第52話 青色の破片
頭を撫でられているうちに、眠気が襲ってきたようだ。
いつのまにか、ナタリアはアレハンドロの腕の中で再び眠りに落ちていた。
本当に、こいつは。
そんなナタリアへの呆れを、アレハンドロは心の中で呟く。
いつまで経っても無防備で。
俺に攫われてここに来たという事実を忘れてやしないだろうか。
「・・・」
そっと自分の腕をナタリアの頭の下から引き抜くと、寝床から起き上がり、寝室を出る。
そして、視線を少し彷徨わせた後、どこにも焦点を定めないまま、「出て来い」と呟いた。
「いるんだろ?」
それに対する返事はない。
だがアレハンドロは構うことなく言葉を継いだ。
「ずっと俺を尾けてた事くらい、気づいてたさ・・・とにかく出て来いよ。お前に話がある」
それでも部屋には静寂が満ちたまま。
アレハンドロは、胸元から護身用のナイフを取り出す。そして扉を開け、ベッドで眠るナタリアに狙いを定め、再び口を開いた。
「このまま投げた方がいいか?」
「・・・待て」
声と共に男が現れる。
体は細いがしっかりと筋肉のついた体の背の高い男だ。視線は逸らす事なく、じっとアレハンドロに注がれている。
「・・・話とは?」
「お前、ライナルファ侯爵家の暗部の者か? あの男も随分と気が回るようになったもんだな」
「・・・いや」
男は首を横に振る。
アレハンドロはその言葉に驚き、目を見開いた。
「あの男じゃない? じゃあ、お前・・・まさかストライダム侯爵家の手の者か?」
「・・・っ」
まさかの家名を言い当てられ、男の目に一瞬驚きの色が走る。だが、さすがに声に出しはしなかった。
それでも、無言を肯定と受け取ったらしい。
アレハンドロは、そうかと頷いた。
「
「・・・こちらも聞きたいことがある。先ほど、そちらの令嬢にした話のことだが」
「ああ。時間を巻き戻したって話? いや、そこじゃないか。あいつがお前のとこの令嬢を殺したって部分かな?」
「・・・随分とタチの悪い冗談だな」
「ははっ」
渋面で告げられた台詞に、思わずアレハンドロは吹き出した。
「まあ、信じる信じないは自由だから、好きに判断するといい」
そう言ってひとしきり笑った後、アレハンドロは真顔で続けた。
「ストライダム侯爵家が手を出して来たって事は、やっぱりベアトリーチェにも記憶があったか・・・入学式の時からおかしいと思ってたんだ。前の時とは違ってたから」
「・・・」
「あ、そうそう。アンタに聞きたかったんだよ、ここのことだけど、もう報告はしたのかな?」
「ああ、つい先ほどな。逃亡を企てる可能性を考え、しばらく見張りを続けていたが、その心配も無いと判断した」
「そっか。じゃあそろそろ行かないとマズいな。もう少しあいつと居られるかと思ったけど」
「・・・まさか逃げるつもりか?」
「いや、行きたい所があるだけさ。逃亡するつもりは更々ない」
「・・・」
影が警戒の表情を浮かべ、僅かに後ろに下がる。
「ここからそう遠くない場所だ。お前も監視したいのならついてくればいい」
「・・・こちらの、令嬢は」
「このままここに寝かせておく。どうせもう少ししたら助けが来るんだろ? なら、放っておいても大丈夫さ」
「・・・」
影からの返事を待たず、アレハンドロは踵を返し、寝室の扉を開けた。
すやすやと眠るナタリアに近づき、最後にもう一度、頭を撫でた。
「ナタリア」
小さく、小さく囁く。
「もうすぐ、お前の王子さまが助けに来るってよ。自分の力でなんとか出来ないのは、前と変わらなかったみたいだけどな・・・いや、この段階で動けたんだから、少しは進歩したって事か。あ、ペンダントのことは謝らないからな」
そして、アレハンドロはナタリアの頬に唇を落とした。
