第17話 馬鹿だとは思っていたけど
やがて、ノックの音と共に心配そうな表情の両親が現れた。
「トリーチェ、大丈夫か」
「ああ、ベアトリーチェ」
目が覚めたベアトリーチェの手を、母がそっと握りしめる。
「ここのところ、ずっと体調が良かったのに。突然に倒れるから驚いたのよ」
「悪かったな、トリーチェ。お前の前で不用意にライナルファ家の話を口にしたせいなのだろう? 私の配慮が足らなかった」
「いいえ、お父さま、お母さま。もう大丈夫よ。ちょっと・・・そうね、驚いただけ」
幼い頃からレオポルドに恋をしていたベアトリーチェ。
そんな彼女がライナルファ家の悪い知らせを聞いた直後に倒れたのだ、父や母がこの様な心配をするのも尤もだった。実際には少し要点がずれているのだが。
だが、そんな事をベアトリーチェが彼らに言える訳がない。
念のため、今日はこのまま休むと両親に告げれば、彼らは少し落胆した様子で部屋から出て行った。
兄といい、両親といい、体調の良いベアトリーチェに慣れて来たのだろうか。
治る見込みのない病であるにも関わらず、最近の彼らの期待値が高すぎる様な気がしてしまう。
あと五年。
ベアトリーチェが死ぬまで、あと五年だ。
なのに、いつか治るなどという希望は、彼らの為にならないとベアトリーチェは思う。
自分ならばいい。結末は知っているけれども、最後まで希望を持ち続けるのも選択肢の一つとしてはいいだろう。けど、あとに残される彼らには。
ベアトリーチェをこよなく愛し、床に臥せがちな彼女を大切にし、慈しみ、高額な対症療法を長年続けさせてくれた彼らには。
余計に悲しませる様なことには、なってほしくない。
そんな思考に耽っていたベアトリーチェの耳に、再びノックの音が届いた。
返事をすれば、驚いたことに今度顔を出した人物はベアトリーチェの兄レンブラントで。
妹が倒れたと聞いて、わざわざ王宮から戻って来たのだろうか。それは兄らしくないことだけれど。
申し訳ないと思いつつ、ベアトリーチェは中に入るよう促した。
「ここ最近はずっと調子が良かったのにな」
両親と同じことを言う兄に、ベアトリーチェは苦笑した。
「心配かけてごめんなさい、お兄さま。でももう大丈夫よ」
「お前の大丈夫は当てにならないんだよ」
そう言って妹のおでこをちょいとつつくが、その表情は僅かに固い。
「五日後にあいつが到着するってさ」
「え?」
名前は言わずとも、誰のことかは直ぐ分かる。
だけど、
「久しぶりにお前が寝込んだって連絡入れたら・・・分かるだろ? あいつの反応くらい」
レンブラントは苦笑する。
「自分の目でベアトリーチェの体調を確認するまでは安心できないって」
「ええと・・・なんかごめんなさい」
ベアトリーチェより五つ年上の兄、レンブラントは、エドガーとは一つ違いだ。
レオポルドをさほど気に入っていないレンブラントは、エドガーとよく一緒にいて、彼を弟のように可愛がっていた。
互いに本好きの勉強好き。だから、気が合ったのかもしれない。
口を開けば、レオポルド、レオポルドと実の兄よりも慕いその後を追いかけるベアトリーチェを、エドガーは苦笑しながら、そしてレンブラントはどこか冷めた目で見ていた。
「まあ、焦ってもしょうがない。また体力作りからやってもらうさ」
倒れた当人よりも兄の方が残念そうなのは何故なのか。
「・・・お兄さまって、そんなに私のこと心配してくれる人でした?」
つい零れた本音に、あ、と口を抑えるも、目の前の本人にはとうに聞こえている。
「ったく。失礼なやつだな。最近少しは馬鹿が治ったかと思ってたけど、やっぱり馬鹿は馬鹿のまんまか」
