第105話 幸せであれと心から



「もう買い忘れはないか?」


「はい。この羽根ペンの軸で終わりです」



そんなやり取りをしながら、レオポルドとメラニーは貴族街の一画にある文具屋から出て来た。



「これで、入学の準備は整った?」



メラニーの手にある紙袋をさり気なく持ちながらレオポルドが尋ねると、メラニーは恥ずかしそうに頷いた。



「昨日、制服も届いたんです」


「そうか。俺が卒業なのが残念だな。君の制服姿が見られないなんて」



レオポルドのその言葉に、メラニーはふふ、と笑った。



あとひと月もしないうちにレオポルドは学園の騎士訓練科を卒業、その翌月にはメラニーが普通科に入学する。


両家の取り決めとして、二人の婚姻はメラニーの卒業後となっているから、早くても式は三年後となる。


初めて見合いの場に臨んだ時は、その時間の猶予が有り難いと思っていた。


なのに、今は少し残念に感じるのだ。自分はなんと惚れっぽい男なのかと呆れる時もある。けれどやはり、そんな風に自分が思うのは相手がメラニーだからだという結論に達し、そこまで想える相手に巡り会えたことへの感謝に変わる。



ゆっくりと街の通りを歩きながら、待たせていた馬車の方角へと進む。

今は、バートランド家の使用人たちの態度もすっかり穏やかなものへと変わり、訪問も随分と気安く出来るようになっていた。


なにより、メラニーの瞳からは、あの最初の頃に浮かんでいた様な不安の色は窺えなくなっていて。


それが何より嬉しかった。



左手で紙袋を抱え、レオポルドはそっと右手を伸ばす。


そして、店側を歩くメラニーの左手を握った。



「・・・」


「・・・」



本当であれば、照れる必要などない。


たとえ、こんな風に手を握るのが初めてだとて、エスコートで何度も腕を組んでいるのだ。


なんならその時の距離感の方が今よりももっと近い。



なのに。




「・・・」


「・・・」



何か、話さなくては。



そう思っても、上手い言葉が見つからない。



ああでも。


握りしめた手を、振り払わないでいてくれるから。


だから勇気を出して。



そっと、指と指を絡めた。



「・・・っ」



メラニーが完全に俯いてしまった。


元来が無口な彼女は、照れれば照れるほど、さらに言葉が少なくなる。



だから、この沈黙もまったく不快ではなくて。



この先の角を曲がれば馬車が直に見えてしまう。それを残念に思うほどには、この時間が愛おしいと、そう思った。





ガラガラガラーーー



石畳の上を走る馬車の車輪の音。



相も変わらず心地よい静寂が二人の間に落ちる中、レオポルドはふと、通りに見知った顔を見つける。



ニコラスだ。

ストライダム騎士団の制服ではなく、私服を着ている。


如何にも騎士らしく、背筋を伸ばし、迷いのない足取り。

そして、その手には紙袋を一つ。


レオポルドたちを乗せた馬車が走る中央通りから、スッと横道に入って行くのが見えた。



・・・あの通りの先は・・・



ナタリアが今、世話になっている病院がある。



知らず、レオポルドの口元が緩んだ。



なんだろう。差し入れか、プレゼントか。


何にせよ、あいつなりに頑張ってるんだな。



レンブラントから、娘を嫁に出す父親のようだと揶揄されても尚、あの二人がどうなるのかずっと気になっていた。



ナタリアを貴族令嬢としては傷物も同然にしてしまった自分に、そんなことを心配する資格はないと分かってはいても。



願うだけなら、自由だから。


二人が幸せになれますようにって。そう、さり気なく、遠くから願うだけ。


もう、面接みたいなこともしないし。大人しくしてるし。


うん、そう。だから、きっとこれはセーフ。




レオポルドはそう自分に言い訳しながら、考えを巡らせる。



ニコラスは、あの若さでストライダム騎士団に入れた男だ。酒は嗜む程度、賭け事はしない。女遊びもなし。クラスメイトだったからあいつの為人ひととなりも知っている。真っ直ぐで、でも俺なんかよりもずっと気が利いて、優しい奴だ。



一学年で自主退学する事になっても、腐らずに騎士になった男。そして、なにより今も変わらずナタリアを見守っている一途な奴。



当人同士の思いが最優先だと分かっている。選ぶのも決めるのもあの二人。


でも、思わずにはいられない。ニコラスにだったら安心してナタリアを任せられるのに、と。



「・・・レオポルドさま? 外に何かございましたか?」



一点を凝視していたレオポルドを不思議に思ったのだろう、メラニーが首を傾げている。



「え? ああ、いや。うん、そうだな。俺の一年の時の同級生が歩いてたから」


「まあ、そうでしたか・・・お話をなさりたいのでしたら、馬車を止めましょうか?」


「いや、大丈夫。邪魔になるだけだから」


「邪魔・・・ですか」


「ああ」



あの二人に関しては、自分に出来るのは願うことだけ。


どうか、自分との過去の恋が、この先の彼女の選択の枷にならないようにと祈るだけだ。


いつか。


そう、いつかでいいから。


君を心から想う人と、幸せになってほしい。



その役目は、もう自分ではなく、他の誰かのものだから。



だって。



「レオポルドさま?」



レオポルドが視線を向けると、メラニーが不思議そうに小首を傾げる。



自分の手で幸せにしなければいけないのは。


幸せにしたいのは、目の前に居るこの人だけなのだから。




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