いていた。
人目も憚からず、秘めていた愛情を隠すこともなく、大粒の涙を流し。
ただただ、アーティ、アーティと愛しげに、悲しげに、苦しげに。
その名前を呼び続けて。
ナタリアにも、レオポルドにも、アレハンドロにも目をくれず、ただベアトリーチェひとりを見つめ泣いていた男だ。
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