「そんなに馬鹿馬鹿言わないでください。傷つくわ」
「事実だから仕方ない。学園に入って、やっとまともになったと思ってたのに」
どういう意味だろう、と首を傾げるベアトリーチェに、レンブラントは、ふんと鼻を鳴らす。
「理由は知らんが、お前、入学した頃にレオポルド馬鹿が治ったろ?」
「・・・レオポルド馬鹿、とは」
「俺が命名したんだ。レオポルドのことしか頭にないお前にぴったりだと思ってな」
「・・・まあ・・・確かに昔は、レオポルドさまのことばかりだったけど」
それにしても兄のレオポルドの扱いは相変わらずだ、ベアトリーチェは密かに息を吐く。
「あいつは見た目は王子然としてるからな。性格が悪いとまでは言わないが、底が浅すぎる。お前の見る目のなさに呆れていたよ。すぐ側にもっと良い男がいたってのに」
「・・・はい?」
「なんだ。まだ分かってないか。さすがに可哀想すぎだろ、あいつが」
「あの、お兄さまは、先ほどから何を言っているんです?」
「はあ、もういい」
大袈裟に溜息を一つ吐くと、レンブラントは前髪をくしゃりとかき上げた。
そして、おもむろにベアトリーチェをじろりと睨む。
「・・・それで? まだ誰にも言う気はないのか?」
「え?」
「エドガーから聞いてる。ここ一年くらい、ずっとお前の様子がおかしいってな」
「・・・」
「エドガーは悩みを抱えているか、ストレスがかかってるかのどちらかだろうって言ってたけど」
レンブラントは、じっとベアトリーチェの目を覗き込む。
そして、にやりと笑った。
「優しくて賢いお兄さまにも言えないことか? 俺に出来る事なら手助けしてやるぞ」
「お兄さま・・・」
この事はもう自分の手には負えない、それだけはよく分かっていた。
このまま黙って静観したとしても、恐らく今回のベアトリーチェに被害は及ばないだろう。だけど、だからといって、それでいいのだろうかとも思う。
だって、たぶん一番許してはいけない人が、今も平気な顔でナタリアを見つめている。
ナタリアの気持ちも考えず、ナタリアの幸せなど二の次に、ただ彼女に執着しているであろう人が。
巻き戻り前の最期の瞬間の、あの時の痛みが、ベアトリーチェの脳裏に蘇る。
すべて自分がレオポルドを愛したせいだと思っていた。
あの人を愛した私が悪いのだと。
でも、もしそうではないとしたら。
私の幼稚な恋心が二人の未来を壊した訳ではないのなら。
何かしようと動いても、いいのかもしれない。
「・・・お兄さま、あの」
不安で声が震える。
兄ならば、最後まで馬鹿にしないで聞いてくれるだろうか。
巻き戻り前の人生について。
ライナルファ家に起きた異変、レオポルドとナタリアの恋、開発された薬、提案した契約結婚、たった一人の親友にナイフで刺し殺されたこと。
この、やたらと現実的な兄が信じてくれるだろうか。
「・・・私ね、今からとても変なことを言うわ」
「へえ?」
レンブラントの片眉が面白そうに上がる。
「でもね、最後まで何も言わずに聞いてほしいの」
レンブラントはベアトリーチェをじっと見つめ、やがて頷く。
「・・・分かった。いいよ、取り敢えず言ってみろ」
レンブラントはどかりとベッドの端に座ると、腕を組み、目を瞑った。
さあ話せと言わんばかりだ。
こんな時だというのに、ベアトリーチェは普段通りの兄の対応にふ、と笑みが溢れる。
そうよね。こう見えてお兄さまは切れ者だったわ。
ベアトリーチェは、ひとつ、ふたつと大きく息を吐く。それから。
話を始めた。
長い、長い、時が巻き戻る前のベアトリーチェに起きた出来事を。
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