第113話 溜め息ひとつでやり過ごせるものならば
ナタリアさんへ
手紙の返事をありがとう。とても嬉しかった。元気そうで安心したよ。
新しい町に移って、もう三か月だね。
勉強、それから実地での看護師補助としての仕事はどう? きっと毎日忙しく過ごしてるんだろうね。
そちらは医学の国ドリエステに近いから、病院内の設備とか、情報とかも、いち早く届くのかな。
ベアトリーチェさまの病の特効薬もドリエステで開発中らしいけど、もしかするとナタリアさんの方が早く完成の知らせを聞いたりしてね。
あ、でも婚約者のエドガーさまがおられるから、それは無いかな。エドガーさまもドリエステで開発に参加しておられるからね。
俺は先日、ストライダム騎士団内で試験を受けたんだ。ここは他とは変わっていてね、志願者だけだけど、希望すれば実技試験を受けさせてくれるんだ。
課されている剣の技の習熟度を見るためだけのもので、直接昇進に繋がる訳ではない。だけど、実力を証明するものだから、当然評価対象にはなる。何より強くなれるしね。
とある友人から、前に発破をかけられたんだ。『昇進する気はあるのか』って。後になって気づいたんだ。その友人が俺のことを思ってそう言ってくれてたってことに。
だから、俺も頑張ることにした。ガツガツするのは性に合わないと思ってたけど、やってみると別にそう嫌でもないと分かったし、やれるとこまでやってみる。
ナタリアさんも知らない土地に一人、心細い時もあるだろうけど、何か困ったことがあったらいつでも言って。文通仲間の危機には必ず駆けつけるから。
そうそう。俺がナタリアさんと文通してるって聞いたベアトリーチェさまが、狡いと拗ねてたよ。
最近、ベアトリーチェさまは・・・
「・・・っ!」
目の前にあった便箋が視界から消える。
「ニヤニヤしてなに読んでるんだよ」
見上げれば、最近よく絡んでくるようになった同じ看護クラスの生徒。
「なんだ、これ。手紙?」
「・・・返して」
「寮暮らしはよっぽど寂しいんだな。手紙一つでそんなニヤつい・・・」
「トミー、止めろ」
埒があかないと、ナタリアが立ちあがって手紙を取り返そうとしたところで、トミーの背後から別の男が現れる。
「返してやれ。殴るぞ」
「・・・なんだよ、これくらいで殴るとか。ジェイクは気になんないのかよ。手紙だぞ」
「トミー」
「・・・分かったよ、ほら」
「・・・済まなかったな、ナタリア。オレが目を離したせいで」
「・・・」
突き出された便箋を、ナタリアは無言で受け取る。もう一人の男には軽く会釈をして。
10分の休み時間。寮に戻るまで待ちきれなくて、つい
・・・面倒な予感がする。
他のクラスメイトたちは遠巻きに見ているだけ。今のところは。
けれど、何回かトミーに絡まれ、ジェイクが助けに入るパターンが繰り返され、何人かの女子の視線が厳しくなっている。
・・・前は、アレハンドロがいたから。
たぶん状況を操作していたのはアレハンドロ自身。けれど事態が悪化する頃に解決してくれていたのもアレハンドロだった。
だから最悪の事態にはならないという保証もあったのだと、今なら分かる。
ある意味、自分はアレハンドロにかなりの部分を守られていたのだ。
一つ、深く溜息を吐き、便箋を封筒にしまう。
まだ立ち去らない二人の前で、机の中に入れた。
それから教科書を取り出し、それを開く。
二人と話す気はないと態度で示すために。
「・・・」
声が出る気配。思わず肩が竦みそうになってーーー
「ジェイク、トミーも。戻って来なよ。もうすぐ授業が始まるわよ」
「・・・ああ」
「今行く」
知らず、息を詰めていたらしい。二人が去ると、ナタリアはホッと息を吐いた。
先ほど机の中にしまった手紙を、そっと教科書の中に挟む。外側からは見えないように注意深く。そしてその教科書はそのまま鞄の中に入れた。
レンブラントに警告され、家でネズミ探しをした時についた知恵だ。出来る自衛はした方がいい。
救いは、彼らが皆、寮生ではないこと。全員が地元組なのだ。
だが、休日はそれが逆に枷にもなる。必要なものを買いに町に出かければ遭遇する可能性があるから。
毎日寮でまで絡まれるよりは、休日のみ対策すればいい方がマシだけれど。
・・・夏休みはどうしよう。
一応まだ学生扱いであるここは、夏休みなるものが設定されている。期間は約三週間ほど。
寮に籠るだけで済むなら話は早いが、残念ながら夏季休暇中は寮で食事が提供されない。少なくとも食事のために外に出なくてはならないのだ。
--- 何か困ったことがあったらいつでも言って。文通仲間の危機には必ず駆けつけるから。
届いたばかりの手紙の文面を思い出す。
僅かな逡巡。けれど、ニコラスに甘えられる立場ではないと結論する。
彼からの告白は、出会いの時の一度きり。
それに返事をせず、友人としての立場を取り続けたのは自分。そしてそんな自分を非難することもなくその距離を受け入れて、その後は小さな好意を見せるだけに留めてくれた優しい人だ。そんなニコラスを、これ以上都合よく使ってはいけない。
「・・・」
気がつくと、また溜息が溢れていた。
自分の弱さを今更ながら思い知る。
貴族令息令嬢が大半だった学園とは違い、ここは全員が平民だ。当然、生徒たちの態度も振る舞いも違ってくる。
自分は、学園に馴染めていた訳では全然ない。けれど。
ここでの男女間の距離の近さには戸惑ってしまう。とにかく近い。そして強引だ。
生活の水準は裕福な平民以下だったが、やはり自分は貴族令嬢だったのだと実感する。
トミー、そしてジェイク。
その二人といつも一緒の女子たち。
夏休みが終わったら、残る授業期間は約半年。
まだあと半年以上あるのだ。
無事に、とにかく何事もなく終わってほしい。
そう願うナタリアだった。
同じ頃。
ストライダム侯爵家をレオポルドが訪問する。
ノイスとレンブラントへの面会を希望して。
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