「・・・じゃあな、俺のお姫さま。ずっと一緒に居たかったけど、これでお別れだ」
影からの情報により特定したアレハンドロの隠れ家を目指し、レンブラントたちは馬を駆る。
王都中心では天候に何の変化もなかったのに、外れの方では通り雨が降ったようだ。
すぐに止んだらしく、道のぬかるみは然程ではない。むしろこの程度であれば、土ぼこりが立たない分、楽になったと言えよう。
向かう先はアレハンドロが住む別邸の裏手にある森を更に奥に進んだ所、王都の境界近くにひっそりと建つ小ぢんまりとした木造の家だった。
レオポルドとレンブラント、数名の影と私兵たちがそこに到着したのは、午後も遅くのことだった。
影からの報告ではナタリアはまだ無事とのこと、それでもレオポルドの表情は緊張で強張っていた。
だが到着してみれば、そこに待機している筈の影がいない。
不安に駆られ中に入るが、家の中はもぬけの殻だった。
アレハンドロも、ナタリアも、そこには居らず。
寝床やテーブルなど、人がいてそこを使った形跡はあるものの、どこにも人の気配はなかった。
「・・・っ、ウヌカン、レストラート、家の周辺を探せ。ニコラスは見張りだ。レオ、お前とロンは、俺と一緒に家の中を調べるぞ。あいつが逃げたとしても、付けた影が何か残している筈だ。それを見つける」
闇雲に外に走り出そうとしたレオポルドの腕を抑え、レンブラントは影や私兵たちに指示を出す。
「影・・・?」
「ああ、うちから影を一人、あの男に張り付かせておいた。この場所を知らせてきたのもそいつだ。アレハンドロたちがどこかに移動したのなら、それを知らせる何かをどこかに残してある筈だ」
「・・・そう、か」
悔しそうに前髪を握りつぶしたレオポルドは、呻くような声を上げた。
「本当に・・・どこまでいってもレンブラントには敵わないな。まったく間抜けすぎて自分が嫌になる」
「他人と比べるなど無駄な事だ。過去の自分と比べろ。そうすれば、少しは変わったと分かる筈だ」
「え?」
レオポルドが顔を上げると、レンブラントが真っ直ぐに彼を見つめ返していた。
「今回の潜入調査は随分と頑張ったと聞いている。囮になってボロボロに傷めつけられてまでな」
「・・・いや、狙って囮になった訳じゃないんだけど」
「知ってるさ」
バツが悪そうな答えに、レンブラントはくつくつと笑う。
「まあそれでも、お前なりに頑張ったんだろ? 惚れた女のために」
「まあ、それは」
「まだまだ足りないが、それでも昔のお前よりは成長した。それで良しとしろ」
ぎこちなく頷くレオポルドに、レンブラントは「だがな」と言葉を継いだ。
「もし、まだあの娘を娶るつもりでいるなら、ゴリ押しではなくちゃんと両親を説得しろ。元から嫌われてる上に、今回攫われた事であの娘は傷物になってしまった。
守れないのなら、変に期待をもたせるより手を離してやる方がよほど愛がある」
「・・・ちゃんと、考えるよ」
「ああ、そうしてくれ。そしてもう俺の手を煩わせるな。報酬があったとしても二度と御免だ」
冷たく言い放った台詞とは裏腹に、その口元は緩やかに弧を描いている。
そうしてようやくレオポルドの肩から力が抜けた時、室内を探していたロンが、ハンカチに何かを包んで二人の下にやって来た。
「レンブラントさま。こんなものがベッド近くの床に」
それを見たレオポルドが、さっと青ざめる。
差し出されたそれは、粉々に砕かれた青色のガラスの破片。
それは、レオポルドはもちろん、使いとしてナタリアに手渡したレンブラントにも覚えがあるものだった。
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