第16話 迫るのは現実か
第二学年も終わりが近づいた頃。
ナタリアとレオポルドの仲睦まじい姿が、すっかり学園の名物として定着した頃だった。
巻き戻り前と比べたら、一年近く時期がずれていたが、それでもやはり事は起きた。
ライナルファ侯爵家が所有する商船の一つが大洋の沖で沈没。
買い付けた大量の商品と熟練した船乗りたち、そして先の商談で得た多額の金がすべて、海の底に沈んでしまう。
その一報が届いた時、ベアトリーチェが驚く事はなかった。
浮かんだ言葉は、ああやはり、とただそれだけだった。
確信とは言えず。
けれど半ば予想していた知らせ。
だから驚かなかった、にも関わらず、ベアトリーチェはその知らせを聞いて目眩を覚える。
その知らせに虚を突かれたからではない、目の前に突きつけられた現実にただ圧倒されただけ。
ふらつき、床に膝をついたベアトリーチェの姿に、扉横に控えていた侍女が駆け寄った。
大丈夫よ、そう言おうとして、でも上手くは話せなくて。
結局、寝台に運ばれたベアトリーチェは、そこでひとり思案を巡らせた。
これまで、あの悲劇が起きた原因は自分にあると思っていた。
全ては自分が余計なお節介をして、事態を却って拗らせたせいなのだと。
だから自分が分を弁えれば。運命の恋をした二人が手を取り合い、自分たちで困難を乗り越えるに任せれば。
多少の紆余曲折はあろうとも、あの最悪の結末だけは避けられると、ベアトリーチェはそう信じていたのだ。なのに。
・・・私がレオポルドへの恋心を捨てればそれで済む、そんな単純な話ではなかったのだわ。
明確な意図を持ってナタリアとレオポルドの恋を壊そうとする存在がいるのなら、遠くから二人を見守るなどというベアトリーチェの選択は、恐らく何の意味もない。
そこにベアトリーチェが巻き込まれようと巻き込まれまいと、二人の恋はいずれ必ず、徹底的に潰されるのだ。
どうしよう。どうしたらいいの。
今まで、薄々そうではないかと思いつつも、どこかで現実の事とは捉えられずにいた。
有り得ない。まさかそこまでする人なんていやしない、そう自分に言い聞かせるだけで。
今だって、まだはっきりとした証拠は掴んでいない、そう頭のどこかで呟いている自分がいる。
このまま最後まで、ただ見守るだけの立場を取り続けるなら、さぞや楽な事だろう。
何にも巻き込まれる事なく、いずれ明らかになる隠された事実を最後に確認すればいいのだ。けれど、それで本当にいいのだろうか。
「いいえ。駄目よ、そんなの・・・」
だってもしかしたら。
もしかしたらまた、また二人が絶望に堕とされてしまうかもしれないのに。
「ああ、だけど」
今さら慌てたとして、ベアトリーチェに何か力がある訳でもない。
世間知らずで病持ちのひ弱な令嬢に、いったい何が出来るというのか。
今ここで思い出すのは、あの日、あの時、昏い眼をしてナタリアを見つめていたアレハンドロ。
もし、アレハンドロだとしたら。
巻き戻り前も後も、これら全てを彼が仕組んでいたというのなら。
「・・・っ」
落ち着いて。調べもせずに決めつけてはいけないわ。
でも、では、調べるとして、それはどうしたらいいの。
ベアトリーチェは胸に手を当て、焦る気持ちを抑えようと深呼吸を繰り返す。
だけど、考えれば考えるほど、ベアトリーチェのアレハンドロへの疑惑は募るばかりだ。
彼はこの国一番の大商会の跡取り息子で。
あちこちに顔が効いて、お金を唸るほど持っている、しかも半年前には貴族の仲間入りまで果たした、そのアレハンドロなら。
平民であった頃の比ではない。今のアレハンドロなら、これまでよりももっと。
もっと大胆になるかもしれない。
「怖い・・・どうしたらいいの・・・」
ベアトリーチェ如きが対抗できる筈もない。
下手に手を出そうものなら、きっと、いや確実にベアトリーチェに対しても何らかの処置を取るだろう。ニコラス・トラッドも彼にやられたのかもしれないのだから。
そう考えれば、巻き戻り前の最期に起きたことも、やはり仕組まれていた様な気がする。
「でも、私が弱っていたのはもともとの病気のせいで・・・」
そう、あの時は。
少しずつ弱っていき、ベアトリーチェも自分の死期を悟りつつあった。
予想していた三年を、一年近く超えていたけれど。
だが、そのせいで行き遅れ令嬢のナタリアの立ち位置が更に微妙になっていく。
妙なところに律儀なレオポルドは、ベアトリーチェとの結婚期間にナタリアに手を出すことはなく、お飾りの妻でしかないベアトリーチェをあくまでも尊重する立場を貫いていた。
婚姻に伴い、ベアトリーチェの実家であるストライダム侯爵家からの資金援助は順調。
まだ時々思わぬ
そういえば、とベアトリーチェは思い出す。
確か殺される二週間くらい前にも、ベアトリーチェはナタリアに会っていた。
寝たきりに近い状態になったベアトリーチェを、ナタリアが見舞いに来てくれたのだ。
そう、あれは確か。
--- 大丈夫? トリーチェ。ずいぶん辛そうにしてるけれど
--- 平気よ。こんなの慣れてるわ。それよりごめんね、ナタリア。もう三年なんてとうに過ぎているのに、あなたをこんなに待たせてしまって
--- いいの、そんなことはどうでもいいのよ。私はあなたのお陰で希望を持てたんだもの
そうだ。確かにあの時、希望とナタリアは言っていた。
--- ねえ、トリーチェ。私ね、あなたが助けてくれなかったら、きっともうとっくに死んでいたと思うの
--- え?
--- だってね。私、これまでずっと
ナタリアは今にも泣きそうに見えた。顔は確かに笑っているのに。
--- いつだって、持つたびに、見つけるたびに失くしていたの。友だちも、大切なものも、希望も、夢も、ぜんぶ。そう、これまでずっと
--- 私は空っぽだったの
今だって鮮明に思い出せる。あの綺麗な、綺麗な、ナタリアの笑顔。
--- でも、トリーチェが私の友だちになってくれた。そして私とレオが将来結婚できるように、こうして助けてくれた。だから私には今、希望があるの
あの時の言葉を、嘘だと思いたくはないけれど。
--- トリーチェがいてくれたから、私は今もこうして生きていられるのよ
--- だから・・・ありがとう、トリーチェ
そう言ったナタリアは。
そう言ったナタリアは、二週間後にベアトリーチェにナイフを突き立てた。
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