第13話 そして出会う恋人たち



結局、ニコラス・トラッドは第一学年の終了を待たずして学園を辞め、王国騎士団に入団した。


学園の騎士訓練科を卒業しての入団とは異なり、一般募集による剣の実技試験のみでの入団、それは主に平民たちのために開かれた門戸だ。



まずは候補生として訓練を受け、それから騎士見習い、騎士へと立場が上がっていくのは同じだが、そうなるスピードも、その後の出世に関しても、学園卒業者とそうでない者との差はかなりのものだ。


子爵令息でありながら平民と同枠での入団となったニコラスに、出世の望みは殆どないだろう。



そして。



未だナタリアと出会っていないレオポルドの家には、以前の様な事象は何も起きていない。



今週で第一学年の授業が終わる。

巻き戻り前の時は、この時点で既にレオポルドの家に不安要素がかなり多く現れていたというのに。



「・・・ただの考え過ぎかもしれない、だけど」



学園へと向かう馬車の中。


誰もいないのを良いことに、不穏な言葉が口を突いて出そうになり、べアトリーチェは慌てて口を噤む。



確証もないのに決めつけてはいけない。

たとえそれが、どれだけ『それらしく』見えようと。



今は当事者ではなく、遠くから第三者として見ているから、何かおかしいと感じるのかもしれない。


あれは、自分の独りよがりの親切だけが引き寄せた不幸ではなかったのかもしれない、と。


そう、もしかしたら自分が殺された原因だって。



・・・いえ、それはどうかしら。



だって、あれはドリエステが薬の開発に成功した事がきっかけだ。



ベアトリーチェは溜息を吐いた。



今はまだ何も分からない。


わざわざ自分を不安がらせても何にもならないのに。


レオポルドの家が無事なのは良いことだ、それで良しとすべきではないだろうか。



そう納得して。

けれどそんな悠長な考えも、学園に到着して直ぐに雲散する。



「やあ、ベアトリーチェ。久しぶり」


「・・・レオポルド、さま」



レオポルドが自分の前に現れた理由を予測して、ベアトリーチェは慄いた。



巻き込まれるのは簡単だ。ニコラス・トラッドがそうだったかもしれないように。


何も知らずに地雷を踏んで、気づけば粉々に吹き飛ばされ人生そのものが一変して。


それでも、巻き戻り前のベアトリーチェは巻き込まれたのではなく、自ら巻き込まれに行ったのだけれど。



だが今回は違う。


たとえあと六年もすれば病の悪化でどうせ死ぬのだと分かっていても、もう他の誰かの不幸に関わりたくはない。



だからこそ、その根源だと思ったこの恋を終わらせる事に決めたのだ。



・・・なのに。



ベアトリーチェは微かに眉を寄せた。



その様子に、レオポルドは不思議そうに首を傾げる。



ベアトリーチェが彼に会って不機嫌な様子を見せるなど、今日が初めての事だから。


だが、それはレオポルドにとってあまり気にする事ではなく。


故に彼はさっさと用件に入る。



「あの、さ。ベアトリーチェに頼みたいことがあってさ」



レオポルドは恥ずかしそうに、ぽりぽりと頭を掻く。



何を言い出すつもりなのか、ある程度の予想は立つ。

けれど、どうか当たらないでと祈るように目を瞑った。



だけど、そういう予想ほど当たるものだ。



「ええと、ナタリア・オルセンって子がベアトリーチェのクラスにいるだろ。実は、ずっと気になってたんだけど、前は付き合ってる奴がいるっぽかったから、声をかけられなくて」




・・・ああ。


顔を赤らめ、視線をあちこちに彷徨わせながらぽつぽつと語るその姿は、かつての風景と重なるもので。



この二人が運命の恋人たちだと言うのなら、祝福するべきなのだろう、喜ぶべきなのだろう。


でも今は。


やはりこうなるのか、頭に浮かぶ言葉はそれだけだ。


安堵と不安と期待と焦燥。



ナタリアとレオポルド。

空色の髪の乙女と、亜麻色の髪の青年。


今度こそ結ばれて幸せになってほしくて。


でも、もう二人の運命の歯車を狂わせないように、自分は何もせず、ただ黙って見守ろうと、そう思って。



だけど、もし。


もし自分の推測が当たっているなら、レオポルドが動くことで、また何かが変わる。変わってしまう。


今は無事であるライナルファ侯爵家に、もしかしたら何らかの危機が訪れるかもしれない。巻き戻り前の時のように。



そして、もしかしたら。


もしかしたら、だけど。


もしここでベアトリーチェがレオポルドの恋の手助けをすれば、ストライダム侯爵家にも何かが起こる、という事も有り得るのだろうか。



考えすぎ? そうかもしれない。

でも、本当に? それで片付けていいのだろうか。



そんな言葉が頭を過ぎるけれど、やはりそれは只の予想、あるいは妄想でしかなくて。



ならばベアトリーチェは。

ベアトリーチェの出せる答えは。



一つしかない。



「・・・確かに、ナタリアさまは私のクラスメイトです。でも私から何か言うほど親しい仲ではないわ。もし彼女に好意を持っているのなら、レオポルドさまから直接お話になる方がいいと思うの」


「あ、ああ。そうだな・・・やっぱりそうすべきだよな」



恥ずかしそうに俯くその表情は、かつてベアトリーチェが恋い焦がれたもので。


でも、不思議なほどに今のベアトリーチェの心には響かない。



「呼び止めて悪かったな、ベアトリーチェ」


「いいえ、こちらこそお役に立てなくてごめんなさい。ほら、私よく学園を休むでしょう? だから親しい方は本当に少なくて・・・私から話しかけても、きっとびっくりされてしまうと思うの」


「仕方ないさ。俺も男らしくない事を考えてしまった。やはり直接会って話してみるよ」


「そうね。そうなさって・・・他ならぬレオポルドさまからですもの。きっとナタリアさまも喜ぶわ」


「そうかな。そうだと良いけど」



そう言ってはにかむ彼に、ベアトリーチェは笑みを返す。



大丈夫。


ナタリアはきっと、今回もまた、あなたに一目で恋に落ちる。


それだけは間違いないから。



だけどごめんなさい、レオポルド。


私はもう、自分の手が誰かを救えるなんて、信じていないの。


だから助けはしない、でも邪魔もしない。


ただ、遠くから祈るだけ。


望む幸福があなたたち二人に訪れることを、恐れる未来が来ないことを。



「じゃあな、ベアトリーチェ」


「さようなら、レオポルドさま」



ベアトリーチェは軽く頭を下げた。



さようなら、大好きだった人。


私に決して優しくしてはくれなかった人。


真っ直ぐで、鈍感で、明るくて、裏表がなくて。


病弱だからと決して私を特別扱いせず、何の遠慮もせず。


そんなあなたといると、自分が病気だという事が忘れられた。だからあなたの側に居たいと願ったのかもしれない。


馬鹿よね。病気を理由に私を結婚相手に選ばないのは、レオポルド、あなたも同じだったのに。


でも、今回の私は、あなたに手を差し伸べる事はない。


だからあなたが。

ナタリアしか見えないあなたが頑張って。


今度こそ、ちゃんとナタリアを守って。




ベアトリーチェは静かにレオポルドの背を見送る。



ひしひしと迫る嫌な予感、決して当たっては欲しくない、けれど。



「ああ・・・」



怖くてたまらない。



どうしてだろう。


無性にエドガーに会いたい、ベアトリーチェはそう思った。

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