第106話 伝言



今日は、普段よりも少し早く学園の授業が終わった。


騎士訓練科に至っては、既に授業はほぼないらしい。

入団試験などの日程をこなすのが目的だが、研究室などに入る者たちを除いて、そういった試験がない普通科は、騎士訓練科よりはまだ授業日程が少しばかり残っている。



こういう時、いつもならばすぐに立ち上がり、病院へと帰るナタリアだったが、最近は少し様子が違う。



ちらちらとその視線が向かう先は、ベアトリーチェだ。



ここのところ、ずっと、どうにかして話しかけようとして、だけどどうしても勇気が出なくての堂々巡りに嵌っている。



ナタリアは、ひっそりと溜息を吐く。



アレハンドロがいなくなってから、監視役で病院に来ていたストライダム侯爵家の騎士たちも引き上げていた。


それを知っていれば、まだ騎士たちがいた時にベアトリーチェに伝言を頼めたのだが、気づくのが遅すぎた。



メラニーが設けてくれた席でレオポルドと話をし、そのレオポルドからはベアトリーチェと話すように勧められた。


そうしたいとは思いつつも、それでもすぐに行動には移せず、暫くの間、悶々と悩んでいたせいだ。




--- 許されるのかどうかを、ちゃんと罪を知っている人に聞くといいと思う



--- だって傷ついたのはその人だ



レオポルドの言葉は、全くの正論で。


だけど、向き合うだけの心の準備が、ナタリアには出来ていなくて。


自分の心を楽にするためだけにベアトリーチェに会いに行っても良いものなのかと悩んだりもした。



それから漸くベアトリーチェと話をさせてもらおうと決心した頃に、アレハンドロが消えた。


結果、病院でストライダム侯爵家と連絡を取る手段が消えたのだ。


学園で話しかけるのは迷惑だろうと思い、また暫くの間逡巡した。でも、それしか方法がないと決心した頃に、ベアトリーチェが体調を崩して数日学園を休んだ。


やっと固めた気持ちがそれでまた少し揺らいでしまった。それでグダグダと今に至る。



数週間前、ヴィヴィアンに声をかけられた時も、あれだけの衆目を集めたことを思い出す。


あれは自分を思っての行為だった。だが今回、自分がベアトリーチェに声をかけるのは違う。



こっそり声をかける方法はないだろうか、とナタリアは思案する。



机に手紙を入れるとか、恐らくやり用はそれなりにあっただろう、だがナタリアにそんな事が思いつける筈もなく。

そうして今日も、迷っているうちにベアトリーチェは席を立っていた。



少し落ち込みながら、ナタリアは病院へと帰って行く。



自分が楽になりたい為だけの話し合いだろうとナタリアも思っている。それ故に、こうなるともう話をさせてもらうのは諦めた方がいいのかもと考え始めた。



せっかくのレオポルドからの忠告、メラニーからの心遣いではあったが、ナタリアにはもうどうしたらいいか分からない。



そんな時だ。



「お帰りなさい」



病院の裏口、スタッフ用の出入り口の前で、ナタリアを待っていた人物がいた。



ストライダム騎士団の制服ではなく私服で。

でもいつもの様に姿勢良く堂々と。


手には中くらいの紙袋を一つ。



ニコラスが、ひらひらと手を振っていた。





「事務室の人に聞いたら、まだ学園から帰って来てないって言われたから」



ナタリアと並んで中庭のベンチに座ると、ニコラスは紙袋をガサガサと開けた。



「はい。良かったらどうぞ」



そう言って差し出されたのは、美味しそうな香りが漂う串焼き。



「飲み物もあるよ」



反射的に串焼きを受け取れば、次に差し出されたのは温かいお茶の入った入れ物だった。



「良かった。まだあまり時間が経ってないから冷めてないね」



ニコラスの言う通り、ほかほかと湯気が立つほどではないが、まだ串焼きもお茶も、ほんわりと温かかった。



ニコラスは自分の分も紙袋から取り出すと、まだ呆然としているナタリアを他所に、串焼きにかぶりつく。



「ん、美味しい」



もきゅもきゅと咀嚼して、お茶を飲んで。



それをナタリアがぼうっと見ていると、ニコラスはあれ、と首を傾げた。



「ナタリアさん、串焼きは好きじゃなかった?」



その問いに、ナタリアがハッと我に帰る。



「あ、いえ。そういう訳では」


「じゃあ、どうぞ。冷めないうちに」


「・・・はい。いただきます」



未だ貴族令嬢としての意識は残っている。


人前で、しかも男性の前で大きな口を開けてかぶりつくのは、はしたない行為以外の何物でもないのだが。



恐る恐る、端っこに噛みつく。


鼻腔に立ち昇る香りと、少し濃い目の味付けが、学校帰りで小腹が空いていたナタリアにとても、とても美味しく感じられて。



「・・・美味しい」



ぽろりと溢れた本音に、ニコラスは嬉しそうに笑う。



「串焼き、もしかしたら初めて?」



そう問われ、ナタリアは頷く。



「気に入ってもらえたなら良かった。この時間はお腹が空くよね」



そう話している間にも、ニコラスは既に一本を食べ終わっていた。



そうだ、ニコラスはストライダム騎士団で仕えている。彼に伝言を頼めたら。



そう気がついて、ナタリアが慌てて口の中の肉を飲み込んだ時。



ニコラスが口を開いた。



「そうそう、ベアトリーチェさまから伝言を預かっててね」



ナタリアが目を見開く。



「卒業して会えなくなる前に、一度だけでも会えませんかって」




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